何よりもクルー(社員)と家族の安全・安心を守る――。
新型コロナウイルスがどれだけ恐ろしいのか、誰にも分からない段階からいち早く準備を進め、スムーズに「リモート化」へ移行できた理由とは。
透明度の高い海、恵みをもたらす雨、緑の山々、そして縄文杉。豊かな自然に囲まれた地において「暮らしと仕事」を実現したのが、クラッソーネ代表取締役の川口哲平氏だ。屋久島にオフィスを開設して2年がたった。マネジメントは本社(名古屋オフィス)にいる幹部とのリモートワークが中心である。
クラッソーネは住宅建築の解体・外構工事の一括見積もりウェブサービスで、施主と工事会社のマッチングビジネスを展開。設立から10年目となる2020年、AI搭載の新アプリ『くらそうね』をリリースした。施主は最大10社の見積もり予想額と口コミが瞬時に分かる上、工事会社に直接見積もりを依頼できる。また、工事会社に対しては業務支援の機能を持ち、好評を博す。提供を開始した4月から、同社は利便性と生産性の向上に寄与するプラットフォーマーへと成長を遂げている。
「工事会社の情報が少なく自分で選べない施主さま。腕は良いのに、エンドユーザーとつながるすべがなく下請け工事に甘んじる工事会社。情報の非対称性から生じるミスマッチ、その不安と不満を解消できる事業には社会的な価値がある。大手住宅メーカーの営業時代に、そう気付いて起業しました」(川口氏)
空き家や中古リフォームが増加し、ストック時代を迎えた住宅市場のITベンチャーにとって、新型コロナ禍は想定外の出来事だった。だが、3月26日に東京、4月6日には名古屋オフィスと屋久島の順に、いち早く全オフィスでリモートワークに切り替えた。スピード感のあるその意思決定に、川口氏は直接携わっていない。平時からさまざまな権限委譲を進め、総務部長と人事広報部部長、担当役員のCOO(最高執行責任者)とCFO(最高財務責任者)の4名で、感染リスクや感染拡大の状況を見極めながら判断し、実行フェーズへ移行した。
「現場と実情をよく知り、意思決定する能力や判断基準を持つ人に権限委譲する方が、的確かつスピーディーに対応できます。私よりも良い意思決定をしてくれるという期待値も大きいです」(川口氏)
川口氏が幹部やクルー(社員の呼称)に「任せる」上で欠かせないのが「背景の擦り合わせ」。背景とは、企業理念や経営指針に当たるMVV(Mission・Vision・Value)のことだ。Missionの「豊かな暮らしで人々を笑顔に」は最終目標となる姿。それを体現していくプロセスの世界観がVisionの「誰もが利用する家づくりのインフラを作る」。そこにひも付く大切な価値観がValueだ。その共有を重視し、絶えず「MVVに照らして、いまのわが社はどうか?何が大事か?」を発信し続けている。
「ValueはBiggest Data(最大のデータは最良を導く)、Inspire Customers(満足ではなく感動)、Go Boldly(大胆にやろう)の三つ。幹部もクルーも、普段から『それって、Go Boldlyかな?』と互いに確かめ合うことで、思い切った意思決定がしやすいし、その決定を私が『おかしい』と感じることもありません。リモートワークへのスムーズな切り替えも、まさにその通りでしたね」(川口氏)
リモートワークの準備は、国内で初めて新型コロナウイルス感染の死者が出た2月中旬に始動していた。意思決定から導入まで主導的な役割を担ったメンバーの一人が、人事広報部の部長である宮田ゆかり氏だ。
「クルーとその家族の安全・安心を守る。そのために『最悪を想定し最善を尽くす』『攻めの姿勢で守る』ことを徹底しました。ただ、顧客やビジネスパートナーに不備や不便が生じることは避けたかったので、そのバランスが悩ましかったです。『くらそうね』をリリースするタイミングと重なり、ルーティンワークをそのままリモート化できないのも大変でした」(宮田氏)
特に難しかったのが、電話応対サービスを担う名古屋オフィスのカスタマーサクセス部だ。安全・安心と顧客満足を両立するリモートワーク実現のポイントは二つあった。インターネット通信環境の確保と、個々に事情が異なるクルーの在宅ワーク環境の確認だ。「電話応対はクラウドCTIシステム※なので、自宅にインターネット環境があれば大丈夫ですが、それでも不安があるクルーにはモバイルWi-Fiを貸し出しました。お子さんがいるクルーも、保育園を利用して対応可能な方ばかりで幸運でしたね」と宮田氏は話す。
また、在宅勤務手当としてひと月当たり5000円を全クルーに一律支給。快適な業務環境に必要な光熱費として、家計負担を軽減することが目的だった。
顧客やパートナーなど「外」とつながるリモート業務のインフラだけでなく、クルー同士の「内」なるコミュニケーションや組織の活性化にも心を砕いた。ビデオ会議ツールの「Zoom」を新たに導入し、会議やミーティング、全社昼礼や部署別の朝礼・終礼を実施。創業以来の取り組みで、良かったこと(Good)や新しい出来事(New)を、無作為に組まれた日替わりメンバーで語り合う雑談タイム「Good &New」(G&N)もZoomでオンライン化した。また、導入済みのグループウエア「Slack」の通話・チャット機能を、業務マネジメントツールとして積極的に活用。全社的な情報伝達から業務の報連相(報告・連絡・相談)やアドバイスまで、オフィスワークさながらの環境が整った。
新卒社員の入社時研修も当初の予定を変更して行った。約1週間の集合研修を実施後、リモートで先輩クルーがメンター(指導員)として一対一でフォローアップし、悩みやつまずきを解消しながらより多くのクルーと交流できる育成策を推進した。宮田氏は「メンタリング(メンターの助言や日常対話による人材育成方法)を重視しました。まだ他のクルーと関係性が築けていませんし、上司と離れている不安も大きいですから。1カ月後にはすっかりなじみ、想像以上に順応は早かったですね」と振り返る。
リモートワークは、ZoomやSlackなどコミュニケーションツールを導入すればうまくいくわけではない。明確な判断軸となるMVVや、雑談を大切にするG&Nなど、コロナ禍以前から情報と価値観を共有する仕組みと関係性を深める環境づくりが進んでいたことが、リモートワークの上手な活用に結び付いたといえよう。
※CTIシステム:顧客から番号通知付きで電話を受けた際、受信者の管理画面(パソコンなど)へ番号にひも付いた過去の登録情報や通話履歴などが参照される通話補助システム