健康レシピは大事だけど、つくる人を育てることも必要だ――。そう気付いた瞬間からオープンイノベーションへとかじを切り、医食の専門家「メディシェフ」を育成する日本医食促進協会を設立。課題が山積する日本のヘルスケアの現場に、みんなが幸せになる「食のNext Standard」を創り出す挑戦が始まっている。
二日酔いでも食べたくなる、おいしい「朝カレー」。ホテルクエスト清水の人気メニューは、大手ホテルチェーンの進出で顧客を奪われた危機感の差別化戦略から生まれた。
「お客さまの行動を観察すると、チェックアウト時の表情が一番暗かったのです。サービス業として、笑顔で出発してもらうために、何ができるか。前夜のカレーの残りっておいしいし、元気になるよね。そんな社員の声が最高のヒントになりました」
笑顔で語るのは、同ホテルを運営する竹屋旅館の代表取締役社長・竹内佑騎氏。メガバンクを退職し、家業の承継に向けて「朝カレー」に挑んだ4代目である。その姿勢を見た地元の医療機関から、2010年に糖尿病患者の健康食を開発するオファーが届いた。専門外のため受けるか悩んだが、創業以来の経営理念「他楽」の精神にかなうと、挑戦を決めたという。
「お客さま、社員と家族、取引先や地域の方々。他の人を楽な気持ちにして楽しませる『ほからく』を大切にするおもてなしで、何ができるかを追求してきました。食のバリアをなくすことも、他楽につながります」
ホテルシェフと開発した健康食を患者の食事会に提供した竹内氏は驚いた。食後すぐに血糖値が下がっただけでなく、患者が涙を流して喜んでいたからだ。だが、竹内氏の心にはうれしさよりも悔しさが込み上げた。
「その料理は、お世辞にもおいしいとは言えない料理でした。健康とおいしいが反比例するのは仕方がないと決め付けていましたが、『そうじゃない』と思ったのです。同じ感想を持ったシェフは、大学で栄養学を学び始めました」(竹内氏)
おいしいもの、食べたいものを制限なく食べられるように、重視したのは健康のエビデンスだ。患者に安全なカロリー・糖質・塩分を医師や栄養管理士に教わり、地元の新鮮な健康食材を掘り起こし、調理法を研究。2年の歳月をかけてフルコース料理「駿河湾レシピ」を完成させた。
喜んでもらえると満を持して患者へ提案に行ったところ、再び驚きが待っていた。だが今度は、料理に手を付けない患者たちの「私たちのことを何も分かっていない!」という厳しい声だった。ぼうぜんとする竹内氏に、1人の患者が心情を吐露した。
「『食事制限で最もつらいのは、おいしくない料理を我慢することではなく、家族と食事をするときに独りだけ違うメニューになることか、自分に合わせてみんなが食べたいものを食べないこと』だと言われました。疎外感や気遣いを感じさせ、分断を強めてしまっていた。求められていたのは『おいしい糖尿病食』ではなかったのです。『おいしさやワクワクする楽しさは、誰も孤独にしないシーンから生まれる』。そう教わって、私たちの今があります」(竹内氏)
その後、駿河湾レシピは患者と見守る家族、みんながおいしく味わえる料理へとターゲットを拡大。「おいしくて、健康」と口コミで広がり、健康意識の高い顧客が増加した。今では40~60歳代の女性や高齢者夫婦など、9割を健康な顧客が占める。
「駿河湾レシピ」は一番人気のメニューとなって事業化を果たし、念願の差別化戦略に成功した。また、提供の場をホテルの外へ広げ、料理と観光を楽しむケータリングサービスが好評を博している。
「場所と食の組み合わせで、地域が観光資源に変わります。ゆっくりと過ごす、健康食を味わう、地域観光を楽しむ。これからのホテルは、泊まること自体が目的になっていくでしょう」(竹内氏)
駿河湾レシピは2016年「ジャパン・ヘルスケアビジネスコンテスト」(経済産業省)で優秀賞に輝いた。受賞に際し、審査員から「健康食を広める仕組みづくりに向け、大きな志を持て」と激励の言葉があった。
「『ノウハウを囲い込まず、他のホテルや飲食店、家庭にもオープンに』と。しかしそれは、やっと手にした差別化できる強みを手放すことになります。社長に就任した直後で悩みましたし、今も正しかったのかは分かりません。ただこの時も、他楽にかなうか、従業員が胸を張って誇りに思えるかを考え、決断しました」(竹内氏)
新たな挑戦へ、ノウハウとレシピを提供し始めたが、思うように広がらない。原因を探るうちに、竹内氏はふと気付いた。
「レシピより人づくりが重要だと。かつての自分やシェフに意識改革が必要だったのと同じです。医と食の知識やエビデンスを併せ持つ料理人『メディシェフ』を育てようと、日本医食促進協会を設立しました」(竹内氏)
