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研究リポート

食品価値創造研究会

AI・IoT・DX・フードテックなどの新たな潮流が、食品業界においてもさまざまなイノベーションを起こしています。新市場創造の最新事例を学びます。
研究リポート 2024.07.23

120年超の歴史を持つ老舗洋食店の社会貢献

日比谷松本楼

【第2回の趣旨】
タナベコンサルティングの今期の食品価値創造研究会は、「アフターコロナのEATトレンドを学び、持続可能な食事業に進化する」をテーマに、従来の常識・手法・商習慣に捉われることなく、「食のEAT視点」で先進企業から学びを得ることにより、アフターコロナ環境を乗り越え、持続可能な食事業に進化することを目指している。
第2回は『「時間(トキ)・ヒト・モノの流れ」が作る食の新結合』をテーマとし、「食の温故知新」×「歴史を通しての現業態」を学ぶべく3社を訪問。これまでの歴史があってこそ今があることを体感するとともに、今後どのような未来を描くのか、各社の取り組みに学んだ。

開催日時:2024年4月18日(東京開催)

 

 

 

 

 

株式会社日比谷松本楼
代表取締役社長 小坂 文乃 氏

 

 

はじめに

 

日比谷松本楼は、1903年、日本初の洋式公園である日比谷公園とともにオープンした3階建ての老舗洋食店である。当時、武家屋敷が多かった日比谷を「西洋文化の発祥の地にしたい」という明治政府の考えで作られた日比谷公園には、洋式公園の3つの条件(①花壇があり、西洋の花が整然と植えられている、②音楽が聴けるところがある、③食事ができるところがある)が必要だった。このうちの③を実現すべく営業権を取得したのが、日比谷松本楼の創業者・小坂梅吉氏だった。

 

以来、120年以上にわたって多くの人に親しまれている日比谷松本楼の歩みと、大切にしているおもてなしの心について、4代目社長の小坂文乃氏に講話いただいた。

 

 


日比谷公園にある日比谷松本楼。1階はカジュアルな洋食、2階は各種宴会、3階は本格的なフランス料理を楽しめる

 


 

まなびのポイント1:長く存続する企業がなすべき「社会への恩返し」

 

日比谷松本楼は、詩人・高村光太郎の「智恵子抄」や夏目漱石などの作品に舞台として登場するなど、文豪にも愛され、「松本楼でカレーを食べてコーヒーを飲む」ことが当時の流行になるなど、おしゃれな店として評判を呼んだ。

 

その後も、戦中・戦後のさまざまな歴史とともに歩んできた日比谷松本楼は、「公園の中で気軽に食事を楽しめる場所として、ゲストをおもてなしの心で迎える」というホスピタリティー精神を脈々と受け継いでいる。毎年9月25日に同社が開催する「10円カレーチャリティー」にも、その精神が表れている。

 

このチャリティーは、1971年に放火で焼失した日比谷松本楼が、1973年9月25日に再オープンした際、感謝の気持ちを込めて始めたもので、2023年で51回を数え、既に3000万円近くの寄付金を集めている。同社は、こうした「社会への恩返し」が、長く存続する企業のなすべきことと考えている。

 

 

 


1973年から50年以上続いているカレーチャリティー

 

 

 

 

まなびのポイント2:「仕事+仕事」ではなく「仕事×仕事」

 

小坂氏は、おもてなしの心を受け継ぎ、守り、後世に伝えていくだけでなく、新しい取り組みも行っている。その1つが、「にっぽんの宝物 JAPANグランプリ」の審査員だ。

 

このグランプリは、日本の各地方にある“隠れた宝物”(=食・工芸・雑貨・観光など)に光を当て、地方の商品を全国・世界レベルのヒット商品に育てるプロジェクトのアワードである。日本各地の素晴らしい食材を、「食」を通じて発信し、生産者と消費者に喜びを提供しようとする日比谷松本楼の考え方に通じるものがある。

 

また、同社は2023年8月に4年ぶりに開催された「日比谷公園丸の内音頭大盆踊り大会」の実行委員会事務局も担っている。この大会は、1923年の関東大震災や1929年に始まった世界恐慌を乗り越えようと、 1932年に日比谷・丸の内の商店主が発案した「丸の内音頭」で日比谷公園において盆踊りをしたのがきっかけで続いている大会で、今の「東京音頭」の原型である。

 

一見するとビジネスと関係のないことのようだが、「歴史という縦軸、人のつながりという横軸が掛け合わさって、日比谷松本楼を支えている」と小坂氏は語る。「仕事+仕事」という足し算でなく、「仕事×仕事」という掛け算により、同社は今後も、日比谷松本楼としてできること、社会貢献としてできることを増やしていく考えだ。

 

 


「松本楼のハイカラ料理」として長く愛されている昔ながらの味