FCC(100年先も顧客から真っ先に声をかけられる会社)実現を支援する、経営者のための戦略プラットフォーム「トップマネジメントカンファレンス」(タナベコンサルティング主催、全6回)の第5回(2023年12月開催、「人的資本とガバナンス」)では、企業の潜在能力を引き出す「人的資本経営」への取り組み方について、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任教授・岩本隆氏に講演いただいた。
慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任教授
岩本 隆(いわもと たかし)氏
東京大学工学部金属工学科卒業。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院工学・応用科学研究科材料学・材料工学専攻Ph.D.。日本モトローラ株式会社、日本ルーセント・テクノロジー株式会社、ノキア・ジャパン株式会社、株式会社ドリームインキュベータ(DI)を経て、2012年6月より2022年3月まで慶應義塾大学大学院経営管理研究科(KBS)特任教授。2018年9月より2023年3月まで山形大学学術研究院産学連携教授、2023年4月より客員教授。2022年12月より慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任教授。
意外と古い「人的資本経営」という概念
昨今、よくメディアで取り上げられる「人的資本経営」とは何か。これは、人材を消費される「資源(Resources)」と捉えるのではなく、価値が変動する「資本(Capital)」と捉える経営のことで、英語の「Human Capital Management」を漢字に置き換えたものである。
この「Human Capital」という言葉は、18世紀ごろにはすでに使われていた。「HRテクノロジー」と呼ばれる人事管理システムなどは、この頭文字をとって「HCMアプリケーション」と称されている。日本に目を向けると、松下幸之助氏の「企業は人なり」という言葉もある。
このように、人的資本経営という考え方自体は決して新しいものではない。ただし、AIやデータテクノロジーが急激に進化し「第4次産業革命」という声もある中、人材マネジメントの領域では、それらの積極的な活用が見られなかった面は否めない。しかし、いまやデータテクノロジーの活用は常識となりつつある。
人的資本経営が注目される理由
なぜ今「人的資本経営」が注目を集めているのか。
大きな理由として挙げられるのは、産業構造の変化である。「モノからコトへ」という表現を耳にするようになって久しいが、商売の中心がいわゆる「モノ」からデータやソフトウエアといった、形のないものに取って代わったと考えれば分かりやすい。企業の価値は、財務諸表だけでは判別しにくくなっており、無形資産の価値が高まっているのである。
この、無形資産の企業価値に占める割合は増加しており、米国では90%を占める。日本はここまで高くはないものの、割合が高まっていることは自明であろう。
さて、無形資産といってもさまざまなものがある。その中で重要なものは、「人材力」あるいは「人材を掛け合わせた組織力」と考えてよいだろう。
このあたりは経済産業省もかなり前から認識しており、2017年の「働き方改革2.0」の推進といったアクションが起こされている。また、経産省は、人的資本についてのデータ開示も要望しており、対象が非上場企業にまで広がる動きもある。
人材採用に当たっても、企業の人的資本開示が求められている。残念ながら、若くて優秀な人材は、自社の人的資本経営についてきちんと語れない企業に入ろうとはしない。このことを踏まえ、人的資本の情報開示を進める中小企業は増えている。
人的資本に関係する国際標準開発の動向
人的資本に関しては、国際規格化も行われている。中でも関係が深いのが「ISO 30414(人的資本報告のガイドライン)」であり、これは内部および外部の利害関係者に向けた報告を目的とした指針である。2018年にISO 30414がリリースされた目的は、「労働力の持続可能性をサポートするため、組織に対する人的資本の貢献を考察、透明性を高めること」である。
ISO 30414には、「11の人的資本領域」と、「58のメトリック(測定基準)」が示されている。企業規模によりメトリックの数は変わる。人材資本のデータ化には労力を必要とするので、自社独自に行うのではなく、ISO 30414を参考にしながら進めるとよい。
2022年3月、リンクアンドモチベーションがISO 30414の認証を取得したことを皮切りに、この認証を取得した日本企業はいくつかあり、今後も増えていくだろう。人的資本経営を評価する融資サービスも始まった。融資決定に当たり、財務状況よりも人材力に着目するものである。すなわち、人的資本の情報開示は、非上場企業にも求められる時代を迎えたと考えることができる。
