「経営人材」の育成には事業開発へのリーダーシップが必要:立教大学 経営学部 経営学科 准教授 田中聡×タナベコンサルティング 若松 孝彦
越境学習で社内の知の深化を図る
田中 新規事業開発の目的は何かと言えば、「自社の未来をつくる」こと。既存事業の延長線上にある値と経営目標のギャップを埋めるのが新規事業の本質です。自社全体の未来を描くトップの視点を持ちながら、事業レベルの意思決定ができる経験は新規事業以外ではなかなかありません。
若松 その通りです。事業センスが経営センスの中から磨かれていくことだと考えています。すなわち、新規事業開発に挑戦する企業文化を生み出す組織デザインでしょうか。私たちはその1つの手法として、「ジュニアボード」と称するチームコンサルティングをクライアントに導入しています。次代の経営人材候補に対して、「ビジョン実現の具体策」を検討・実行させるチームコンサルティングメソッドなのですが、ジュニアボードチームに新規事業や事業ポートフォリオの変革などを求めるケースが大半です。
ポイントは、「チームビルディングと実装」です。事業センスに年齢、役職、性別などは関係ありません。組織の中から事業センスのある人材を見つけ、チームをつくり、ビジョンを推進していくのがチームビルディング。そして、実行へ移す事業に投資することが実装です。
もう1つのメソッドとして、こちらも日本一の実績(約160校)を持つ「TCGアカデミー(企業内大学)」の導入が挙げられます。導入先企業の人材育成プログラムを支援するチームコンサルティングです。ポイントは、導入する会社の社員の皆さんがアカデミー講師を務めることにあります。社員はPCやスマートフォンなどを使って、好きな時間・場所で受講することもできます。
田中 コンサルティングファームが率先してクライアント企業の中で講師をつくるのは、言ってしまえば「カニバリゼーション」(共食い)の領域。コンサルタントを派遣して報酬をもらおうと考えるのが普通ですが、その仕組みづくりを支援するというのは面白いですね。
若松 ありがとうございます。この仕組みに可能性を感じた現場での出来事がありました。あるクライアント企業の社長に、アカデミー導入後の状況説明をするためのデモ動画を見せたところ、「タナベコンサルティングの社員さんはうまく話しますね」と褒めていただいたのですが、実はその動画の講師はクライアント企業の社員だったのです。そのことをお伝えすると社長はその社員の名前を聞き直し、「当社にも優秀な社員がいるじゃないか」と感動していました。その時、TCGアカデミーとは、「できない人よりもできる人材を発見し、社員一人一人を主役(タレント)として活躍させるプログラム」だと確信したのです。
田中 組織開発であり、人材開発でもある。突き詰めると、人材育成の最適解は現場ごとに異なりますが、今はOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)が機能不全に陥り、実践知の伝承が難しくなっています。その点、アカデミーは職場内で形式知化されていない暗黙知を共有して学ぶ場を復権させようとする試みのように映ります。
最近は、越境学習や、イノベーションの分野でも「知の深化・知の探索」という「両利きの経営」が注目されています。社内の既存の知と、社外にあるかけ離れた知識をいかに掛け合わせられるかという話ですが、アカデミーは社内にある既存の知同士を掛け合わせる社内越境学習の機会になりますし、そこから新しいアイデアをつくるという新規事業の文脈でも可能性を感じます。
2極化する人的資本経営への取り組み
若松 しかし、私は一方で、「戦略は何をするのかと同じぐらい、誰がするかが大切だ」とも言っています。事業のアイデアがあっても、人をつなぐことができないと組織はうまく回りません。田中先生は「人的資本経営」についてどのようにお考えでしょうか。
田中 人的資本経営を生かすも殺すも経営者次第です。情報開示やコーポレートガバナンス・コードの改訂、社外取締役の増員などさまざまな枠組みの議論はあるものの、本質的な人的資本経営に経営者の関心がどの程度あるかと言えば、私はまだ懐疑的な見方をしています。総論では、「人的資本経営が大事だ」と言いますが、賃上げや働き方改革といった個別具体的なイシューへの対応を見ると、人的資本経営に向けてアクセルを踏んでいる会社と、様子を見ている会社に2極化しています。
