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【メソッド】

人材マネジメントの流儀

企業が「今」取り組むべき人材マネジメント施策のポイントについて、タナベコンサルティング HR コンサルティング事業部メンバーが徹底解説。実際の企業の取り組み事例を交え、採用から育成、活躍、定着と制度構築まで網羅し、人事の極意に迫ります。
メソッド2024.03.18

Vol.7 今、注目されている人的資本経営の本質:古田 勝久

 

タナベコンサルティングのHRコンサルティング事業部による連載「人材マネジメントの流儀」。第7回のテーマは「人的資本経営」。人材を投資対象として捉える考えであり、昨今、日本企業にも徐々に浸透しつつある。これを実践し、人材を資本として捉え始めたとき、企業の人材マネジメントはどのように変わるべきなのだろうか。

 

投資対象としての人材

 

近年、人材を資本と捉え、経営の中心に据えて考える「人的資本経営」という言葉が広まりつつある。これまで人材は経営“資源”として捉えられ、人件費はコストとして考えられてきた。しかし、人的資本経営は人材を資本として捉え、人的資本に投資することで業績向上・企業価値向上につなげることを目指す経営である。

 

多くの経営者は、社員の報酬に対して「利益が出たら再分配、生産性が上がったら賃金を上げる」と考えてきた。しかし、人的資本への投資により企業価値を向上させるためには、この考え方を「事業・経営戦略を支える人的資本に対し、先行投資していく思考」に転換しなければならない。

 

また、人への投資といっても、単純に賃金を上げたり、採用・育成にお金をかけたりするだけでは不十分だ。これらを先行投資と捉え、財務・非財務のリターンが得られるようマネジメントする、いわゆる投資の「回収」まで見込んで設計する必要がある。これが、人的資本経営における人材マネジメントである。

 

 

人的資本への投資から資産を生み出す

 

通常、資本という言葉は、自己資本(純資産)や他人資本(負債)という言葉に代表されるように貸借対照表の貸方科目として使われ、事業運営に必要な資金の調達を意味する。調達した資本を投資・運用することで資産へ転換して貸借対照表の借方に記載し、それらの資産を使ってビジネスビジネスモデルへ投入して損益を計算する(損益計算書)。このように投資と回収を繰り返して創業以来積み上げられた利益が自己資本(純資産)となっていくのである。つまり、経営とは投資と回収なのだ。

 

このフレームを「人的資本」に置き換えてみる。すると、人的資本を調達(採用・育成)し、投資を行って資産へと転換し、ビジネスモデルへ投入(活躍・定着)することで財務・非財務のリターンを得る、と整理できる。このリターンを再投資することで企業価値を高めていくことが人的資本経営であり、まさに投資と回収である。

 

人的資本に投資することで生み出される資産とは、人的資本が生み出す組織力であったり、イノベーションであったり、ブランド力といった無形資産である。それらが企業価値の向上に貢献してこそ、初めて人的資本経営といえる。

 

 

人的資本のマネジメント

 

人材を資本としてマネジメントする上で重要なことは、人的資本のポートフォリオを描くことだ。私たちは、事業戦略を検討する際には事業ポートフォリオを描く。それと同じように、経営戦略を実現するためにはどのような人材が必要か、ポートフォリオを描き、人材の質をマネジメントできるようにしていくことが必要である。

 

縦軸・横軸に異なる観点を設定し、4マスもしくは9マスのマトリクスを作って、求めるコンピテンシー(行動特性)やスキルをマッピングしていくことでポートフォリオを描く。その上で、人材の質と量の計画を立て、採用や育成の目指すべき方向性、具体的な戦略の立案を行うのだ。

 

 

「動的な」人材ポートフォリオの重要性

 

経済産業省が2022年に公表した「人材版伊藤レポート2.0」の中でも、動的な人材ポートフォリオの重要性が述べられている。ここで注意すべきは「動的な」と表現されている点である。人材ポートフォリオは一度作って終わりではない。環境変化が激しい現代においては、人材マネジメントを柔軟かつ機動的に行い、短期間で人材ポートフォリオを実現する採用→育成→活躍→定着というサイクルを回す必要がある。

