サザビーズの教育機関
2人目は、英国・ロンドンにあるサザビーズの芸術大学で教壇に立つフェデリカ・カルロット氏だ。彼女もラグジュアリー分野の人材教育に携わっている。
カルロット氏はイタリアのヴェネツィア大学で日本語を学んだのち、ファッションに強い文化学園大学で「日本におけるメード・イン・イタリー」をテーマに修士・博士課程を終えた。イタリアに戻ってからは2つの大学で異文化コミュニケーションを教え、英国の大学院でMBA(経営学修士)を取得した。
サザビーズの学校は、社内でアート専門家を育成する目的で50年前に始まり、その後、外部へも開かれた教育機関となった。したがって、カリキュラムは「アートや人文学をコアにしたハイエンドの文化産業」がコンセプトになっている。
コースは、ラグジュアリーを社会史的に捉えるところから始まる。どのようにラグジュアリーの社会的意味が変化してきたかを教え、その上で現在のブランドマーケティングやファイナンスなどを学ぶ。
6カ月のコースでは、受講者は10歳代の終わりから50歳代までと年齢層が広い。すでにアート業界で働いている人、MBAを取得している人、修了後に職業を変えてラグジュアリーで働きたい人のほか、例えば、建築を勉強した後にラグジュアリー店舗の設計を専門とするために学ぶ人、あるいはワインをよりハイレンジの商品として売るために勉強する南米出身の学生もいる。もちろん、企業人がビジネスの幅を広げる必要から派遣されることもある。
イタリア人であるカルロット氏に、まずはフランスとイタリアのラグジュアリーの違いについてコメントをもらった。
「イタリアのラグジュアリーの特徴は、手仕事の強調、つまり、ディテールへのこだわりから始まったところにあります。また日常生活を心地よく過ごす点に重きが置かれた『誰もが接触できる、日々のラグジュアリー』であることです。これは、19世紀の貴族性に重心を置いたフランスのラグジュアリーに対抗するといった背景があります。
言うまでもなく、フランスにも手仕事の伝統はありますが、貴族性がより表に出やすい文化なのです。また、ラグジュアリーに関するさまざまな言葉が厳密に定義されていています」(カルロット氏)
厳密性が、フランスのラグジュアリーを「選別的なステータスを導くもの」としての認知に貢献した。しかし同時に、新しい定義を容易に受け入れにくい土壌をつくった。この特徴が、イタリアに比べ、ラグジュアリーのスタートアップ企業が育たない要因となっているかもしれないという。
「イタリアのラグジュアリーは生産サイドに重きを置きます。生産サイドの占める割合が大きく、フランスの企業もイタリアに頼っていることが多いです。また、“テリトーリオ”という『地域を丸ごと視野に入れてケアする』との考え方が普及しており、社会的責任を意識していることも特徴として挙げられます。したがって、イタリアのラグジュアリーがサステナブルな社会を目指すのは当然の流れでしょう。
北欧は環境問題に端を発してサステナビリティーを掲げていますが、イタリアは風景や文化起点からサステナビリティーを重要視している傾向は注目に値します」(カルロット氏)
日本の大学にはラグジュアリーマネジメントコースがないが、その状況を彼女はどう見ているだろうか。
「私が日本で勉強した2005~2010年、ラグジュアリーに関する研究をほとんど見ませんでした。日本のクラフツマンシップや『おもてなし』はラグジュアリーだと思います。欧州の高級ブランドも素晴らしいサービスを提供しますが、日本のサービスは力の入れどころが違います。日本のディテールへのこだわりやアートは、世界各地にある多くのラグジュアリーの1つの極みだと言えます。しかし、この分野がラグジュアリーだと認識されていなかったのでしょう。
いま、クラフツマンシップをコアにしたラグジュアリーは中国で動き出しています。今後、国内市場だけなく海外市場にも進出していくのは明らかです。中国の歴史が分断的であるのに対し、日本の歴史は連続性があり、ラグジュアリーの要素となる信頼や伝統を築きやすいものの、今、それにふさわしい存在感がありません。これは、ラグジュアリーにこそビジネスチャンスがあるのだと、日本が認識していないことの裏返しです。ラグジュアリーは、それをつくっている人間が『ラグジュアリーである』と認識していないと話になりませんから」(カルロット氏)
ラグジュアリーの高い精神性が人々を支える
最後に、急成長しているセカンドハンド市場をもとにした新しい文化についてコメントをもらおう。
「セカンドハンド市場はビンテージと区別しないといけませんが、興味深い傾向です。ラグジュアリーとの接点の持ちやすさにつながるからです。かつて夢だったものが、手が届くものになったのです。循環経済という面もありますが、文化的な質の変容でもあります。
ラグジュアリーは文化の駆動力になります。企業の持つ価値以上に社会的・文化的に占める位置が大きいはずです。ラグジュアリーの高い精神性や倫理性は『深い意味』を持っており、人々の支えとなり得るのです。たとえ、スタートアップであろうとも、深い意味を打ち出すことができれば価値があると考えます」(カルロット氏)
ラグジュアリーは徹底して意味をつくっていく領域だ。問題解決の領域ではない。したがって、探求型の態度が期待される。それが結果として、新しい文化の創造につながっていくのである。