AI、IoT、5G――社会のデジタル化が加速する中、ITエンジニアの需要が急増している。2020年春、そんな引く手あまたのエンジニアを、従来の常識を覆す方法で育てる画期的な養成機関が開校する。
誰もが平等に挑戦できる教育の機会を提供する
広々としたフロアに、アップルのパソコン「iMac(アイマック)」311台が並ぶ。それぞれの前には、一心不乱にインターネットで何かを検索している若者や、数人が集まって意見交換をする姿が。
ここは東京・六本木のDMM.com(ディーエムエム・ドット・コム)が本社を構える高層ビルの一室。ただ、同社のオフィスではない。2020年4月以降に開校予定の「42 Tokyo」と呼ばれるITエンジニア養成機関の教室だ。2019年11月に第1期生の募集を始め、2020年1月から入学試験「Piscine(ピシン)」※が行われた。
「42」はフランス発のITエンジニア養成機関で、同国の実業家が誰でもITを学べる学校が必要との思いから、私財を投じて2013年にパリで開校(42本校)した。その後、2016年に米国のシリコンバレー校が開校し、現在は姉妹校も合わせると世界各地に15校が誕生している。卒業生はGAFAやIBM、ウーバー、Airbnb(エアビーアンドビー)、ルイ・ヴィトンなど各界で活躍中だ。
42の特徴は、「誰もが平等に挑戦できる教育の機会の提供」と「実践的で世界に通用する教育システム」が挙げられる。具体的には、学費完全無料、教室は24時間365日開放され、年齢・学歴・経歴・性別に関係なく平等に教育を受けられる。つまり、意欲さえあれば誰でもチャレンジできる権利が与えられる。
また、独自に開発したカリキュラムを導入し、授業も教師が学生に教えるという一方向的なものでなく、学生同士が学び合う「ピアラーニング」という方法を用いる。世界でも屈指の学歴社会、かつ移民問題も抱えるフランスでは、42の「学歴不問」と「学費完全無料」が大きな話題を呼んだ。
非営利型スクールの42 Tokyoを設立したDMM.comは、なぜ、この事業に参画したのだろうか。
「当社会長の亀山敬司が、42の理念である『誰にも平等に挑戦できる』という考え方に賛同したのがきっかけです。DMM.comでも、授業料が一切なく、給料を得ながらベンチャービジネスのノウハウや多様な考え方を知る『DMM アカデミー』という場を提供しています。卒業後は当社に入社しなければならないという制約もありません。そんな取り組みもあって42の理念に賛同して手を挙げたわけです。しかし、誰にでも開かれた学校である以上、ニュートラルな立場であることが望ましいので、一般社団法人を立ち上げて開校しました」
そう説明するのは、42 Tokyo事務局長を務める長谷川文二郎氏である。この長谷川氏もDMMアカデミーで学んだ一人だ。卒業してDMM.comに入社。その後、42の存在を知り、理念に共感してパリ本校で学んだ経験を持つ。
※フランス語で「スイミングプール」を指し、“溺れずに泳ぎきれるか”を試す含意がある
エンジニアの学び方を習得
独自の「問題解決型学習」
42 Tokyoは、青少年保護育成条例に配慮して入学資格を18歳以上に制限しているが、その他は海外の42と同様、学歴や性別、エンジニア経験の有無に関係なく入学試験を受けられる。初年度の入学試験では、大学生を中心とした若者から50歳代まで、プログラミングの経験がない人も多く受験するなど、その幅の広さから関心の高さがうかがい知れる。
42 Tokyoは企業の協賛金で運営され、マイクロソフトやグーグル、楽天、メルカリなどIT企業をはじめ、三菱重工、パナソニック、大阪ガス、日本航空、キリンなど多様な業種の企業が参加を表明している。各社は協賛金をはじめ教材や機器類(キーボードやマウスなど)を提供。自社の人材育成の一環として参画する企業もあれば、オープンイノベーションにつなげる狙いで参画する企業もあり、その思惑はさまざまだという。
では、42 Tokyoはどのような方法でエンジニアを養成するのだろうか。42が独自に開発したカリキュラム(教育課程)のため具体的なシラバス(授業計画)は非公開だが、エンジニアとしての学び方自体が学べる教育スタイルであり、最終的にエンジニアのライフスタイルが身に付く仕組みになっている。それを端的に表すのが入学試験の出題である。
「42で実践するのは問題解決型学習です。例えば、入学試験では『○○○を作れ』とだけ出題し、それ以外には何も指示しません。プログラミング未経験者は○○○の意味さえ分からないことが多い。そこで○○○の意味をインターネットで調べて、出題文の意味を探ることから始めます。一般的なビジネスシーンで例えれば、エクセルを使ったことがない新卒社員が、上司から『エクセルでこの統計をまとめてほしい』と言われた状態と同じ。でも、分からないなりにもエクセルを検索して、どんなソフトなのかを把握する。次に『計算』というキーワードで表計算の使い方を知るといった感じで、自ら学んでエクセルで計算して、統計データを作るプロセスと同じことを入学試験で行っています。そんな出題がズラリと並んでいるので、受験者はコツコツと解いていくわけです」(長谷川氏)
