コミュニケーションを社内外で改善
安永氏が真っ先に着手したのは、目に見えないコンセプトを具体的な形にできるクリエーティブ・ディレクターの起用だった。築地本願寺のシンボルマーク、ロゴ、コーポレートカラー、外観・内観の設計など、隅々までコンセプトに矛盾しないデザインで統一することが、ブレることなく計画を推進していく要と考えたからだ。数社を招いてコンペを実施し、築地本願寺が実現したいことの本質を理解してくれるかどうかを基準に選定した。
「デザインの見た目も大切ですが、それ以上に重視したのは意思疎通がうまくいくかどうかです。丸投げは絶対に良くありません」(安永氏)
同寺では常に20以上のプロジェクトが動いているため、それぞれの広報物が不統一にならないよう、全てデザイナーの目を通して統一感をキープしているという。
とは言え、どんなに素晴らしい計画も、推進するのは現場の一人一人である。全体の7割が僧侶で、ビジネスの知識はほとんどなかった職員たちを、どのように活性化してきたのだろうか。
「PCを1人1台配布し、会議での書類配布をデータに統一するなど、最初はトップダウンでデジタルツールを導入しました。半年ほどですっかり定着し、ペーパーレスでの会議は当たり前になりました。慣れてしまえば、何百枚も書類をコピーするなんて、もう考えられない。『習うより慣れよ』です」と安永氏は話す。企業でいうところの「バックオフィスDX」といえよう。
また、問題解決思考を身につけるための研修やMBO(目標管理制度)も、少しずつ導入を進めた。1、2年目はプロジェクト推進会議を毎週開き、こまめに進捗をチェック。現在も月例の連絡会議でPDCAを回し続けている。
伝道企画部情報システム担当の僧侶・青木永生氏は、ゼロからCRM(顧客関係管理)やシステム開発を学び、今では外注先のSIer(システムインテグレーター)と円滑にやり取りできるまでに。リリースから2カ月で6500ダウンロードを突破した公式アプリの開発でも、中心的な役割を果たした。
「最初は右も左も分かりませんでしたが、プロジェクトを進めながら1つずつ手を動かして覚えました。僧侶として、社会でもっと力を発揮したいという一心で取り組んでいます。手軽に使えるアプリで“お寺は敷居が高い”というイメージを払拭し、『いつでも歓迎です』という私たちのメッセージをお届けできたら」(青木氏)
2017年、築地本願寺はアナログで記録していた門信徒のデータをデジタル化し、関係を深めていけるようCRMを構築。さらに2019年7月には、会員制度「築地本願寺倶楽部」を門信徒以外にも開き、葬儀などの仏事のみならず、結婚、けがや入院、介護、終活など、折々のライフステージに寄り添うサービスや情報の発信を行っている。入会金・年会費なしの同倶楽部には、2022年8月現在で4万1000人が入会。2024年末までに会員数10万人を目指すという。
地域との連携を積極的に広げているのは渉外チームだ。近隣の協賛店で築地本願寺倶楽部の会員証を提示すると、さまざまなサービスを受けられる。
「大切にしているのは、私が一人の参拝者だったらどう感じるかという視点です。自分だったら、お参りした後くつろげるカフェがほしい。自分だったら……という発想で、職員一同、アイデアを出し合っています」(安永氏)
新型コロナウイルス感染拡大をきっかけに、政府の緊急事態宣言下の2020年5月から始めたオンライン法要は、リピーターが続出。遠方の親戚同士が久々に集える喜びにあふれ、温かい雰囲気に包まれているという。「ミュート(消音)できるので、赤ちゃんが泣いていても気兼ねなく参加できる」と子育て世帯にも好評だ。
また、YouTubeで朝夕のお勤め(読経)をライブ配信。リアルでの参拝者は少ない場合20~30人だったが、オンラインでは毎回数百人が視聴する。通勤時間を活用したり、朝のBGMとして家で流したりする視聴者も多く、法話が終わると「心がスッキリしました」「今日も1日頑張ります」などのコメントが寄せられる。
こうした取り組みが実を結び、2022年の好意度指数は2018年比で10%向上した。目標の5%を大きく上回った形だ。安永氏は、「開かれたお寺」という明確なコンセプトの下、統一されたデザインでさまざまなメディアへの露出が増えていることが、好意度アップに貢献していると見ている。
「こうして親鸞聖人の教えが生活の一部となり、あらゆる人が心豊かに過ごせるようになることが私たちの真の目的です。人々と対話し、実際の生活の上でお役に立っていかなければ、寺としての存在価値はないと思っています」(安永氏)
営利・非営利にかかわらず、組織が衰退していく要因は「現実逃避」。持続的に発展していけるかどうかは、見たくない現実をどれだけ直視できるかにかかっていると安永氏は言う。経営目標は組織にとってプレッシャーとなるが、具体的な数値と対峙して初めて「達成するにはどうすれば良いか」という視点が生まれる。
築地本願寺の場合、グランドデザインとして基本計画を策定し、浄土真宗本願寺派の承認を得て予算を確保できたことが大きなアドバンテージとなっているものの、予算を切り崩していくだけでは、いつか尽きてしまう。キャッシュを増やさない限り、環境の変化に対応していくためのイノベーションへ投資はできない。
「これまでは布教所を立ち上げて門信徒を増やし、実績ができたら寺を建てるというのがスタンダードでした。つまり、グリーンフィールド投資だけだったわけです。しかし、現代は地価や物価が高騰し、膨大な初期投資が必要となる。これに代わる開教(布教)戦略が、スマートテンプル構想なのです」(安永氏)
「家」や「町内会」単位ではなく、多様な「個」とのつながりを深めていくことが不可欠な時代。築地本願寺が目指すのは、多様な個が集い合える「新しいコミュニティーづくり」だ。800年の伝統にあぐらをかかず、顧客起点でDXというツールを使い競争優位を磨く同寺の取り組みは、企業に大きな示唆を与えてくれる。
PROFILE
- 浄土真宗本願寺派 築地本願寺
- 所在地:東京都中央区築地3-15-1
- 創建:1617年
- 代表者:代表役員 宗務長 中尾史峰(2022年9月時点)
- 従業員数:160名(契約職員含む、2022年9月現在)