広島県の内陸部に本社を構える中小企業が、大手企業と対等に連携するデジタルサイネージの旗手に成長した。躍進をもたらしたのは「ミッション・ビジョンの実現」「新規事業への挑戦」「事業承継の成功」だ。
広島県南東部の山あいに広がる府中市は人口約3万9000人の街で、リョービや北川鉄工所といった東証1部上場企業が本社を置く。“ デジタルサイネージ(デジタル技術を用いた電子看板)” の旗手として注目を集めるタテイシ広美社も、1977年にこの街で創業した。
屋内外に掲げる看板製作からスタートし、LED電光掲示板や電子ペーパーなどの商品開発を推進。防災情報システムや2020年の東京五輪に向けたデジタルサイネージを受注するなど、目覚ましい発展を遂げている。
「従来の看板とデジタルサイネージの売り上げ比率は4:6と、デジタルサイネージが主流になりました。当社はデジタルサイネージの構造を熟知し、企画提案からデザイン、設計、ソフト開発、製作、施工、メンテナンスまで一貫してこなせる日本では希少な存在です。メーカーと看板屋の両業務に精通した強みを生かして、全国規模でデジタルサイネージに関連した事業を展開しています」
そう語るのは、タテイシ広美社の創業者であり、代表取締役会長の立石克昭氏だ。
同社は創業以来42年間、一度も赤字を出したことがない。直近の実績は売上高10億1300万円(2018年7月期)。利益率10%を堅持し、80%近い自己資本比率を誇る優良中小企業である。
タテイシ広美社のステージアップを支えた要因は三つある。まず、「ミッション・ビジョンの実現」だ。
「高校を卒業後、大阪の看板屋で修業を積み、帰郷して起業しました」と立石氏は創業当時を振り返る。大阪へ修業に行くことを父親に申し出た際、「大阪で5年修業したら府中に帰って会社を興す。10年たったら社員を10名にして法人化し、実家を建て替える」と宣言した。父親からは「お前の思う通りになるものか!」と戒められたが、立石氏はその誓いを見事に達成したのだ。
「この経験を通して、目標を持つことの大切さが身に染みて分かりました。多少誇大なところがあっても、熱い思いのこもった目標であれば、試行錯誤しながら達成するためのプランや方法を思い付き、目標が形になっていくものです」(立石氏)
企業にとって最大の目標である経営理念は、「お客様の繁栄を考え、地域・社会へ貢献することが我社の繁栄につながる」とした。毎朝唱和し、新入社員には詳しく解説するなどして社員への浸透に努めている。
事業を展開する中で、売り上げや利益よりも社員の幸せが大事だと気付いた立石氏は、経営理念に「社員の自立と豊かな幸せを実現し、地域・社会に貢献する」を入れた。すると、ある社員から「これはきれいごとですよ」と批判された。
「そこで、毎年作成する経営指針に、社員のプライベートな夢を盛り込もうと考えました。社員一人一人の夢を全社員で共有し、一緒に実現していこうと」(立石氏)
こうして、社員の幸せを真摯に追求する姿勢を明示したのだ。同社の経営指針を見ると、顔写真付きで全社員のプライベートな夢と実現方法、進捗状況が記載されている。年に3、4回、経営トップが個人面談を行って夢の確認や達成度合いなどを確認しているそうだ。
「仲間の夢を実現するために、業務を他の社員がシェアして早めに帰宅させるといった取り組みが自主的に行われるようになった」と立石氏はうれしそうに話す。そして、こう続けた。
「目標や夢に一歩一歩近づいていると実感すると、仕事は楽しくなるものです。人生の中で多くの時間を費やす仕事が楽しくなかったら不幸。“ 仕事を楽しむことが人生を楽しむこと”。これが私の経営哲学です」