オムロン グローバル戦略本部 経営戦略部 M&Aグループ長 川上 雅司 氏
「ROIC」は経営資源の配分を決定する判断基準
2023年で創業90周年を迎えたオムロン。これまで「センシング技術」と「コントロール技術」という両翼を羽ばたかせて社会を鳥瞰し、ソーシャルニーズをいち早く察知して世界初のソリューションを次々と創造してきた。工場の自動化が進む中、故障の原因となっていたスイッチの長寿命化を実現した無接点近接スイッチをはじめ、無人駅システム(自動改札機や券売機)、キャッシュディスペンサー(CD)など、その数は枚挙にいとまがない。
人工知能の進化が目覚ましい現代においては、センシング技術、コントロール技術に、人の知恵や知見を機械に取り込む「Think(シンク)技術」をコア技術に加え、「人が活きるオートメーション」の実現に挑戦。制御機器・ヘルスケア・社会システム・電子部品の4事業領域で60を超える事業を展開している。
これだけ多種多様な事業を保有する場合、「限られた経営資源を、どの事業にいくら配分するか」という見極めが重要になる。そこで同社では、2013年にCFO(最高財務責任者)を設置。事業の特性や規模、ポジションなどにかかわらず、投下資本に対する純利益の割合を公平に評価する「ROIC」を全社目標として掲げ、一丸となって推進してきた。
具体的には半期に1回、約60事業の経済価値をROICと売上高成長率の2軸で評価。ROIC・売上高成長率がともに高い「投資領域」、 ROICは高いが売上高成長率が低い「再成長検討領域」、ROICは低いが売上高成長率が高い「成長期待領域」、ROIC・売上高成長率がともに低い「収益構造改革領域」に分類する。ROICが10%、売上高成長率が5%をともに下回る収益構造改革領域の事業は、収益構造改革案の策定・実行が求められる。
この基準に照らして投資強化や事業撤退の判断を下し、10年間かけて収益性と成長性が高い事業に絞り込んだ結果、営業利益率10%以上の事業比率は44%(2011年度)から87%(2022年度)に拡大し、同社の時価総額は4000億円(同)から1兆5000億円(同)へ飛躍した。
現場KPIとROICの相関性を見える化
オムロンが当初から大切にしてきたのは、「現場の納得感」だ。グローバル理財本部の若手メンバーが伝道師となり、ROICの意義を社内に啓発。財務の知識がない社員でも腹落ちできるよう、各部門のKPI(重要業績評価指標) とROIC向上のための改善ドライバー(強化項目)がどのようにつながっているのかを見える化し、全社員が日々ROICを意識して働ける体制を整えてきた。
2014年の入社以来、事業ポートフォリオの最適化に尽力してきたグローバル戦略本部経営戦略部M&Aグループ長の川上雅司氏は次のように説明する。
「たとえ利益が出ているとしても、銀行や株主から調達した資金を効率的に使って資本コストを上回る利益を上げていなければ、『企業価値の向上』にはつながりません。したがって、ROS(売上高当期純利益率)と投下資本回転率を掛け合わせたROICが重要になるのです。
ただし、数値目標だけ掲げても、ほとんどの社員はピンときません。そこで当社では、部門ごとに現場でのアクションを一つずつかみ砕いて言語化・数値化し、何をどう改善すればROICが向上するのか、『ROIC逆ツリー展開』をグローバル理財本部が中心となり社内に浸透させ、事業部メンバーの理解の徹底に努めてきました」(川上氏)
注目すべきは、この啓発活動こそがROIC経営の土台になっていることである。同社は2013年から現在までに10を超える事業を譲渡、あるいは収束し、並行して7社を買収してきた。2023年9月、JMDCに対する株式の公開買付け開始を公表し、グループ傘下の企業がさらに1社増える。事業の売買を行えば、当然ながらその事業に従事している人も入れ替わる。これまでの同社にない能力を持った人材が買収により新たに加わり、多様性が増し、新たな価値創出の可能性が高まるのだ。
同社がこれだけのM&Aを実行して事業ポートフォリオを最適化できた背景には、経営陣が社員や顧客などのステークホルダーと丁寧に対話を重ねることで、ROIC経営に対する理解が深まっていたことも挙げられる。
「事業に対する愛着は誰もが持っているものです。ただ、ROICや売上高成長率が他の事業より劣っていて改善の見込みがないとしたら、このままオムロンの中にとどめていても、事業拡大のための投資を実行することは困難です。であれば、その事業の社員にとっては積極的に投資を実行できるグループの傘下に入った方が活躍の場が広がりますし、夢を持って成長できるでしょう。重要なのは、『この事業のベストオーナーは誰なのか』という視点なのです」(川上氏)
「時代とともに、事業のベストオーナーは入れ替わる。その前提に立って、自社こそがベストオーナーであると確信できる事業に限りある経営資源をしっかり投下しなければ、変化の激しい時代において、事業ポートフォリオの陳腐化が進んでしまう」と、川上氏は続ける。
2019年、63億円の営業利益を上げていた車載事業(オムロン オートモーティブエレクトロニクス)を約1000億円という過去最大の譲渡額で日本電産に譲渡したのも、EVモジュール化が進む車載市場における将来的な自社のポジションを冷静に見極めての経営陣の決断だったという。
一方、携帯電話・スマートフォン向けの液晶バックライト事業は、バックライトを必要としない有機ELディスプレイの普及に伴い、急速にニーズが低迷。売却も難しく、2019年に撤退を余儀なくされた。事業ポートフォリオマネジメントにおいて、「いかに迅速な判断が求められるか」を物語るエピソードである。
また、同社は単なるコンポーネントの製造・販売から、革新的なアプリケーションを顧客に提供するためのソリューション創出・提供へと重点を切り替えた。さらに、2015年から2017年にかけて工場自動化のアプリケーション強化に向け製品ポートフォリオを拡充するため、産業用ロボットや産業用バーコードリーダーなどのFA関連企業4社を買収。一方で、長年赤字が続いていたMEMS(微小電気機械システム)開発・生産事業は、金融機関と連携を取りながら粘り強く譲渡先を模索し、アナログ半導体の8インチ工場を探していたミネベアミツミ・グループに譲渡した。現在、ミネベアミツミ・グループ傘下となった新会社は、これまでは考えられない規模の設備投資を実行中で、積極的な事業拡大を画策しているという。
このように、建設的なM&Aの成否を握るのは、市場における各企業のポジションを俯瞰し、異なるケイパビリティーを持つ他社との化学反応を予見する力だ。
「近年は投資家から事業ポートフォリオの再編を提案されるケースもあります。各セクターにおける自社事業のポジションや強みを分析し、社内外にしっかり発信できるようにしておくことが大切です」(川上氏)