ただ、世の中の関心が高まっていることは良い機運だと思います。むしろ、人的資本経営がバズワードとしてあるのなら、みんながそこに乗ってみる。取り組んでいない企業に対して「何で取り組まないの?」という感覚で引っ張って行けば良いのかなと思います。
若松 「企業は人なり」。これは松下幸之助氏が“経営の神様”と呼ばれていた時代から言われてきたことです。社員一人一人が将来のビジョンを描けるようなジョブデザインが企業に求められるフェーズに入っていますが、一方で、「人材開発=コスト」という考え方を変えられない構造的な問題も残っています。
田中 人的資本の価値をいかに最大化するかを考える際、今のところ主語は経営です。「経営のために社員を○○する」といったように。ですが、本質的にはこの概念の主語は働く社員一人一人だと思います。自分の資本的な価値をどう高めて行くのか、そこに会社がどう寄り添っていけるかが本来の姿。主語が経営から個人に変わったときが、人的資本経営が前進するときだと思います。
ただし、単に個人のやりたいことや個人の好きに寄り添うのは経営ではありません。厳しくもフラットで対等な緊張関係の中に個人と経営がある関係性をつくれるかどうかが重要であり、個人に対してきちんとキャリアの選択肢を提示しながら、会社は個人にどのレベルの水準を求めているのかを発信する必要があります。
さらに、もしも企業が求める水準に個人が到達しなければ、違う会社で活躍する道をあえて本人に提案するのも企業と個人の健全な関係だと思います。その意味でも、「その会社は何のために世の中に存在しているのか」というビジョンを起点に、人的資本を語るべき時期がきていると思います。
若松 同感です。そのためにもパーパスを示し、ビジョンを描き、未来のために事業を創造する経営人材の育成が求められています。今回の対談を通して、私たちTCGが大切にしてきたトップマネジメントアプローチや経営人材育成を見直すこともできました。ありがとうございました。
立教大学 経営学部 経営学科 准教授 田中 聡(たなか さとし)氏
1983年山口県生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(学際情報学)。慶應義塾大学商学部卒業後、インテリジェンス(現パーソルキャリア)入社。大手総合商社とのジョイントベンチャーに出向して事業部門を経験した後、人と組織に関する調査研究・コンサルティング事業を専門とするインテリジェンスHITO総合研究所(現パーソル総合研究所)の立ち上げに参画。同社リサーチ室長・主任研究員・フェローなどを務め、2018年より現職。専門は、経営学習論・人的資源開発論。働く人とチームの学習・成長について研究している。
タナベコンサルティンググループ タナベコンサルティング 代表取締役社長 若松 孝彦(わかまつ たかひこ)
タナベコンサルティンググループのトップとしてその使命を追求しながら、経営コンサルタントとして指導してきた会社は、業種・地域を問わず大企業から中堅企業まで約1000社に及ぶ。独自の経営理論で全国のファーストコールカンパニーから多くの支持を得ている。1989年にタナベ経営(現タナベコンサルティング)に入社。2009年より専務取締役コンサルティング統轄本部長、副社長を経て2014年より現職。2016年9月に東証1部(現プライム)上場を実現。関西学院大学大学院(経営学修士)修了。『100年経営』『戦略をつくる力』『甦る経営』(共にダイヤモンド社)ほか著書多数。
タナベコンサルティンググループ(TCG)
大企業から中堅企業のビジョン・戦略策定から現場における経営システム・DX実装までを一気通貫で支援する経営コンサルティング・バリューチェーンを提供。全国600名のプロフェッショナル人材を有し、1957年の創業以来15,000社の支援実績を持つ日本の経営コンサルティングのパイオニア。