佐々木 裕孝 氏
1974年熊本県阿蘇市にて生まれ、1999年近畿大学工学部経営システム工学科卒業。同年荻野工業株式会社へ入社し、生産技術部に配属。その後営業部へ異動し、2018年取締役営業部長、2019年取締役品質保証部部長。2020年2月常務取締役、同年8月取締役副社長。2021年5月より代表取締役社長を務めている。
荻野工業への入社
1957年に創業した荻野工業(広島県安芸郡)は、自動車のエンジン・ミッション・ブレーキなどの部品の製造や、減速機「OGINIC」の開発を手掛けている。2024年の売上高は200億円の見込みで、生産拠点は国内に3カ所、海外に3カ所あり、従業員数は1625名である。
私が荻野工業に入社したのは1999年。その後2020年2月に常務取締役、同年8月に取締役副社長に就任し、47歳となる2021年5月、3代目代表取締役社長に就任した。しかし、入社当時は普通のプロパー社員に過ぎなかった。
勉強嫌いだったため学生時代は成績が振るわず、自力での就職がかなわなかった。そのため、出身である近畿大学工学部の恩師からの紹介によって荻野工業に就職した。
入社後は生産技術部に配属され、試作品の加工・検査に携わった。生産技術部で3年が経過したころ、営業部への異動が命じられた。会社の方針で、生産技術部から営業に人員を1名異動させることが決まったためである。上司から「生産技術部内で一番センスがない」という評価を受けてのことだった。
第1の転機:話し下手が営業部へ
私は人前で話すことが苦手だったため、多くの会社を訪れて交渉し、仕事を受注する営業が、果たして自分に務まるのか不安を抱いていた。だが、この異動が1つ目の転機となった。
当初は分からないことばかりで、指示通りに事務作業をこなしていた。2カ月が経過したころ、本格的な営業デビューを迎え、請求書を顧客に提出する。しかし、受けた指示と実態とに行き違いがあり、顧客の怒りを買ってしまう。怒られた理由すら理解できず、営業への異動を後悔した瞬間だった。
その後も方々で顧客からの叱責が続いた。そのなかで気付いたのは、言われた指示にそのまま従うのではなく、自ら考えて納得するまで学び、理解したうえで、折衝する必要があるということだった。「叱責を受けたくない」という気持ちから学ぶ意欲が芽生えていた。
叱責を受けながら学び続けるうちに、少しずつ理解が深まっていった。すると顧客や上司に褒められる機会が増え、仕事にやりがいを感じるようになった。それと同時に係長から課長代理、さらには課長へと、とんとん拍子に昇格していった。顧客からは依然として厳しい言葉をかけられたが、昇進するたびに「人に認められた」という、やりがいと達成感を得られた。
第2の転機:交渉の表舞台へ
2つ目の転機は、私が営業課長だった時代に訪れた。頼りにしていた上司である営業部長の退職が決まったのである。これにより、他部門には在籍している担当役員や部長が、営業部門では不在となってしまった。
営業は顧客との重要な折衝を行う会社の看板である。顧客側の役員との大事な交渉を課長である私が受け持つこととなり、当時は大きなプレッシャーと不安に襲われた。
しかし、この環境がさらなる成長を促すきっかけになった。部長の退職を機に直属の上司が社長となり、社長と話す貴重な機会を毎日得られたためである。社長に提案し、社長の考えを聞いた上で実行に移す。このプロセスによって多くのことを吸収できた。
また、多くの顧客とのコミュニケーションも成長のきっかけとなる。顧客との交渉を良い方向へ進めなくてはならないプレッシャーから、入念にシミュレーションを行い、仕事に挑むようになったためである。会社を代表して顧客と交渉していたこの時期は、挑戦の日々でもあった。
私には、営業部門に在籍して学んだことが3つある。1つ目は、営業課長以降の経験で得られた「自律性」だ。当時、対外的な交渉事は社長に相談しながら進めたが、社長は営業課長である私の意見を取り入れてくれた。社長が私の意見をくんでくれる以上、方向性を間違えば、私が原因で会社は大きな損失を負うことになる。そのため熟慮を重ねて社長に提案を行い、指示を仰ぐ必要があった。
2つ目は、会社の利益を上げていく営業部門からは切っても切り離せない「採算性」だ。契約の見積もりから会社の財務に至るまで、数字に関してかなり鍛えられた。
3つ目は、幅広い会社を訪問したことによって得られた「さまざまな会社の現場、取り組み」の情報だ。各社の経営手法を見られたのは大きな学びであった。
業務を通じて大きな成長を遂げることができたが、今日の姿があるのは皆様のおかげだと感謝している。営業部門で学ぶことができたのは、社長をはじめ、先輩や同僚、後輩、そして顧客などの存在があってこそだった。
第3の転機:会社のピンチを自ら引き受ける
