幼い頃から農業の魅力と事業の本質を学ぶ
若松 経営コンサルティング支援を通じて共にビジョンを実現していく仲間として、カミチクグループの鹿児島本社を訪問しました。同グループの創業は1985年。近年、畜産事業や外食事業を取り巻く環境は激しい状況にありますが、同グループ売上高は今や604億円(2024年12月期)を超え、鹿児島県から全国、そして世界へと活躍の場を広げています。まずは創業の経緯をお聞かせください。
上村 こちらこそ、長い間ご支援をありがとうございます。私は畜産農家だった両親の下、男ばかりの3人兄弟の次男として育ちました。幼い頃から「勉強しろ」と言われたことはありませんが、牛の世話の仕方は徹底して教え込まれました。
良かったことは、父の上村藤市は、人の命の源をつくる農業や畜産業に誇りを持っており、夕食の時間には畜産の素晴らしさや農業の弱点などを私たちに聞かせてくれたことです。それが私の原点をつくりました。
若松 農業という仕事への誇りや素晴らしさと併せて、弱点についても話されたのは興味深いです。家族の夕食の時間なのも良いですね。お父さまは、農業の弱点をどのように話されていたのですか。
上村 当時は労働環境が良くなかったことも弱みだったのですが、最大の弱点は「値決め」ができなかったことです。父は、農業が儲からない理由を具体的に教えた上で、儲かる事業にするために3兄弟の役割も教えてくれました。兄は鹿児島で一番多く牛を飼うこと。鹿児島一とは、日本一ということです。私は、兄が育てた牛の卸売りをする。さらに、弟と協力して小売店や外食産業、スーパーマーケットなどの販路を開拓する。今、カミチクグループが取り組んでいる「6次産業化」の話を60年前からしていました。
一方、人間性についても厳しく教えられました。父から言われた「謙虚であること」「誠実であること」「うそをつかないこと」という言葉を今でも大事にしています。
若松 お父さまは、農業は誇りある仕事だと伝えると同時に、持続性のあるビジネスとして捉え、その志をご子息に託したのだと思います。実際に農業経営をしながら考えていたからこその意志であり、志と事業とご兄弟を同時に育てていた感覚だったのでしょうね。これこそ、カミチクグループのビジネスモデルの原点です。上村社長は、事業や経営についても幼い頃から実践的に教えられています。すぐに畜産の道に進まれたのでしょうか。
上村 高校卒業後は大学に進学したものの、時間がもったいないような気がして、すぐに中退しました。しばらくして食肉の学校に入学。卒業後は鹿児島に戻って食肉の卸売会社に1年ほど勤務し、23歳の時に共同経営で牛専という卸売会社を立ち上げました。私は、仕入れから販売、帳簿の管理など日々の業務に関わる全般を担当していましたが、ありがたいことに良いお客さまとたくさん出会えました。
当時は銘柄や部位を偽って販売する会社もありましたが、私は正直な商売を貫きました。きちんと説明し、コミュニケーションを取り続けるうちにお客さまが増えていったのです。中でも、日頃から品質の良い肉を安定的に取り扱っていることが評価され、総合スーパーマーケットのダイエーの食肉センターとの取引がスタート。そこから業績が伸びていきましたが、共同経営者との意見の相違から、思うように事業を拡大できませんでした。そこで、26歳(1985年)で上畜(現カミチク)を創業しました。
日本の農業を強く、かっこよく。そして、農家に優しく
若松 お父さまとの約束通り、加工卸売りという2次モデルからスタートされたわけです。カミチクの事業は順調に成長していったのでしょうか。
上村 総合スーパーマーケットとの取引が拡大し、順調に事業が広がったのも、人との出会いのおかげです。
若松 卸売業として拡大する道もあったと思いますし、大半の企業はそれを選択します。上村社長が、川上の畜産や川下の小売りに事業を広げたのは、お父さまの教えもあったと思いますが、実際の経営で体験されたことも大きかったのではないでしょうか。
上村 鹿児島県で肉の卸売りをする場合、取引先はJA全農(全国農業協同組合連合会)や日本ハム、スターゼン、プリマハムといった大企業ばかりです。何か特長を出したいと思い、1992年から1次産業である畜産をスタート。それが、オリジナルブランド牛の生産につながっています。
一方、3次産業については、営業推進を担当していた弟の上村博之を中心に、2006年に外食産業へ参入しました。兄の上村一郎は上村畜産を継いで牛を飼っているので、本当に父が語っていた通りになりました。
