「自ら変化を起こさないリスク」に気付き、維持してきた収益モデルの呪縛から自社を解き放って、ファッションを起点にライフスタイルの創造に挑む企業がある。
ファッション小売業からファッションテック企業への転換――。コックスの代表取締役社長・寺脇栄一氏が2018年の社長就任時に、成長軌道へのリバイバルプラン(再建計画)として発信したメッセージだ。ただ、イメージしている姿はDX一辺倒ではない。
「ビジネスの根幹であり続けたリアルな店舗販売で培ったアナログのリソースと、オンラインECサイトやデジタルテクノロジーの融合を成し遂げていこう、と。お客さま第一という不変の方向性を再確認した上で、時代の変化に遅れず新たな価値を創造していくビジョンです」(寺脇氏)
イオングループ(千葉県千葉市)のカジュアルファッション専門店として全国に217店舗(2021年1月末現在)を展開する同社。2001年度の売上高670億円をピークに、縮小するアパレル市場とともに業績は右肩下がりが続いたが、一方でBtoC市場のECサイトでの購入比率は伸び続けていた。「DXの遅れは死活問題でリバイバルプランに不可欠ですが、同時に満足度を重視するお客さまは増えていきます。強みであるリソースは絶対に守ろうと考えました」と寺脇氏は続ける。
「リソース」とは、高い満足度の提供にこだわるファッションアドバイザーの存在だ。単なる販売スタッフとは異なる接客提案力を生かす顧客起点のOMO※で、利便性や楽しさのUX(顧客体験価値)を実感できるファッションテックへ。それは「誰に(ターゲット顧客)」「何を(最適な品ぞろえ)」「どのように(販売チャネル)」を自らの手で変える挑戦だった。
「誰に」「何を」は、主要ブランドの「ikka(イッカ)」や「LBC(エルビーシー)」において、顧客世代別セグメントからカップル、ノンエイジ、ジェンダーレスへとかじを切るリブランディングを実施。店舗立地も、ショッピングモールの郊外型から都心のターミナル立地へシフトした。
「どのように」は、自社ECサイト主体の販売戦略に転換。2020年春、AIによるコーディネート提案を開始し、秋には「TOKYO DESIGN CHANNEL」として自社ECサイトの全面リニューアルを果たした。
OMOによる収益モデルの変革は、これから顧客となっていくミレニアル世代やZ世代も見据え、その新しい生活様式にふさわしい価値・事業の創造を目指すものだ。さらに、店舗とECサイトが「シームレスでインタラクティブな相互送客ができること」(寺脇氏)も大きな特徴である。
ECサイトで購入した商品の店舗受け取りや、値札のQRコードから在庫確保、店舗・自宅配送の選択も自由にできる。また、店舗からSNSを使ったライブ配信でECサイト顧客の来店動機を高めるなど、ファッションアドバイザーがインフルエンサーになる仕掛けも始動。店舗でファッションアドバイザーから良い提案を受け、ECサイトでいつどこでも購入が可能になった。
「ECサイト経由での購買の9割がスマートフォンです。UI(ユーザーインターフェース)もスマホファーストで向上し、ECサイトでの購入比率は対前年比で2倍超、全体の20%に増えました。2020年代には、ほぼ逆転しているでしょう」(寺脇氏)
店舗とECサイトで併買する顧客会員は増え続け、購買単価は一方のみの会員の3倍強に及ぶ。併買者数は会員総数のまだ5%だが、それは95%の有望な未開拓地があることを物語っている。
※Online Merges with Offline:オンラインとオフラインの融合
顧客がより身近で関係性の深い存在となり、店舗でファッションアドバイザーが評価の声を聞き、ECサイトでは開発商品を企画段階でライブ配信して反響の声を収集。ファッションの今とこれからを共創する仕組みが生まれている。それが大きな成果をもたらしたのが日本初、最大級のファッションマスク専門店「Mask.com(マスクドットコム)」の立ち上げだ。
コロナ禍による緊急事態宣言で店舗の8割が休業を余儀なくされたとき、店舗の店長から「ファッションマスクを販売しては?」と提案の声が上がった。当初は市販の布マスクを仕入れて販売したが、すぐに顧客の声に耳を傾けて自社開発に着手。春には子ども用、夏には冷感・涼感、さらに保湿・抗菌・抗ウイルスなどの機能性や天然素材など、多様なニーズを満たすマスクを提供した。9月には、ECサイトとリアル店舗1号店・八重洲地下街店を同時に立ち上げた。
