【第2回の趣旨】
アグリサポート研究会(全6回)は、「アグリ関連分野の持続的成長モデルを追求する」をコンセプトに掲げている。
第2回は高知県での視察を行った。高知県は一年を通じて平均気温が高く、耕種農業が盛んである。日照時間も多い温暖な気候が特徴であり、森林面積は日本一で、一次産業の割合が高い県である。
1日目はゆずの有機農業面積で日本一の馬路村の取り組み、2日目は四万十町にある四国最大規模の四万十みはら菜園・ベストグロウ様によるIOTを活用した大規模栽培について、現地現場で学んだ。
開催日時:2024年12月5日~6日
はじめに
馬路村は、村の面積の96%が森林という自然豊かな村であり、かつては西日本最大の森林鉄道が駆け巡っていた。林業が盛んに行われ、県木にも指定されている魚梁瀬杉は藩政時代には土佐藩の財源としても重宝された。戦国時代から続く林業は、馬路村の誇りであった。
昭和中期頃には中心産業であった林業だが、以降衰退の一途を辿っている。林業が盛んだった頃は3,500人の人口を有していたが、そのほとんどが林業従事者であったため、林業衰退とともに大幅な人口減少が進んでいった。
そこで林業に代わる産業として、ゆずを活用した地域活性化を図ることとなり、馬路村農協はゆずの加工事業に乗り出した。
馬路村農協内の展示資料
林業からゆず栽培へ新たな事業を求めて
森林鉄道の廃線と共に、本格的なゆず栽培が始まったのは1963年頃である。数人の生産者がゆず栽培を始め、1967年には森林組合がゆず苗木の生産を開始し、田畑での栽培が始まった。当初は、収穫後に農家で搾ったゆずを農協が集荷していたが、1972年に高知・北川村の川島博孝氏が日本初のベルト式ゆず搾り機を開発。生産が増え始めた1975年には、ゆずの集荷場が完成し、農協での搾汁が始まった。
今後の農業の発展を見据えると、ゆずドリンクやポン酢などゆずの加工品を直接消費者に販売することが必要との考えに至り、1979年に初めての商品「ゆず佃煮」を発売した。
現在の売上高は約30億円で職員90名は常時働いており、馬路村(人口800人弱)の雇用創出にもつながっている。馬路村農協は単独農協として、ゆずの加工品で事業展開することで外貨を稼ぎ、村民、組合員、食、従業員に還元しているのである。
ゆずドリンクの製造ライン
荷づくり場で、1つ1つ丁寧に梱包されている
地域ブランドの確立へ
ゆずドリンク「ごっくん馬路村」、ポン酢しょうゆ「ゆずの村」といった主力商品をはじめ、馬路村農協では70種類以上の商品を発売している。「ごっくん馬路村」は当初高知県内で販売していたが、やがて県外へも販路を拡大。地域の知名度アップを図るため、商品名に「馬路村」を付けたことで馬路村のPRとなり、ブランド化が進んでいった(年間600万本を製造販売)。
また食品加工に留まらず、ゆずの種からオイルを抽出し、化粧品やボディオイルに配合して商品化するなど、職員が知恵を絞ってアイデアを出し、商品づくりに貢献している。事務所内にはデザイン室を設けて、馬路村のCM、新聞広告や商品パッケージやパンフレットのデザインなど、馬路村のブランディング活動を行っている。
デザイン室の入り口
オーガニックビレッジ宣言
馬路村は2001年にゆずの有機栽培を開始し、ゆず栽培農家の全てが化学農薬、化学肥料、除草剤を一切使用せずに栽培を行っている。
有機肥料として、ゆず加工の際に出る残渣を堆肥化し、畑にまく「有機循環農法」で土を育てている。村民一丸で取り組んだ結果、耕地面積に占める有機面積の割合は81%に拡大。日本国内において群を抜く高い割合で全国1位となっている。
有機栽培には、農産物が大きく育たない、生育に時間がかかる、土壌に栄養をつけるのに時間がかかる、除草駆除に手間がかかるなど課題も多いが、馬路村が目指すのは単なる経済発展ではなく、馬路村に住む人々が心豊かに暮らしていける環境づくりであり、村の人々や自然がいつまでも馬路村にあり続けることを願ってのものだ。
農林水産省が策定した「みどりの食料システム」では、2050年までに有機農業の取り組み面積の割合を2020年時点の0.6%から25%に拡大することを目標とし、地域ぐるみで取り組む市町村を広く募集している。2024年に馬路村は高知県初の「オーガニックビレッジ宣言」を行い、有機農業のPRに取り組み、推進している。
農協内で展示されている主なゆず製品

理事販売課長