崎陽軒「昔ながらのシウマイ」豚肉と干し帆ほ 立たての貝柱の豊かな風味で、冷めてもおいしい、ひと口サイズのシウマイ。発売以来、変わらぬレシピで作り続けている
名物とは、地域に愛され、貢献する存在――。 横浜の人と街に密着し、伝統を守りながら、進取の気風で新たな食文化を創り出す「ローカルブランド」戦略とは。
日常の食文化として地域に定着した「1日2万5000食」
JRや東急、京急、相鉄、市営地下鉄に第三セクターの横浜高速鉄道も。一つの駅に国内最多の鉄道事業者が共存する横浜駅には、巨大なターミナルにふさわしい名物がある。崎陽軒の「昔ながらのシウマイ」と「シウマイ弁当」だ。
駅周辺だけで15店舗を数え、東口には本店ビルがそびえ立つ。そんな“崎陽軒ワールド”が全開の横浜駅を拠点に、同社は神奈川県・東京都など関東圏で約150店舗の直営店を展開。シウマイと弁当、点心、レストラン、ウエディングや宴会など五つある事業のうち、人気も知名度も抜群のシウマイと弁当が、売り上げの8割超を占める大黒柱である。
「シウマイ弁当は、1日の販売が約2万5000食。日本一売れている駅弁といわれています」。そう笑顔で語るのは、広報・マーケティング部の金田祐輔氏。「横浜名物=崎陽軒」と呼ばれる、高いブランド力を誇るのも納得の実績だ。だが一体、顧客に何を愛されて、そのブランド力が成り立つのか。そして、顧客とは誰なのか。その疑問をぶつけると、金田氏は歯切れ良く答えてくれた。
「地域の方々に支えられているんですよ。横浜市内や神奈川県内で暮らし、働くお客さまが、昼のお弁当に、帰宅時には夕食のおかずに、と買ってくださいます。駅弁だけでなく、ご家庭でも召し上がっていただける商品に育ったおかげです」
昼と夕方に2回の販売ピークを迎える他、朝も「ハマの朝ごはん弁当」を提供。地域の日常の食文化として定着した愛されるブランドということだ。そして、創業100周年から経営理念に掲げて目指すのが「ローカルブランド」戦略である。
特定地域への集中出店はドミナント戦略と似ているが、その実態は異なる。「シウマイも弁当も日持ちがせず、販売エリアを拡大できない一方で、限られたエリアでより多くのお客さまに、真に愛される、優れた存在になること。それがローカルブランドの狙いです」(金田氏)
食品の安全や鮮度という物理的な条件だけでなく、精神的にもローカルブランドを目指す理由がある。実は以前、包装技術の進歩で長期保存の真空パックが可能になったため、全国の小売店へ卸売りを始めた。だが、地方の店頭では「横浜名物」にふさわしくない販売が展開されたこともあった。また、「横浜土産に持参したのに『近所のスーパーで売ってるよ』と言われ、残念な気持ちになった」という声も寄せられた。
「かわいそうな売られ方も、喜んでもらえない悲しさも、お客さまと当社が共に、そうあってほしくないと願うこと。『長い目で見たときに、地域に愛されている価値、地元でしか買えない商品としての価値を優先し、大事にしていこう』と現社長の野並直文が決断しました」(金田氏)
その後、ウェブ通販や百貨店の名産品売り場などを除き、全国販売は大幅に縮小。取引拡大のチャンスロスには当然、葛藤があった。それでもあえて、目に見えやすい売り上げや事業の拡大だけでなく、自社が保有する価値を最大限に発揮し、地域貢献で存在感を高める道を選んだ。ローカルブランド戦略の本質は、その追求にあると言えるだろう。
崎陽軒「シウマイ弁当」シウマイの妹分として、1954年に登場したシウマイ弁当。崎陽軒のこだわりが詰まっている
シウマイ人気が定着した昭和30年代、横浜駅前に誕生した総ガラス張りの斬新な「シウマイショップ」(左)。たすきをかけ、手籠にシウマイを入れて売り歩く「シウマイ娘」(右)
「変えないこと」「あえて変えること」の
両方を実践し続ける
創業から111年、横浜名物の代名詞となった崎陽軒だが、1928年からロングセラーの「昔ながらのシウマイ」も発売当初は厳しい船出だった。
横浜・南京町(現・中華街)の焼売(シューマイ)にヒントを得て、駅弁らしく「冷めても、おいしい」「食べやすい、ひとくちサイズ」のシウマイを開発したのは、初代社長・野並茂吉氏だ。「小田原と言えば、かまぼこ。そんな名物をつくり、関東大震災の傷跡が残る横浜の復興を」との願いがあった。だが、販売は伸びず、飛行機で上空から無料引換券付きの宣伝ビラをまいたこともあった。
転機は戦後の1950年。横浜駅ホームの売り子に「シウマイ娘」を起用したことだ。「どうせ買うなら、シウマイ娘から」と人気を博し、一気に横浜名物へと飛躍を遂げた。