営業担当役員となってから、3つ目の転機があった。当社の品質保証部が主導で進めていた、主要顧客との品質改善協働活動に不調が続き、私のもとにクレームが入ったのである。
大掛かりなプロジェクトだったために、このクレームは今後の取引にも影響を与える懸念があった。そこで私は、自身を品質保証部の担当役員に命じてほしいと社長に直談判した。会社に対する大きな感謝の気持ちから、この行き詰まった状況を打開する力になりたいと考えたためである。
その後、希望通り品質保証部の担当役員に就任すると、営業部門で培ったコミュニケーション力を生かし、顧客との意思疎通の強化を図った。そして社内の活動体制を整え、顧客との協働活動を推進し、早期に軌道に乗せることができた。
この経験によって、品質保証部の仕事内容や負担の度合いが見えるようになる。品質保証部が抱える課題やその解決策について従業員とコミュニケ―ションをとることで、深い理解ができた。
またQMS(品質マネジメントシステム)に関して、品質保証部に在籍したことで、それまで見えなかった部分を明確に理解できたことも大きな収穫だった。さらに、顧客要求事項も勉強になった。
社長就任後も続く学び
3代目社長に就任したのは、生産技術部に3年、営業部に17年、品質保証部に1年在籍した後のことだった。それぞれの部門での学びや協働の大切さを知った経験が、社長になった現在の支えとなっている。
事業承継してから徹底したことは、2代目社長の方針を受け継ぐこと、そして従業員に「自分自身のために学び、成長したい」と思ってもらうことだった。
しかし、社長に就任したばかりの時期に大きな失敗をしてしまった。従業員にも自身と同様に成長してほしいと願うあまり、上司による従業員への、現場指導という名の叱責を容認してしまっていたのである。結果的に、社長1年目の離職率が6%を超えてしまった。
ここで実感したのは、自社に最も大事なのは従業員だということである。社長として従業員のためにできることを考えるとともに、社長になってからも学ぶことの大切さをあらためて感じた。
荻野工業の未来を描く
従業員を大切にできていなかったという社長就任当時の反省を生かし、「全従業員の成長と幸せを実現すると同時に、心のこもったものづくりを通して社会に貢献する」という経営理念の実現を私の役目と考えた。
現在では月に一度、全従業員に対して「経営理念は働く目的そのもの」だと伝え、経営理念の実現のために「従業員一人一人が学び、成長してほしい」と話している。
また、幹部社員には、内外部の環境変化に弱いという自社の経営課題について考えるよう求めている。この経営課題の解決には、何よりも「人財育成」が欠かせない。人が成長し、考えて行動することで、経営課題を克服できる。人に投資して育て、やりがいや満足感、達成感が得られる環境をつくることがスタートラインなのである。
社長就任3年目には、2032年までの10カ年計画である「OGINO経営ビジョン」として、「お客様に喜ばれる商品づくりと、安全で明るい職場、活力あふれる人づくりで、OGINOブランドを築こう!」を策定した。
出所:荻野工業講演資料
併せて、この経営ビジョンの実現に向けて、従業員と共有して活動する中期経営計画も発表した。これには私自身が荻野工業で経験した、やりがいや達成感を従業員にも実感してほしいという思いを集約している。
「自律」をテーマにした2023〜2025年の中期経営方針には「従業員ファースト 働きがいのある働きやすい環境づくり」を掲げている。経営目標としては、賃金UPや女性管理職の増加、離職率の低下などを定め、達成時には利益を従業員に還元することとした。さらに、重点施策として、人材への投資や働きやすい環境づくり、業務効率化などを定めている。
2026年には「挑戦」をテーマに掲げた、OGINO経営ビジョンのセカンドステップが始まる。中期経営方針として目指すのは「失敗を恐れず何事にもチャレンジできる環境づくり」である。
2029〜2032年には「変革」をテーマにしたファイナルステップに取り組む。中期経営方針の「内外部の環境の変化に対し、しっかりと変革できる組織づくり」に沿って活動を進める予定である。
会社は従業員とともに成長する
自社の成長には従業員の成長が欠かせない。そう思うポイントは3つある。
1つ目は、従業員の成長が自社の成長そのものであり、経営課題は人材育成によって解決できるということ。2つ目は、やりがいや達成感を成長の原動力とし、自分の人生のために会社を活用して成長してほしいということ。3つ目は、成長することで自律性が鍛えられ、挑戦し続けられるようになり、さらに成長できる人材へと進化できるということである。
企業の後継者不在は社会的に大きな課題だが、誰にでも経営者となれる可能性がある。従業員を信じ、ともに成長することで、会社は未来永劫、成長・発展を続けられるだろう。