医師や管理栄養士、調理師などの専門職が協働し、エビデンス研究やマーケティング分野の大学教授も参画。2018年に医食の新しい専門家を育成する資格認定制度「メディシェフ」をキックオフした。この取り組みは、経産省「健康寿命延伸産業創出推進事業」に採択された。
資格取得者のターゲティングは、駿河湾レシピをロールモデルに、患者がいる家族の家庭料理向けからアプローチし、徐々に飲食店の料理人、医療機関の管理栄養士や看護師など、働く現場に資格を生かして活躍する人へと裾野を拡大。1年目に「ジュニア」、2年目に「メディシェフ」の2コースを開講し、これまでに約2000名の有資格者が誕生した。
「どれだけ活躍シーンにつながるか。資格事業の成功は、取得後の姿が大事です」と竹内氏。さらに、大学や専門学校、調理師学校など教育機関との連携も有望だ。埼玉にある人間総合科学大学では、メディシェフ認定校として資格取得コースが誕生し、未来の健康食の担い手が巣立っている。同学では、2020年秋から新たに、大人向けのリカレント教育として双方向型オンライン講座をスタート。健康経営や健康食開発を支援する「メディシェフfor Business」事業も注目を集めている。
食のバリアフリー化から始まった「大きな志」の挑戦は今、地域資産を生かすスマートヘルスツーリズムとともに「健康×観光」事業の展開へ広がりを見せる。コロナ禍は本業のホテル事業を直撃したが、多角化が一筋の光明となっている。
「シェフが調理しかできないままでは大変だったと思いますが、大学で食育指導を任されるなど突破口としての新たな可能性が生まれ、助かっています。フロントなど他職種の社員も、お客さまから『良い取り組みだね!』との声をいただき、モチベーションが向上しています」(竹内氏)
これまで平均10%程度だった離職率は、2019年以降で0%を維持。創業以来初の快挙は、人材の入れ替わりが激しいホテル・観光産業で、自社ブランドに磨きをかける原動力になっている。地域への貢献では、静岡県と連携。コロナ禍で外食機会が減った地元飲食店がメディシェフの資格を取得し、「減塩ブイヤベース」など免疫力を高めて生活習慣病を予防する健康食メニューの開発プロジェクトが始動している。
「全国の企業や教育機関と連携し、2021年度に5000人、翌22年度は1万人へと有資格者を増やしていきたいですね。健康食をより強力に発信する存在になれたらと思います。
ただ、スピード感より『地道に、丁寧に』進めることが大事です。生活習慣が徐々に変わりながら健康食が根付くように。ブームではなく新しい文化になるように。将来、飲食店の権威であるミシュランの星付き部門にもヘルスケア部門ができ、健康食やメディシェフが当たり前の存在になることが、私たちの一番の使命と言えるのかもしれません」(竹内氏)
「誰も孤独にしない食」を目指して掲げたスローガン「食のNext Standardをつくる」は、SDGsやサステナブルな社会づくりにつながるものだ。DX時代にデジタルネイティブ世代が活躍し始めたように、生まれた時から食べる物が健康的であることが当たり前の「健康食ネイティブ時代」が、幕を開けようとしている。
Column
サイエンスとアートの融合
「健康食のためのレシピづくりよりも人づくりへと注力するようになったら、医と食の専門家から『無償でいいから協力するよ』と賛同を得られるようになりました」(竹内氏)
制約が多いヘルスケアの現場に疑問を感じ、「何とか変えたい」「挑戦する仲間をつくりたい」と考えている人が集まったという。
「感性を大事にする料理人は、いわばアーティスト。一方で、栄養学はエビデンスを数値化するサイエンスの世界。その組み合わせで良いイノベーションが起き、再現性が高まります。健康でおいしい食を創り出し、さらに地域の観光資源の発掘・活性化へつながる一歩になりました」(竹内氏)
サイエンスが確かな土台となって、アーティスティックな創造性を積み上げ、活躍シーンが広がり発信力を高めていく。それが、メディシェフの姿だ。暮らしに欠かせない「衣食住」にもう1つ、「医食充」(健康な医と食で充実する人生)の時代が到来したと言えるだろう。
PROFILE
- (株)竹屋旅館
- 所在地:静岡県静岡市清水区真砂町3-27
- 設立:1949年
- 代表者:代表取締役社長 竹内 佑騎
- 売上高:4億円(連結、2020年5月期)
- 従業員数:60名(連結、2020年5月現在)
- (一社)日本医食促進協会
- 設立:2017年
- 代表者:代表理事 竹内 佑騎