ブランドビジョンとは、「自社が目指すブランドの理想像を顧客や市場に対して提示できるよう具現化した概念」と定義される。ブランドビジョンを軸に、一貫したブランディング施策を訴求することで顧客体験価値(CX)を最大化させ、結果として揺るぎないブランドを確立できる。
本稿では、タナベコンサルティングが支援した、創業70年を迎える老舗旅館である「旅館むさし」のブランディング施策の紹介と併せて、ブランドビジョンを軸にブランディングを進めるための要諦を解説する。
和歌山県白浜町に構える旅館むさしは、観光資源の三大要素である「豊かな自然」「由緒ある歴史」「立地条件(都心部からのアクセスの良さ)」の全てを兼ね備えた魅力ある土地で旅館業を長年営んでいる。
昔からのリピーターも多く、高品質なサービスを常に提供している同館が取り組んだブランディングのステップは、【図表1】の3つである。
【図表1】ブランドビジョンを顧客に届ける3ステップ
ステップ1:ブランドビジョンを言語化する施策
取り組むべき最初のステップとして、ブランディングの軸となるブランドビジョンの定義から始めた。顧客に何を伝え、何を感じてもらいたいのかを言語化するためだ。まずは、自社が持つ価値をハード・ソフトの両面から客観的に見つめ直すことが重要である。
同館では、「旅館自体が持つ魅力だけでなく、周辺環境もブランドビジョンの核となる」と考え、2020年に「白浜時間の中心地」という新たなブランドビジョンを策定した。「訪れた人々が、白浜の自然・風土・歴史・人の営みによってつくり上げられた魅力に包まれ、豊かな白浜時間を過ごす。その中心地が自分たちで在りたい」という思いが込められている。
まずは、「自分たちがどのような価値を持ち、どのような体験を顧客に届けたいのか」を考えていただきたい。
ステップ2:ブランドビジョンを具現化する施策
次のステップとして、ブランドビジョンを具現化する施策を立案する。ブランドビジョンを定めるだけでは不十分であり、具体的かつ、一貫性ある施策へと展開した上で顧客に提供する。局所的な展開ではなく、顧客とのさまざまなタッチポイントごとに具現化することも重要である。
同館では、「白浜で有意義な時間を感じてもらうためにはどのような魅力・価値を具現化すべきか」を、社員が自ら考えた。そして、アクティビティーとして、「白浜の象徴であり、海に浮かぶ夕日をバックとした贅沢フォト体験」「白く美しい白良浜の砂浜を裸足で歩き、五感で白浜の自然を感じる白浜散歩」の2つを実施中である。(【図表2】)
【図表2】旅館むさしが提供するアクティビティー
顧客からの評判は非常に高く、アクティビティーを目当てに来訪する顧客も多いという。CXを高めるブランドビジョン具現化の成功事例といえる。
ステップ3:ブランドビジョンを社外へ発信する施策
最後のステップは、社外へのブランドビジョンの訴求・発信である。ステップ2では、目の前にいる顧客に対して、いかにブランドビジョンを体験させるかについて述べてきた。
確固たるブランドを確立するためには、目の前の顧客のみならず未来の顧客(潜在顧客)に対しても訴求が重要だ。現在・未来の双方をターゲットにするということである。
だが、ターゲットを絞ったコンテンツでなければ誰にも届かず、単なる情報発信にとどまってしまう。ブランドビジョンを軸とした一貫性のある発信でなければ、本質的なブランディングにはつながらないのだ。
同館では、ブランドビジョンの訴求手法として主にInstagramを活用。旅館が伝えたい「白浜時間の中心地」というブランドビジョンを、写真や動画という形で顧客に訴求している。「宿泊するとこんな素敵な時間が過ごせる」という体験イメージを顧客に抱かせるのが目的である。具体的には、白浜の景色やお勧め周辺スポット、滞在風景(部屋、料理、顧客の様子)など、テーマを絞りコンテンツを発信している。
最後に、企業ブランディングのメリットについても紹介したい。
企業ブランディング最大のメリットは、単に顧客満足度の向上や良い評判が広まるだけではない。最終的に、収益と体験価値の向上につながることである。事例として取り上げた旅館むさしでは、さまざまな施策を通じて次の2つの成果を上げた。
❶ 収益の向上
・顧客満足度が向上するとともに客室稼働率と平均客単価が改善
・客室単価を上げても稼働率を落とさずに部屋を売り切り
・単価の低い団体顧客から一定の単価で集客できる個人顧客への顧客層の変化
❷ 体験価値の向上
・口コミ内容がコストパフォーマンスに関する内容から滞在体験に対する内容に変化
・滞在体験を目的とした顧客の増加
現在、旅館むさしでは、関西だけではなく関東の顧客も取り込む高級旅館への進化を目指し、さらなるブランド強化に挑戦している。
自社のブランドビジョンを見つめ直し、一貫性ある施策を展開するためのノウハウとして本稿を活用いただきたい。