当初は「アパレルブランドがなぜマスクを扱うのか」という声も社内にあったと語る寺脇氏。だが、あえて「やらないことがリスク」と挑戦を決める。コロナ禍以前から、新しい生活様式を視野にタイムリーなものづくり・物流のSPAバリューチェーンを再構築し、全社を挙げてイノベーションを推進した経験が生きている。500~10万円で200種類超の品ぞろえを実現し、ファッションアドバイザーが「マスクコンシェルジュ」として顧客のニーズや悩みを聞き出し、一人一人にふさわしいマスクを提案。必需品であるマスクをファッションに変え、選ぶ楽しさと満足度を高める成果につなげた。
「メディアでも取り上げられ、大きな支持を頂いています。マスク販売は私が背中を押しましたが、マスクコンシェルジュのネーミングも衛生用品の清潔感を大切にするための白衣の着用も、プレスリリースの最終チェックで知りました。現場起点で社員が主体的にアイデアを出し、行動してくれたおかげです」(寺脇氏)
主体性と実行力が湧き上がる姿には、胎動があった。コロナ禍でもできることがあると、社員が自ら企画した「日本を元気にしようプロジェクト」である。イノベーションを進める中で芽生えた「ファッションのチカラ」への自信が、その原動力だ。延長線上に誕生したMask.comも、コロナ禍の影響でアパレル製品が売れず、生産を停止していた取引先の工場や社員のものづくりを支え続ける。
また2020年秋、新発売した100万円(税抜)の「ダイヤモンドマスク」も、コロナ禍で大打撃を受けた宝飾業界を支援しようと開発した商品だ。このような取り組みに共感した消費者が新たな顧客となることで、企業価値向上にも結び付いている。
「Mask.comのお客さまには、ikkaやLBCなど当社のブランドを知らない方もいます。大丸など百貨店での販売が始まり、上質で高価な商品を購入する新しいお客さまとの出会いも次々と生まれています」(寺脇氏)
コロナ禍において、マスク市場は5000億円規模(2020年見込み、富士経済)へ成長を遂げている。その受け皿となるMask.comは、店舗とECサイトともに好調な販売を持続。イオングループ企業を中心に法人向け卸売需要も高まり、BtoCだけでなくBtoBビジネスも実験的にスタートした。3000枚の仮オーダーから始まったマスクの供給は、すでに数千万枚規模に達している。
全国のファッションビルからも数多くの出店オファーが届き、東京・愛知・大阪の3大都市圏、それ以外の地域でも主要なターミナルに出店を計画中だ。さらに、販売機会を失い苦境に立つアーティストに、自社ECサイトを開放。ライフスタイルを彩り豊かにする作品と顧客が出会い、支え合う場を創り出す挑戦も進めている。
マスクを皮切りに真価を発揮し始めたファッションテック企業に、時代と顧客が求め続けることは何か。
「経営理念にある『お客さまのファッションやライフスタイルを彩る、本質的なゆたかさ』の追求です。イオングループが掲げるHealth&Wellnessもその1つで、健康で元気になり幸福感あふれるアパレル商品・サービスを、いかに創り出せるかにかかっています。お客さまが喜ぶことはどんどんやろうという風土が定着し、さらなるイノベーションと成長が生まれることが本当に楽しみです」(寺脇氏)
コックスの社名は、船のかじを取る水先案内人のように、ファッション産業のリーディングカンパニーとなる願いに由来する。いまある世界から飛び出し、顧客や取引先と共感・共創しながら、“ファッション”という名の船に乗り、ライフスタイルの新天地を目指し大海原へと漕ぎ出す。名を実にする旅路に、終わりはない。
Column
次世代の主役はブランドよりもストーリー
「自社ブランドの可能性を狭く解釈することによって市場機会を逃していないか」。ファッションテック企業であり続けるために、寺脇氏はいつも社員にそう語りかけている。
「『アパレルを中心とした小売りビジネスしかしない』と事業領域や顧客のセグメントを決め付けてしまうと、新たな発想が生まれません。お客さまとの出会いも自らの手で遮断してしまうのです」(寺脇氏)
リブランドの挑戦は既存顧客が離れるリスクを伴うが、より多くの新規顧客を迎え入れた手応えがある。「成否はもう少し長いスパンで見ないと分からない」と語りつつも、次代の消費の主役となるミレニアル世代やZ世代にもしっかりと照準を定める。
「ブランドよりもストーリー。どちらの世代も、物語が購買動機の重要なファクターになります」(寺脇氏)
時代のトップランナーとなったMask.comで確信した「ファッションのチカラ」は、DXの革新によってさらに多様なシーンで発揮されていくことだろう。
PROFILE
- (株)コックス
- 所在地:東京都中央区日本橋浜町1-2-1 HF日本橋浜町ビルディング
- 設立:1973年
- 代表者:代表取締役社長 寺脇 栄一
- 売上高:171億3000万円(2020年2月期)
- 従業員数:1828名(グループ計、2020年2月現在)