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100年先も一番に
選ばれる会社へ、「決断」を。
【特集】

未来へつなぐ事業承継

2025年に日本の6割以上の経営者が70歳を超え、127万社が後継者不在と言われる中、次期社長の社内登用や外部招聘によって「所有と経営を分離」する事業承継が増えている。単に今の事業を引き継ぐのではなく、100年先を見据えていかに成長させるか。 そのことを経営目線で考え、未来を描いて自社と事業を継承していく「MIRAI承継」のメソッドを提言する。
2024.03.01

人と組織文化、ブランドを生かすM&Aが奏功:地球の歩き方


地球の歩き方 代表取締役社長 新井 邦弘氏

海外旅行者のバイブルだった「地球の歩き方」が、学研グループに事業譲渡されてから約3年。一時は存続の危機に見舞われるも、人と組織文化、ブランドを生かしながら、見事なV字回復を果たした。コロナ禍で培ったチャレンジ精神と経営目線は、企業再生と今後の成長の跳躍台となる。

 

 

コロナで市場が消滅し、事業譲渡を決断

 

2020年春。新型コロナウイルスの感染が拡大する中、1979年の創刊以来、バックパッカーをはじめとした海外旅行者のバイブルとして親しまれていたガイドブック「地球の歩き方」が、大きな試練を迎えていた。パンデミックにより海外渡航が規制され、売れ行きは瞬く間に減速。2020年4月から12月の売り上げが前年比95%減という、発刊以来最大の危機に陥っていたのだ。発行元であるダイヤモンド・ビッグ社での事業継続は極めて難しい状況になり決断したのが、大手出版社・学研グループへの事業譲渡だった。

 

事業譲渡が正式発表されたのは2020年11月。新会社「株式会社地球の歩き方」を設立し、そこで事業を承継する話が進んでいた。学研ホールディングスの新井邦弘氏が新会社社長就任の話を受けたのは、その前週だったという。長く編集畑で活躍した後、グローバル戦略室長として海外法人のM&Aなどを手掛けた経験を買われての抜擢だった。

 

「学研側には、取材力を駆使して読者に寄り添った本づくりをしてきた『地球の歩き方』を、ブランドを含めて引き継ぐという考えがありました。ダイヤモンド・ビッグ社も、同じ出版社の学研なら『地球の歩き方』が長年培ってきた文化を継承してくれるという考えがあったのだと思います」(新井氏)

 

M&A後、地球の歩き方を学研グループの事業部に組み込む方法も考えられたが、学研側が選んだのは新会社設立による事業承継だった。吸収合併などではなく、ブランドや人材、組織文化を新社でそのまま引き継ぐスタイルは、塾業界をはじめ多くのM&Aを手掛けてきた学研グループのセオリーでもあった。

 

例えば、学研グループのM&A先の中には地方の学習塾が複数あり、どこもそれぞれの地域で名前が知られていた。それらの塾には「学研」の冠を付けることなく、旧社のブランドや社名、組織をそのまま生かしながら新社で事業承継をしてきたのだ。

 

「『地球の歩き方』は40年を超える歴史と、多くの読者から支持されるブランド力があります。いわば、海外旅行者のインフラとしての地位を確立してきたのです。学研グループの事業部に組み込むのではなく、ブランドや組織文化を生かして再スタートを切るというのは自然な流れでした」(新井氏)

 

相手をリスペクトして受け入れ、対等な立場で向き合い、コミュニケーションを繰り返して信頼を獲得する。そうした学研グループの「M&A哲学」がベースにあったのである。

 

 

新事業、原点回帰がV字回復の起爆剤に

 

2021年1月には新社として事業を開始したものの、海外旅行という市場が消滅した状況に変わりはない。

 

「モノ作りに忙殺されていた職場でしたが、否応なしに時間的な余裕ができたので、自社の強み、弱み、コアコンピタンス、事業ポートフォリオなどを全社員でじっくり考える時間を取りました。10年先の業界や自社を予測し、ブランドを維持し、価値提供するには、自社がどう変わらないといけないのか。厳しい出版業界で『なくてはならない媒体』と言われるには、どう変わっていくべきか。在りたい姿に向け、バックキャスト思考で今年はどうすべき、数年後にはどうすべきか、みんなで愚直に考えていきました。

 

40年以上も盤石な事業を続けてきた企業でしたから、社員は自社の将来について突き詰めて考える機会が今までになかったようですが、自分事として前向きに考えてくれる人が多かったです。結果的に、社内で在りたい姿が共有でき、共通言語が増えました。社員にとっては少し先のことを考える目線が身に付きましたし、私にとっては社員一人一人を知る機会となり、有意義な時間でした」(新井氏)

 

こうした内省を踏まえ、同社は新ビジネスとして国内版のガイドブック制作に本格着手した。「地球の歩き方 東京」を皮切りに「多摩地域」「京都」「沖縄」「北海道」、そして1000ページを超える「日本」など、次々と国内版を発刊している。

 

「売り上げ95%減を経験しており、底を打っている状態ですから、新規事業への迷いはありませんでした。もちろん予算管理などは徹底しますが、『迷うぐらいならやってみれば』といった感覚で、大きなハードルを感じることなく新規ビジネスに挑戦できました」(新井氏)

 

厳密に言うと、東京版は2020年夏開催の東京オリンピック・パラリンピックを見据え、旧社時代から企画されていたものだった。コロナ禍の影響で大会は翌年に延期となり無観客開催となったものの、東京版は10万部を超える大ヒットになった。購入者層の大半は東京都民で、「地元の魅力やスポットをもっと知りたい」というニーズが想像以上に多かったという。

 

さらに、読者から予想外の反応も得た。主に東京都多摩地域に住む人々から、「東京版なのに多摩地域の情報がない」「多摩地域のガイドブックはないのか」という意見が寄せられたのだ。これを受けて多摩版を出版したところ、こちらも想定を上回るヒット作になった。購入者層の9割を多摩地域の人々が占めており、国内版の場合、地元愛のある住民が積極的に購入していることに気付いたという。

 

また、2022年9月に発刊された日本版は、1000ページを超え、価格も3300円という常識外のガイドブックだ。そもそもガイドブックは旅に持っていくためのものなので、コンパクトな体裁が多い。しかし、情報のボリュームと網羅性、「切符の買い方」「旅のマナー」など海外版でよく目にする体裁の踏襲など、「地球の歩き方」らしいつくりをあえて優先した。これが「地球の歩き方」ファンを中心に受け入れられ、「旅の最中ではなく、旅の前に読む本」として定着。こちらも11万部を超えるヒット作となった。

 

国内版と同時に、コラボレーション企画も積極的に展開した。まず、ミステリーマガジン「ムー」とコラボして、世界の不思議スポットを紹介した「地球の歩き方 ムー ~異世界の歩き方~」を発売。その後、人気漫画「ジョジョの奇妙な冒険」とコラボし、仙台をはじめ世界各国に広がる物語の舞台を網羅した「地球の歩き方 JOJO ジョジョの奇妙な冒険」を発売するなど、次々に新しい試みを実践し、ヒットを飛ばしていった。

 

海外旅行者にファンの多い「地球の歩き方」。学研グループへの事業譲渡後、新たな企画で次々とヒットを飛ばし、V字回復を遂げている

 

 

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