
1952年に開発した「お好みソース」は、全国のスーパーの約85%で取り扱われている。鉄板で焼いたような香ばしい風味の「焼そばソース」や、本格的なお好み焼きが作れる「お好み焼こだわりセット」も人気
2022年に100周年を迎えるお多福グループ。オタフクソースを中核として成長を遂げながら、創業の精神を共有できる仕組みと社風づくりで一体感のあるグループ経営を実践している。
原爆投下により焼け野原になった広島で、米軍から支援物資として配給されたメリケン粉(小麦粉)を、鉄板一枚で調理できる手軽さから生まれた「広島お好み焼き」。このお好み焼きに合うソースが欲しいというお好み焼き店の要望に応えてオタフクソースが開発したのが、従来のウスターソースよりも塩分と酸味が控えめで、とろみのある「お好み焼用ソース」だ。以来、広島のソウルフードであるお好み焼きとともにオタフクソースは歩み続けてきた。
オタフクソースの前身である佐々木商店が創業したのは1922年。今から100年前のことだ。酒としょうゆ類の卸小売業としてスタートし、その後、醸造酢の製造を手掛けて、1952年に「お好み焼用ソース」を発売。ソースのコク深い甘みを出すため1975年にはデーツ(ナツメヤシの実)を原材料に加え、1982年には業界に先駆けて樹脂容器「フクボトル」を採用するなど、商品を改良してきた。
広島お好み焼きの広がりとともに始めた、お好み焼き店の開業希望者を対象とする「お好み焼研修センター」や、スーパーマーケットでのお好み焼きの実演販売などが知名度の向上につながった。現在、「お好みソース」(1957年に「お好み焼用ソース」から改名)は全国のスーパーの約85%で取り扱われる商品として確固たる地位を築いている。
いまや国内に4社、海外に3社ある事業会社を支えるオタフクホールディングスが、2009年に持ち株会社制へと移行し、現在の社名に変更したのは2014年のことだった。
「関連会社が増え、各社が部分最適になってきたので、全体最適化を図るためホールディングスへと移行しました。また、管理部門はシェアードサービスにした方が効率的だという判断もありました。現在は、創業者の佐々木清一の孫の世代、つまり3世代目が経営を担っています。4世代目への事業承継を考えたときに、数ある会社の株を1社ごとに相続するより、まとめて相続した方が節税できるという側面もありました」
ホールディングス化の背景をそう説明するのは、オタフクホールディングスの代表取締役社長の佐々木茂喜氏だ。グループの中核会社であるオタフクソースの6代目社長だった佐々木氏は、2009年からオタフクホールディングスの代表を兼任。2015年にオタフクソースを7代目へ譲ってからは、よりグループ経営への移行に注力している。(【図表1】)
【図表1】グループ組織図

出所:オタフクソース企業ホームページと取材内容を基にタナベ経営作成

お多福グループは、世界中の現地にある食材で作ることができるお好み焼きを、さまざまな境界線を超えていく「BORDERLESS FOOD(ボーダレスフード)」と呼ぶ
オタフクホールディングスには、総務・人事・財務・広報・経営企画・リスクマネジメントの6部門がある。設立当初は、グループの基幹事業会社であるオタフクソースの管理部門スタッフが横滑りで担当したが、今では各事業会社の社員との人的交流も図っているという。
「ホールディングカンパニーの社員は、ともするとエリート意識を持ってしまいがちです。そうならないために徹底しているのは、私たちが『サービス会社』であるという意識を持つこと。サービスを提供する事業会社に足を運び、現場の課題を聞いてサポートする体制を整えています。また、事業会社の社員がホールディングスの社員になることもありますが、こうしたことができるのは、グループ内の給与や人事評価基準、そして福利厚生が同じだからです」(佐々木氏)
お多福グループは、「現場」「現物」「現実」の三現主義を貫いてきた。その伝統を引き継ぐホールディングスの社員は、足しげく各現場に通い、現物を見て、現実を把握する。また、グループ各社の給与体系や福利厚生を平準化することで、人的交流を盛んにするとともに、働く環境の改善にも役立てている。
例えば、同グループは「おもてなし経営企業選」「健康経営優良法人」(ともに経済産業省)、「えるぼし認定」(厚生労働省)など、さまざまな評価を受けている。こうした認定制度への挑戦により、働き方改革やワーク・ライフ・バランスなど、時代の要請にも適応してきた。認定取得には、オタフクホールディングスの総務や人事部門の強いリーダーシップがあったという。
数々の取り組みの中でも、同社へ特に大きな変化をもたらしたのが、ダイバーシティーの推進だ。現在は知的障がいのある社員を「メイト社員」と呼び、共に業務に当たっている。
「作業の範囲を限定することなどで、知的障がいのある方々が働ける環境を築いてきましたが、思わぬところで良い効果が生まれています。それは一生懸命に働く知的障がい者の姿を見て、健常者の社員が優しくなったこと。さらに知的障がい者の親御さんにも、子どもたちが自立していける場を得たことで安心していただけるなど、企業の社会的貢献を果たせていると感じます」(佐々木氏)
お多福グループが100年もの間、順調に成長してきた要因は「理念の実践にある」と佐々木氏は断言する。使命感(Mission)の「食を通じて『健康と豊かさと和』をもたらし、笑顔あふれる社会に寄与します」を筆頭に、「私たちの誓い(Value)」「私たちの行動指針(Action)」など5つの項目から成る。(【図表2】)
この理念の多くは、創業者の人生訓に基づいて策定されたもので、時代が変わっても脈々と受け継がれてきた。しかし、社員数が増えると一人一人との理念の共有が難しくなる。この課題を解決するために、オタフクホールディングスではグループ社員が理念への理解を深める機会を数多く設けている。
「朝礼での唱和だけでなく研修を行うなど、理念について考える時間を大切にしています。その代表的な例が『ミッション語り場』。部署や年齢にかかわらず理念について対話をします。しかも、語り合う場はオフィスや工場ではなく非日常空間(コロナ禍以前)。当社の社員研修・福利厚生施設である『清倫館』で合宿を行い、五感を磨きながら理念を共有しています。なぜ、非日常空間で理念共有を行うかというと、海外旅行の思い出を忘れないのと同じで、記憶と記録に日常よりもはるかに深く刻み込めるからです」(佐々木氏)
同社には「ミッション語り場」のほかにも、自由に意見を言い合う部門横断的な「わいがや道場」、人間性を豊かに育む知識や専門性を身に付ける「創藝塾」などがある。これらの活動を、理念共有だけでなく、社員の一体感を醸成する社風づくりの一環と位置付けている。
こうした機会によって生まれるのが、社員の「我が事意識」である。会社のことを我が事と捉えて、何事においても主体的に取り組む。例えば、誰かが指示しなくともあいさつや掃除なども全て我が事として社員が率先して行う。この意識が同グループの理念の具現化であり、企業文化として浸透し、「お多福グループらしさ」へとつながっている。
【図表2】お多福グループ企業理念

出所:オタフクソース企業ホームページより