 

しかし、人はそう短期間でポートフォリオに沿った人材に変われるわけではない。だからこそ、よりダイレクトに人材にアプローチできる効果的な採用・育成を戦略的に行う必要がある。採用・育成はまさに人的資本経営の根幹なのだ。

 

人的資本の調達方法は、採用と育成の2つしかない。採用(外部調達)は、労働市場から必要な人材を調達して資本として加えていくことである。育成(内部調達)は、すでに企業が保有している資本に対して投資(育成)を行い、求める人材へとスキルセットしなおしていくことである。

 

この2つの調達方法を別々の人事施策として捉えるのではなく、採用→育成→活躍→定着という一連の流れの中で考えることで人的資本経営における人材マネジメントが見えてくる。

 

 

企業文化を意図的にデザインする

 

「人材版伊藤レポート2.0」では、企業文化も人的資本経営の重要な要素として位置付けられている。持続的な企業価値の向上につながる企業文化は、人材戦略の実行を通じて醸成されるものと述べられており、さらに、人材戦略策定の段階から目指す企業文化を見据えることが重要とも述べられている。

 

では、そもそも企業文化とは何か。それは「社員の意識や行動スタイルの暗黙のパターンや社内ルール」である。つまり、公式であれ非公式であれ、社員の思考や言動に影響を与え、時間をかけて醸成される文化が企業文化である。企業文化は、それぞれの企業の歴史的背景などもあって形成されるものであり、善し悪しで判断する必要はない。

 

しかし、これからの未来に向けて、理念・パーパスを実現するための企業文化をどう描くかは重要である。また、その企業文化を醸成するために、経営陣の言動や組織体制、仕事の進め方、人事評価や各種制度はどうあるべきかを議論する必要もある。つまり、これからは人材戦略の策定と合わせて、企業文化を経営者が意図的にデザインしていくことが必要である。

 

 

人材マネジメントを支える管理職のパラダイムシフト

 

人的資本経営を推進するのは経営者(と人事部門)だけではない。経営と現場をつなぎ、現場の人材(人的資本)をマネジメントすることで成果を創出する管理職の存在が非常に重要となる。

 

一般的に管理職の行うマネジメントといえば、自部門の人材を育成し、作業効率が高まるよう改善を繰り返すことで生産性の向上を目指すことが多かったのではないだろうか。一方、人的資本経営では、自部門の人材が持つスキルや能力、強みを最大限に引き出し、人的資本の価値を向上させていくマネジメントが必要になる。つまり、経営者が先行投資思考へと考え方を変えなければならないのと同じように、管理職もまた、これまでのマネジメントを180度変える必要がある。それができなければ、人的資本経営は経営者が掲げるだけの、「現場置いてきぼり経営」になってしまう。

 

 

人材の強みに合わせて仕事をアレンジする力

 

これまでの管理職は、人事部門が採用した人材を経営資源として分配され、その中で成果を出し続けることが求められてきた。そのために、人材の持ち味よりも組織の都合で役割を与え、効率的に仕組みを運用することに注力してきた。人材が役割を果たすに当たって「弱み」があれば克服させるための教育を行い、自社の仕組みに当てはめようとしてきたといえる。

 

人的資本経営では、こうした従来型のマネジメントとは真逆の発想が求められる。部下(人的資本)の強みを発見して、それを生かせる仕事にアサインすることで、人的資本の価値を向上させながら成果を出していくマネジメントへの転換が必要だ。そのため、管理職には「仕事に人材を当てはめるマネジメント」から脱却し、「人材の強みに合わせて仕事をアレンジする」ことが求められる。部下がどのような能力を持ち、どのような仕事にアサインすれば能力を最大限に発揮できるか、常に考え、実行していくことが重要だ。

 

 

人的資本情報の開示

 

最後に、人的資本情報の開示についても触れておきたい。これまで述べてきたことを踏まえると、情報の開示が人的資本経営の本質でないことはご理解いただけると思う。しかし、中長期的な企業価値向上の根幹と位置付けられる人的資本の情報は、ステークホルダーにとって重要であり、当然注目されている。