若松 2次産業から1次産業、そして3次産業へと広げながら6次産業化(6次化スタイル)を果たされたことで、まさに「値決め」ができるようになりました(【図表】)。「日本の農業を強く、かっこよく。そして、農家に優しくすることが私たちの願いです。」というメッセージを発信されていますが、それは6次化によって実現できるわけですね。
【図表】カミチクグループが展開する「6次化スタイル」
出所 : カミチクホールディングス提供資料よりタナベコンサルティング戦略総合研究所作成
上村 卸売りからスタートしましたが、私自身は幼い頃から畜産を経験したことが良かったと思います。農業を格好良い仕事にしたい。鹿児島で一番誇れる会社をつくろうと頑張ってきました。もちろん、正直な商売や誠心誠意、お客さまに向き合ってきたことが評価されたと思っています。
若松 私も6次化を「垂直統合型ブランドモデル」と呼び、同様のバリューチェーンモデルを提唱しています。しかし、それをやりきる会社は多くありません。下請けや卸売り機能だけで終わる会社が大半なのが現実です。上村社長は、農業という難しい領域でそれを実現しています。6次化モデル成功の秘訣はどこにありますか。
上村 自社の農場で、牛の飼育方法やエサの配合などについて研究しました。それらを確立したことでオリジナルブランド牛の開発が可能になり、差別化につながりました。また、当社のスタートが卸売りですから、お客さまのニーズをよく知っていたこともポイントです。
畜産行政や農政は最高ランクであるA5等級の和牛の飼育を推奨していましたが、実際はA5等級の和牛だけでなく、A4等級やA3等級へのニーズも決して少なくありませんでしたし、和牛とホルスタインの交雑種へのニーズもあります。そうしたニーズを分かっていたので細かく対応しました。
また、牛の1頭フルセットや半頭セットの販売が基本でしたが、特定部位だけを販売するなど、できる限りお客さまのニーズに対応してきました。
若松 特定部位だけ販売すると売れ残る部位が発生し、歩留まり率が下がります。農業自体が下請産業化し、値決めできないと価値創造も実現できずに終わってしまうのですが、6次化スタイルがそれを打破しているわけです。
上村 博之は製造加工から販売まで分かっています。畜産に関わる部分やオリジナルブランド牛の開発は私が、博之はスペックを変える技術を磨きながら外食産業を担当しています。2006年に外食産業に参入し、東京・広尾に出店した「黒毛和牛焼肉 薩摩 牛の蔵」は20年目を迎えました。国内の直営店が26店舗、海外を合わせると29店舗あります。また、グループ会社も含めて小売店は20店舗、全て合わせると49店舗になります。3次産業を強化したら、頭数も増えてくるだろうと考えています。
若松 畜産ビジネスとして3次産業の分野を自ら手掛けているからこそ、組織連携やクロスマーケティングでお客さまの声に謙虚に耳を傾けて加工し、誠実な経営で信頼関係をつくりながら、結果として歩留まり率を向上させているのですね。やはり、6次化スタイルには業界の慣習を打破し、新しい常識をつくる力があります。
入り口から出口まで一気通貫のバリューチェーンを構築
若松 1次産業では、牛の飼料をつくるという源流から手掛けられています。
上村 飼料づくりは、2000年ごろから取り組んでいます。契約農家がつくる飼料用イネや飼料用米と、地域の量販店などから出る食品製造副産物を利用して栄養価の高い「TMR発酵飼料」を飼料工場で製造しています。
さらに、2008年から受精卵の研究を始め、肉質を高める遺伝子を掛け合わせた種牛を育てています。飼料づくりから牛の繁殖・哺育・育成・肥育まで一貫体制で牛を育てています。
若松 飼料づくり、品種改良に関しても先駆け的な存在ですね。カミチクグループは、6次化スタイルの創造が目標ですから、バリューチェーン上で不足している部分を何としても完成させていくという強い意志が、その取り組みにつながっていると感じますし、同業他社と根本的に異なる点です。
上村 飼料づくりをスタートした当初は、同業から揶揄されました。電話1本で安い飼料が運ばれて来るわけですから、誰も飼料づくりをしようとは思いません。ただ、飼料づくりを始めたのは、耕作放棄地の問題も関係しています。農家が耕作を辞めざるを得ないのは、畜産農家が安定的に購入しないことも原因です。その事実を知って、最初は6軒の耕作農家から粗飼料を購入。今では130名を超える農家が1300ha(ヘクタール)以上で耕作してくれています。