つまり、入学試験によって学習の仕方を学ぶことになる。入学試験の期間はなんと4週間も続く。当然、一つずつ解答していくにはタフさも問われる。そんな地道に努力する姿勢も自然と身に付くようになっているのだ。入学試験を通じ、ITエンジニアとしての学ぶ姿勢を学べることも、42の特徴と言えるだろう。
問題解決型学習&ピアラーニングのイメージ
出所:42 Tokyo
生徒同士が学び合うピアラーニングで腕を磨く
もう一つ、42が大切にしていることが「コードレビュー」だ。コードレビューとは、「作成したプログラムを動かすための設計図であるソースコードを、他者が見ることで問題のある記法やバグがないかを確認する」ことを指す。これは、プログラムの質を高めるために必要不可欠な工程だ。
42は出題ごとに必ずコードレビューを行う。コード作成者とは別の学生が、実際にプログラムが動くかを確認し、そのプロセスを作成者に伝えることを義務付けている。
「お互いにコードを見せ合うのですが、組み合わせもシステムでランダムにマッチングさせます。プログラミング経験のない者同士になる場合もあれば、プログラミング経験者と未経験者がレビューをすることもあります。相手の知識レベルによって説明の仕方も変わりますし、言葉の選び方も違うはずです。専門用語で伝わらない相手だと平易な言葉を使い、相手に分かりやすく説明しなければなりません。実は、こうしたコミュニケーションはITエンジニアが仕事をする時、日常的に行われていることです。そういう意味でも42での学び方は、ITエンジニアのライフスタイルを学ぶことなのです」(長谷川氏)
これこそ42が重視する、生徒同士の学び合いによるピアラーニングの実践である。コードレビューを繰り返し行うことで、互いに学ぶことを知るとともに、相手に伝える力や相手を理解する力など、コミュニケーション力を養うことにつながる。
入学試験期間中、ツイッター上ではハッシュタグ「#42Tokyo」が立った。そこでは試験に参加した人のつぶやきを数多く見ることができる。「めっちゃ頭が疲れた」「最後までなんとか頑張る」といったコメントもあり、かなりハードな試験であることがうかがえる。一方で、「コードレビューが楽しい!」「人それぞれの考え方が分かり勉強になる」といったつぶやきもあり、ピアラーニングの学び方に共感する書き込みも多い。
誰でもエンジニアを目指せる「42文化」を定着させたい
開校後、どのような流れでITエンジニアを育成するのだろうか。その前に、42のもう一つの特徴を知っておく必要がある。実は、42には「卒業」という概念がない。生徒自身が「42で何を学ぶのか」というゴールを設定し、それが達成できたと自分で判断すれば、やめて構わない。
「42は学位取得よりも、実践力を養う機関として位置付けています。ですから、自分が身に付けたいスキルを獲得したら社会に出るわけです。当然、一人一人のゴール設定は異なるでしょうから、まずはプログラミングの基本を学び、その後はネットワーク、マシンラーニングやデータサイエンスなど、生徒が進みたい分野を選べるようにしています」(長谷川氏)
ベーシックなカリキュラムは全世界の42で共通だが、専門的なカリキュラムは各校が独自に開発することもある。また、各地域の特性も反映される。例えば、米シリコンバレー校は、グーグルやアップルなどIT企業が地元に本社を構えることから、情報科学・統計学・アルゴリズムといったデータサイエンスに力を入れるなど、地域の産業特性が反映される。
このように自分が学びたい分野、どのようなスキルを身に付けたいのか、といった明確な目標を定めて42で学ぶ。当然、人によってスキルの上達スピードは異なるが、プログラミングの基本を学ぶには、半年から1年程度の期間があれば十分。さらに専門性を深めたければ2年程度が一つの目安だという。
「従来の大学や専門学校を否定するつもりはありませんが、ITエンジニアを目指す高校生にとっては、従来の大学や専門学校だけでなく、42 Tokyoという新しい選択肢が増えたことは間違いありません。今後は、“42文化”が日本に根付くように努力していきたいですね」(長谷川氏)
開校してすでに7年が経過したパリ本校は、GAFAやマイクロソフトなどに人材を送り出している。少子化と人口減で優秀なITエンジニア人材の育成が難しくなっている日本で、誰にも平等に門戸を開く42 Tokyoの果たす役割は大きい。同校がどのようなIT人材を輩出していくのか、今後の動向に注目が集まる。
42 Tokyo事務局長(兼DMM.comディレクター)の長谷川文二郎氏背後には42 Tokyoの主な参加表明企業一覧が。ITから電機、エネルギー、出版社まで多種多様な企業が見える
PROFILE
- 一般社団法人 42 Tokyo
- 所在地:東京都港区六本木3-2-1 住友不動産六本木グランドタワー24F
- 設立:2019年
- 代表理事:亀山 敬司
- スタッフ数:6名(2020年2月現在)