また、ISSB(国際サステナビリティ基準委員会)は、2024年から2年間実施する4つのプロジェクト候補を挙げ、サステナビリティ開示基準の優先度に関するコメントを募集した。すると、世界から439のコメントが集まったが、日本の金融庁も含め「人的資本」の優先度が高いという意見が多かった。
これが決まるのは少し先の話ではあるが、もしテーマが人的資本に決まった場合、コグニティブダイバーシティー(ものの見方や考え方、理解の仕方、判断・決断の仕方などの認知の多様性)が重要となる。
ダイバーシティーについては25のメトリックが示されているが、思考特性や職務経験、知識やスキル、個性、感性などから、自社にとって重要なのはどのコグニティブダイバーシティーなのかを考えておくべきである。
いかに人的資本経営に取り組むか
人的資本経営で、データをどのように活用していくのか。それは、KGI(重要目標達成指標)とKPI(重要業績評価指標)を設定し、達成するためにアクションを起こしていくことから始まる。
KGIの例としては、人的資本投資の効率性を示す指標「人的資本ROI(投資利益率)」がある。また、日本企業でよく使われるKPIにはリーダーシップや後継者計画、従業員エンゲージメント、ウェルビーイング、コグニティブダイバーシティーがある。
人的資本の取り組みで、業績に最も反映されるものは何か。関連するデータがあれば、そこからエビデンスを取りながら検討していくことが可能である。だが、データがそろっていなくても、議論を深めれば要因を探ることはできるので、その上で指標化・数値化を行い、達成に向けて取り組むとよい。
注意が必要なのは「これさえ実施すれば、100%業績が向上する」という指標は存在しないことである。それを前提に優先順位付けを行って、優先順位の高い指標の達成に向け、実行する施策を選択する。選ぶ指標は1~2つでも構わない。議論して設定を行うことが重要である。
この議論も、難しそうに思えるかもしれない。それでも、議論の過程で弱点が見えてきて、そこを強化したいという声は出てくるものである。
従業員エンゲージメントの高まりと労働生産性
「従業員エンゲージメント」とは、従業員の企業への信頼と貢献意欲である。私は、特に中小企業に対し、従業員エンゲージメントを高めるべきであるという提言を行っている。
従業員エンゲージメントが高い状態とは、企業と従業員とが、婚約関係のように「対等」で、「互いがワクワク」し、「コミットし合っている」状態のことだ。従業員エンゲージメントと業績との相関については、世界中でさまざまな研究がなされている。
限られた調査例ではあるが、エンゲージメントスコアと売上高営業利益率、あるいは労働生産性との間には、近似曲線が右肩上がりということから、相関が見られると考えるべきであろう。例えばBIPROGY(旧日本ユニシス)においては、エンゲージメントスコアと業績、あるいは株価との間には明確な関係性を見ることが可能である。
従業員エンゲージメントについては、「ウェルビーイング経営」との両立が求められ始めている。この2つはまったく別の概念であり、国が取り組むウェルビーイングは範囲が広すぎるため、企業としてはその範囲を「キャリアウェルビーイング」に絞り込む必要がある。
コロナ禍を経て、従業員エンゲージメントとウェルビーイングとの両立は重要性を増している。従業員エンゲージメントだけを高めると、従業員が燃え尽きてしまう可能性が高くなり、ウェルビーイング度だけを高めると、いわゆる「ぬるま湯」となる。どちらも高めないのは論外で、エンゲージメントとウェルビーイングの両立を可能にする要素を把握し、うまく活用していくことが求められる。
なおダイバーシティーには、コグニティブダイバーシティーのほか、「デモグラフィックダイバーシティー」がある。こちらは「人口統計学的多様性」と訳され、年齢や性別といった属性と考えると分かりやすい。こちらの確保も重要な要素ではあるが、企業業績には必ずしも直結しないことに注意が必要である。
人的資本経営推進のために
「企業は人なり」は、どこの企業も掲げている言葉である。しかし、重要なのは中身なので、実際にそうできているのか、見直してみるべきだろう。その上で、経営戦略に連動した人材戦略をつくり上げていく必要がある。
人的資本経営は、データ活用が進んでいる分野でもある。少なくともISOなどで規定されたデータ化できる部分は、データ化してみることが肝要である。その上で、体系的かつ説得力のある人的資本経営を進めていく。
まずはやってみることである。仮説ベースで構わないので、人材戦略における主要KPIを設定する。その上でPDCAサイクルを回すことで、必要ならばKPIをアップデートする。こういった繰り返しが、人的資本経営の推進そのものなのである。