若松 農業を産業化する原点とも言えます。結果的に、1次産業における飼料づくりによって品質や供給体制が安定したと思いますし、独創性も発揮しやすくなりました。2次産業については現在3社体制ですね。
上村 牛肉を扱うカミチク、豚肉を扱うクオリティミート、お客さまのニーズに合わせて製造・加工を行うカミチクファクトリーがあります。
若松 3次産業は7つの会社で構成されていますが、店舗開発の秘訣はありますか。
上村 最近は相談をいただいて企画・開発するケースが多いです。例えば、ワタミカミチクが手掛ける「幸せの焼肉食べ放題 かみむら牧場」は、和牛を世界に広げたいとワタミから声が掛かって始まりました。今は国内12店舗、海外2店舗を展開しています。
また、「九州産直市場」の多くは、物産館などの不振店舗を肉の直売所として再生した店です。行政から相談を受けて、肉の直売所やセルフ焼肉ができる施設として運営しています。肉はスーパーマーケットや量販店より3割安く、焼き肉店よりも5割安く提供しているため、お客さまが集まってきます。
若松 安くて、おいしくて、安全な肉ですから、お客さまはおのずと集まってきます。一方、M&Aや業務提携を活用しながらバリューチェーンを強化されています。これまで何社をグループインされましたか。
上村 10社です。関西でスーパーマーケットを展開するケイファーマーズもその1つ。もともと青果や精肉など生鮮品が非常に強い店でした。現在は1店舗ですが、今後、人手不足によって量販店や百貨店の売り場に空きが出ると予想しており、そこに出店できると見込んでいます。M&Aについてはいくつか話が来ているので、今後も検討していきます。
農業の課題を解決するアグリソリューションカンパニーへ
若松 今後の展望をお聞かせいただけますか。
上村 26歳で上畜(現カミチク)を創業した時、私には何もありませんでしたが、周りの人々のおかげで会社を成長させることができました。人が財産です。特に、50歳代半ばからは、事業を通して知り合った方々と「何か一緒にしよう」と新たな領域に事業を広げています。例えば、外食産業の会社と組んで若い人が運営する飲食店を立ち上げたり、農業体験をしてもらったりと、若者がチャレンジできる環境をつくっています。
また、九州の農家の課題を全て解決できるような会社をつくろうと、2020年に九州ファームソリューションを設立しました。多くの会社が協力の名乗りを上げてくれており、とてもやりがいを感じています。
若松 素晴らしいことです。私は、今後日本の多くの中堅企業が、カミチクグループのように専門領域別ソリューション機能を備えた会社になる、と考えています。農業や畜産のビジネスモデルに関するソリューションカンパニーです。
上村 おっしゃる通りです。1次産業に関しては毎日のように相談が寄せられており、案件ごとに必要な企業が集まって事業をつくっています。相談は九州エリアのみならず、全国各地から寄せられています。当社はさまざまな挑戦をして、たくさん失敗してきていて経験値が高いので、さまざまなソリューションを提供できます。中には海外からの相談もあります。ベトナムでも6次化スタイルを展開しようと取り組んでいます。
若松 ものづくりも大切なのですが、これまで培った農業や畜産のメソッドやナレッジを海外にも広げていくことが、カミチクグループの新しい使命になると思います。海外でも、6次化スタイルを追求していくのでしょうか。
上村 若い頃から海外に抵抗はなく、米国の研究に参加したり、オーストラリアで生産事業に取り組んだりと、さまざまな挑戦をしてきました。そこで培った技術を活用し、中国・大連でブランド牛を展開。中国でナンバーワンブランドになり、北京オリンピックの指定牛肉に選ばれました。今後は小売りや外食産業のボリュームを高めるべきだと考えています。すでに香港では会社を設立し、牛肉の販売店や焼き肉店を運営しています。
また、ベトナムでは日本の和牛を提供する飲食店の出店も行っています。さらに、現地の国立大学と協定を結び、優秀な人財を毎年日本に派遣してもらっており、今は20名ほど(ベトナム獣医師)が在籍しています。
海外は香港とベトナムに拠点を持ち、輸出先は19カ国に上ります。現在、外食事業は3店舗、2025年はインドネシアに1店舗できる予定です。
人の成長が全て。学ぶ機会をつくりやる気スイッチを入れる
若松 海外を見据えるとマーケットが広がります。日本は世界のGDP(国内総生産)のわずか4%しかないため、残る96%の中で、どのように持続的に成長していくかが重要です。今後、さらなる成長を目指すには人財づくりが欠かせません。人財づくりや組織づくりについてお聞かせください。