「シウマイ娘も、戦後の暗い世相を明るくしたいと考えた初代社長のアイデア。男性売り子が多い中、華やかな女性がおいしいシウマイを売っている、と評判になりました」と金田氏。4年後、大人気のシウマイをメインにした横浜の幕の内弁当「シウマイ弁当」を発売し、順調な売れ行きで、もう一つ、横浜名物が誕生した。
1955年には、白磁のひょうたん型しょうゆ入れ「ひょうちゃん」が登場し、シンボルキャラクターに。また、横浜駅東口に総ガラス張りで調理場の製造工程が見える、斬新なシウマイショップも竣工する。屋上で夜空にきらめくひょうちゃんのネオンサインとともに、会社の存在そのものが横浜のシンボルとなっていった。
ただ、ブランドは生き物だ。持続し高めるために、崎陽軒は「変えないこと」「あえて変えること」の両方を実践し続けてきた。豚肉と干し帆立貝柱のレシピと味わい、女性や子どもも食べやすい、ひと口サイズ。91年間、まったく変わらないのがシウマイだ。
「駅弁から始まった当社は、旅の記憶が味わいと結び付いています。時代に合わせて味を変えてしまうことで、お客さまの楽しい思い出まで、変えてしまわないように」(金田氏)
一方で、シウマイ弁当のおかずは変わり続けている。シウマイの数は5個に増量し、一時は姿を消した玉子焼きやあんずは復活を遂げた。何をどう変えるか。判断基準はもちろん、顧客の要望の声だが、さらに崎陽軒には経営トップが説き続け、社員の心にも根差す一つの思いがある。
「先輩たちが残したものではなく、目指したものを受け継ごう、と。シウマイをなぜ、作ったのか。横浜に名物がないなら、自分たちの手で作り、街を盛り上げていこう。その精神を受け継ぐということです」(金田氏)
古人の跡を求めず、求めたるところを求めよ――。古くからの訓えにもあるように、その実践がブランドに磨きをかける原動力となっている。
「崎陽軒LOVE」の顧客にはおなじみの「ひょうちゃん」(新元号記念バージョン)。しょうゆ入れとして社歴65年のベテランは「広報部長」にも任命されている
コラボレーションで客層を開拓
名物名所を創り、駅弁文化も継承へ
1世紀を超えていま、積極的に推進するのが、「崎陽軒×○○」のコラボレーション事業だ。FMヨコハマやJR横浜線、神奈川県警察、京急、三溪園、劇団四季にJリーグの横浜F・マリノス……。○○に横浜ゆかりのさまざまな人・企業・名所が名を連ねるコラボ商品や地域キャンペーンを展開している。創業110周年とシウマイ誕生90周年の節目を迎えた2018年には、地元情報誌とのコラボで記念誌『崎陽軒Walker』を発刊。各界の「崎陽軒LOVEな110人」のインタビューも掲載した。
また自社単独でも、熱々のシウマイをお酒と楽しむ「シウマイBAR」を中華街に開店。初めて商品化した「焼焼売」を、串に刺して食べ歩きができるなど、シウマイの新たなおいしさと楽しみ方のスタイルを提案する。
コラボ事業も、自社企画も、狙いは明確だ。「50歳代以上、高齢になるほど層が厚くなる」(金田氏)という客層分析から、ミドル世代(30~40歳代)を開拓して「崎陽軒LOVE」の裾野を広げることである。ただ、そこには「横浜の街を盛り上げる」という大前提がある。
シウマイBARや食べ歩きには、国内観光客の人気は高いがインバウンドで苦戦する街に楽しめる選択肢を、との狙いもある。それは「崎陽軒はナショナルブランドをめざしません。真に優れた『ローカルブランド』をめざします。」という創業100周年宣言とともに経営理念に掲げる、「常に挑戦し『名物名所』を創りつづけます。」との誓いを体現している。
導きのヒントとなるのは、顧客と社員の声だ。直営店の強みを生かし、新商品への反響は店頭に立つ販売員が開発担当や営業担当へ報告。さらに、定期的に社員と語り合う社長ミーティングも開催。「生の声」に絶えず耳を傾ける仕組みが確立されている。
駅弁から、地域に愛される“街弁”となり、横浜の名物へ。崎陽軒が築いてきたブランドは、震災や戦災、列車の高速化や駅停車時間の短縮による駅弁需要の減少という逆風を乗り越えた証しでもある。実はいま、駅ナカの充実やコンビニの台頭などで手軽な食の選択肢が増え、新たな「駅弁危機の時代」を迎えている。
「駅弁という地域の特色ある文化は、世界的にも日本にしかないブランド。横浜の駅弁として生まれた私たちが、駅弁ブランドを盛り上げていく力になれたら」と金田氏。崎陽軒のシウマイと、日本の駅弁文化。ローカルブランドがグローバルブランドになる挑戦は、道のりを重ねながら、どちらも現在進行形だ。
崎陽軒 広報・マーケティング部 金田 祐輔氏
PROFILE
- ㈱崎陽軒
- 所在地:神奈川県横浜市西区高島2-12-6
- 創業:1908年
- 代表者:取締役社長 野並 直文
- 売上高:245億円(2019年2月期)
- 従業員数: 1966名(2019年6月末現在)