人は何を得たときに幸福感を抱くのだろうか。まず、「金、モノ、社会的地位」が頭に浮かぶ人は多い。往年のビジネスパーソンは、それを得るために熾烈な競争に挑んできた。こうした他人と比較して優越感が得られる財を、経済学では「地位財」と呼ぶ。確かに人より給料が上がったり、早く昇進したりすると幸せな気分になる。ただ、その幸せが長く続かないことは、多くの読者も経験的に分かっているはずだ。
「米プリンストン大学名誉教授でノーベル経済学賞受賞者のダニエル・カーネマンらの研究によると、『感情的幸福』(現在の感情から幸福度を測る指標)は所得に比例しながら増していくものの、年収が7万5000ドルを超えると、頭打ちになることが判明しました。物価の違いや為替レートを考慮すると、日本では年収600万円くらいから幸福感が薄れていくと考えられます」と前野氏は述べる。
一方、他人や周囲と比較することなく幸せな気分になるものを「非地位財」と呼ぶ。自由や自主性、愛情、社会への帰属意識といった「心・安全・健康」が挙げられる。非地位財による幸福感は濃密で長続きするのが特徴だ。いま、重視されているのは、非地位財によってもたらされる長続きする幸せである。
「江戸時代の安定した経済下では『武士は食わねど高楊枝』といわれたように、貧しい環境にあっても高い精神性を持っていたら幸せとされました。ところが、明治維新以降はインフラを整え、産業を強化して国力を高めるために国家は地位財の獲得を促し、物質的に豊かになることこそが幸せとされました。特に、先の大戦後はその傾向が顕著になり、バブル景気に沸いた頃は地位財による長続きしない幸せが供給され続けたのです。
そしてバブルがはじけ、高い経済成長率が望めない時代に入ると、“幸せの見直し”が始まり、非地位財型の幸せがクローズアップされてきました」(前野氏)
米国の研究では、幸福度の高い社員はそうでない社員より「創造性は3倍、生産性は1.3倍高く、同僚のサポートにも積極的。欠勤率や離職率は低く、上司や顧客から高い評価を受ける傾向がある」と判明。そして、社員の幸福度が高まる→社員の創造性や生産性が高まる→会社の業績が向上→社員の給料が上がるというサイクルも実証されつつある。
それでは、真の幸せは何によってもたらされるのだろう。前野氏は「因子分析によって導き出された『幸せの4つの因子』を満たすことが幸せの鍵を握る」と述べる。
因子分析とは、コンピューターによる数値解析の一種で、複雑に絡み合った現象をシンプルな構造にモデリングする手法だ。まず、過去の研究結果から長期的な幸せに影響することが判明している心的特性をピックアップし、アンケートを作成。それを1500名の日本人に実施した結果を解析したところ、左ページの「4つの因子」が抽出されたという。
全ての因子を満たしている人は幸福度が高く、どれかが欠けていると幸福度は下がり、どの因子も満たしていない人は一番不幸という結果が出たと前野氏は話す。
「自分が楽に対応できる因子から高めていけばよいでしょう。お勧めは『ありがとう!』因子です。軽い気持ちで誰かと会話を交わすと新しい情報が入ってきて、やる気が出たり、なんとかなると思えたり、自分らしさを意識できたりします。人付き合いが苦手なタイプは、まず『やってみよう!』因子を高めることに専念しましょう。それで良い結果が出たら、外へ向かって発表したくなったり、前向きな考えが醸成できたり、自分を見直したりできます」(前野氏)
社員を幸福にするために、会社は何をすべきなのか。
「まず、社長が『社員を幸せにする』と本気で思うことです。次は対話、コミュニケーションの促進。『会社の強みってなんだろう』『感謝をどう表現すればいいのだろう』『社会貢献ってなんだろう』といった雑談みたいな対話を経営者と社員、また社員同士が交わす機会を設けてください。さらに、理念は重視すべきですが、ルールやマニュアルは最小限に抑えること。やらされ感をなくし、自ら考えて行動する環境を整えましょう」(前野氏)
前野氏が企画委員に名を連ねる「ホワイト企業大賞」の受賞企業は、社員の幸福度を高めるヒントに満ちている。ホワイト企業とはブラック企業の対極で、「社員の幸せ、働きがい、社会貢献」を追求する企業だ。
例えば、徳島県徳島市に本社を置くねじメーカーの西精工は、「日本経営品質賞」(2013年度)も受賞した優良企業。朝礼に毎日1時間弱を費やし、フィロソフィー(企業哲学)に基づくディスカッションを行っている。この対話型の朝礼は社員から絶賛され、「毎週月曜日、出社するのがワクワクする」というアンケートの設問に「(非常に)そう思う」と答えた社員は全体の90%を超えたそうだ。
また、長野県伊那市に本社を置く伊那食品工業は、業務用寒天メーカーから総合ゲル化剤メーカーへと成長を果たした企業。同社では、東京ドーム2個分の広大な庭を社員が自主的に清掃している。作業の担当は決まっておらず、皆に気を配りながら役割分担して清掃を進めていく。周囲に気を配りながら利他的な行為を行うので、幸せの条件を満たすと同時に経営者的な判断を身に付けたり、信頼関係を築いたりできるとのことだ。
前野氏がホワイト企業大賞にノミネートされた企業の因子分析を行ったところ、「3つの因子」が抽出された。左ページを参考に、自社のホワイト具合をチェックしてほしい。
「社員を厳しく追い込んで成果を求める方法では、短期的に収益を上げられても決して長続きしません。時代の変化に適応したアイデアやイノベーションの源泉となる創造性も、すぐに枯渇します。100年経営といった長い目で見れば、幸せの経営に徹した方がより持続的で安定的な成長を見込めることは確実。人として幸せな社員こそ、企業の戦力になります」と前野氏は力強く語る。
PROFILE
- 慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科委員長 教授
ウェルビーイングリサーチセンター長
前野 隆司(まえのたかし)氏 - 1962年、山口県生まれ。東京工業大学工学部卒業、同大学修士課程修了。キヤノン入社後、カリフォルニア大学バークレー校客員研究員、ハーバード大学客員教授、慶應義塾大学理工学部教授等を経て、2008年より現職。研究領域は幸福学、システムデザイン・マネジメント学、イノベーション教育と幅広い。『幸せのメカニズム』(講談社現代新書)、『システム×デザイン思考で世界を変える』(編著、日経BP社)、『実践ポジティブ心理学』(PHP新書)、『幸福学×経営学次世代日本型組織が世界を変える』(共著、内外出版社)など著書多数。