 

2022年8月に内閣官房が策定した「人的資本可視化指針」では、開示項目は2種類示されている。1つ目は「比較可能性の観点から開示が期待される事項」である。企業の人的資本の状況を定性的かつ定量的に把握することを目的に定められた「ISO30414」(人的資本に関する情報開示のガイドライン)などの開示基準に基づき、自社の経営戦略・人材戦略と関連性が深い項目を中心に、他社と比較できる形で情報を開示することが求められる。

 

2つ目は「自社固有の経営戦略やビジネスモデルに沿った独自性のある取組み・指標・目標」に関する開示である。ステークホルダーに対して、自社の経営戦略と開示項目の関連性、その開示項目や指標などに対する経営者の意思・意図についての開示が期待される。

 

どちらも重要だが、他社と比較可能な与えられた指標よりも、後者の方が自社独自の取り組みや考え方を知れる点で、より注目度は高くなるはずだ。

 

 

「企業価値向上ストーリー」がある企業の特長

 

ステークホルダーにとっては、「人材を資本として捉え投資した結果、何がどのように変化し、結局のところ中長期的な企業価値は向上したのか?」が本質的に知りたいことである。ここで重要なことは、その企業が「どの項目を改善しようとしているのか」「そのためにどのような施策を打とうとしているのか」「その結果、企業価値は向上するのか」といった一連の「企業価値向上ストーリー」である。こうしたストーリーのある企業には、3つの特長がある。

 

1.経営者の本気度が伝わる

前述の通り、人的資本経営には経営者のパラダイムシフトと意思決定が不可欠である。一部の大手上場企業などでは統合報告書を通じて、投資家をはじめとするステークホルダーに対して、人的資本投資の目的とその結果どのような成長を描くのかについて、明確なメッセージが発信されている。単にデータとして情報を開示しているだけでなく、経営者の本気度が伝わってくる企業では、幹部社員・現場の社員がトップの思いに共感し、本気で人的資本経営に取り組むことが期待できる。

 

2.経営戦略と人材戦略が連動している

経営戦略と人材戦略が連動しているかも重要なポイントだ。それこそが人的資本経営の実現を左右するともいえる。さまざまな人事施策を横並びで個別に実行していくのも悪くはないが、それらがきちんと経営戦略とつながっている企業であれば、人的資本経営の実現可能性が一気に高まる。

 

3.従業員エンゲージメントが高い

従業員エンゲージメントが高い状態とは、従業員が会社・組織の方針や戦略に共感し、誇りを持って自発的に仕事に取り組んでいる状態を指す。単純に企業に対する満足度が高い従業員とは異なり、会社・組織のために自ら積極的に行動を起こす人々である。エンゲージメントの向上は、離職率の低下や貢献意欲・生産性向上につながり、結果として製品・サービスにおけるCX(顧客体験価値)の向上を実現する。また、顧客の定着・収益性の向上が人的資本への投資額の増加につながり、社員の感情や行動に好影響を与える経験(EX:従業員体験価値)を増やす。

 

ただし、単にエンゲージメントサーベイを実施し、スコアを公表しているだけでは十分とはいえない。その結果を踏まえて、経営と現場がどうコミュニケーションを取り、エンゲージメントの向上、顧客満足度・業績の向上に資する取り組みへとつなげているかが重要だ。

 

 

これらの施策は、一朝一夕に成果が出るものではない。人材を「資本」(投資対象)として捉えることが人的資本経営の大前提であることを忘れず、5年後のリターンという視点をもって投資判断していただきたい。

 

Profile
古田 勝久Katsuhisa Furuta
タナベコンサルティング HR エグゼクティブパートナー
自動車部品メーカー、食品メーカーの人事部門での採用・人材育成・人事労務業務を経て、タナベ経営(現タナベコンサルティング)へ入社。現場で培ったノウハウをもとに、戦略的な人事・組織の実現に向けて経営的視点からアプローチし、上場企業・中堅企業の成長を数多く支援している。著書に『経営者のための「戦略人事」入門』(ダイヤモンド社)。
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