上村 人の大切さは若い頃から身に染みています。ただ、タナベコンサルティングとお付き合いをする以前は社内に教育制度はなく、私が講演会や書籍から学んで人財育成をしていました。そんな中、「人はやる気スイッチが入って初めて成長する」とある講演で聞き、そうした機会をつくる大切さに気付かされました。
今はタナベコンサルティングに協力いただきながら、社内外の研修を年間約90回実施し、キャリアアップを後押ししています。例えば、「チームリーダースクール」や「幹部候補生スクール」に送り出したり、次世代の人財を育成する「ジュニアボード」を実施したりと、学ぶ機会を増やすことで人が育ってきたと感じています。
特に、ジュニアボードは3年目になりますが、当初15名だったメンバーは9名まで絞り込まれました。また、「世界中の人に生産者の想いと美味しさをつなぎ、喜びと元気を提供する」というグループの使命を学ぶフィロソフィ研修を、東京や大阪、鹿児島で実施し、約25名が参加しています。
若松 経営者人材の育成は社長の仕事。6次化スタイルの中で人財を育成することが大事です。食品業界は原材料の仕入れや加工、販売など、まったく異なる機能別ノウハウを全て網羅し、掌握しなければなりません。バリューチェーンが非常に高度です。飼育や仕入れを誤れば在庫過多に陥りますし、販売を分かっていないと仕入れ量や加工量を決められません。「農業6次化イノベーション研究所」などの研究機能の強化で、高度に融合させていくブランディング、発信が必要だと思います。
最後に、カミチクグループの今後のビジョンをお聞かせください。
上村 農業や畜産という言葉ではなく、「食料産業化」というキーワードを掲げています。世界では食糧危機が始まっていますが、それは九州エリアにとってはチャンスになる。すでにいくつかの国からお声掛けをいただいており、カミチクグループのノウハウがあれば間違いなく「世界のカミチク」になれると確信しています。
食料産業化とは、つまり6次産業化です。製造・加工・販売の一貫体制を構築したことで、1次産業において低コスト化や安全・安心・美味な食を実現し、さらに、2次産業の製造加工で付加価値を付け、外食や小売り、通販、輸出も含めた3次産業で売り切る。そこを追求していきたいと考えています。
若松 九州はアジアに近く、世界市場を見たときに地の利がある。今はチャンスと言えます。今日は対談を通して元気と勇気をいただきました。素晴らしいお話をありがとうございました。
カミチクホールディングス 代表取締役社長 上村 昌志(かみむら まさし)氏
1958年鹿児島県生まれ。鹿児島県立鹿児島南高校卒業後、鹿児島経済大学(現鹿児島国際大学)入学。中退後、群馬県の全国食肉学校に入学し、食肉加工について学ぶ。1980年有限会社今村フードに勤務後、1982年有限会社牛専を共同設立。1985年4月有限会社上畜(現カミチク)を創業。
カミチクグループ
- 所在地 : 鹿児島県鹿児島市谷山中央1-4389
- 創業 : 1985年
- 代表者 : 代表 上村 昌志
- 売上高 : 604億円(2024年12月期)
- 従業員数 : 1500名(2024年12月現在)
若松 孝彦 わかまつ たかひこ
タナベコンサルティンググループ タナベコンサルティング 代表取締役社長
タナベコンサルティンググループのトップとしてその使命を追求しながら、経営コンサルタントとして指導してきた会社は、業種・地域を問わず大企業から中堅企業まで約1000社に及ぶ。独自の経営理論で全国のファーストコールカンパニーから多くの支持を得ている。
1989年にタナベ経営(現タナベコンサルティンググループ)に入社。2009年より専務取締役コンサルティング統轄本部長、副社長を経て2014年より現職。2016年9月に東証1部(現プライム)上場を実現。関西学院大学大学院(経営学修士)修了。『チームコンサルティング理論』『100年経営』『戦略をつくる力』『甦る経営』(共にダイヤモンド社)ほか著書多数。
タナベコンサルティンググループ(TCG)
大企業から中堅企業のビジョン・戦略策定から現場における経営システム・DX実装までを一気通貫で支援する経営コンサルティング・バリューチェーンを提供。全国800名のプロフェッショナル人材を有し、1957年の創業以来17,000社の支援実績を持つ日本の経営コンサルティングのパイオニアであり、東証プライム市場に上場しているファームである。