タナベコンサルティングのアグリサポート研究会では、「アグリ分野の持続的成長モデルを追求する」をコンセプトとして掲げている。第5回は、アグリ業界において先進的な取り組みを行う企業を視察。2日目は、大潟村あきたこまち生産者協会の代表取締役会長・涌井徹氏より、「若者が夢と希望を持てる農業の創造」と題して、BtoCの独自の販路開拓とグルテンフリーの商品開発に至るまでの道のりや、その成果についてお話しいただいた。
開催日時:2024年5月27日~28日
代表取締役会長 涌井 徹 氏
大潟村あきたこまち生産者協会(秋田県南秋田郡)は、「自分たちが栽培したお米を全国の消費者に直接お届けしたい」という思いで1987年に創業。当時、代表取締役社長だった涌井氏は、コメの消費拡大に向けて精力的に活動してきた。
現在は、コメを使ったグルテンフリー商品の開発・販売により、コメの付加価値を向上させる取り組みを推進。また、地元の行政と協定を結び、廃校を活用してパックライス工場を新しく建設し、地元を中心とした雇用拡大にも貢献している。
若者が夢と希望を持てる農業を創造する「お米のオンリーワン企業」を目指している
1970年に新潟県・十日町から秋田県・大潟村へ入植した涌井家は、入植早々、国が減反(生産調整)政策を打ち出すという壁にぶち当たった。コメを多く作っても農協に買い取ってもらえない状況の中、涌井氏が始めたのが「直販」だ。
今のような配送ルートがない時代、農作業が終わった夜中に自分たちでトラックを運転・配達して独自ルートを築き、コメの販売量を増やしていった。宅配便が普及した後は配送を委託するようになったが、同社の直販に反対する団体もいた。しかし、そこで諦めず、宅配業者へ直接交渉を行い、直販の継続に成功した。
販路拡大の手段としては、多くの広告を打った。インターネットの活用が、まだ盛んではない時代だったので、まずは折り込みチラシからスタート。積極的に広告を出稿し、新規顧客から多くの受注をもらえるようになったが、広告はやめなかった。新規の注文がどれだけ入っても、顧客は必ず減るものだからだ。こうした積極的な広告活動でファンを増やし続け、2024年現在の個人会員は5万人、法人会員は7000社に上る。
届けるのはもちろん、おいしく安全なコメである。米ぬか醗酵肥料工場の建設や残留農薬分析システムを導入し、品質管理にも力を入れている。
取引先の要望に沿った商品を開発し、倉庫内には多くの商品が並ぶ
主食用米ではなく、米粉用米などの栽培が減反(転作)として認められたことで、2009年に涌井氏は製めん工場や米粉専用の製粉工場を作り、米粉商品の開発をスタート。工場は食物アレルギー特定原料等27品目を持ち込まないようにした。
しかし、日本人の味覚にかなう、小麦よりおいしいパンやパスタを製造するのはハードルが高く、苦戦する日々が続いた。そんな中、あるスポーツ選手が、小麦に含まれるグルテンを避ける「グルテンフリー」にこだわった食生活をしているというインタビューを見た涌井氏は、「当社が販売しているのはグルテンフリー商品だったのだ!」と気づき、「米粉」という表記を全て「グルテンフリー」に変更した。
変更当初は、まだ日本国内でなじみがない言葉だったため、販売には苦戦した。だが、広告や国内外での展示会などでの草の根活動を通じてグルテンフリーを広めることで、小麦アレルギー対応だけでなく、健康や美容に良い食品として認知度が高まり、販売数を増やすことに成功。さらなるコメの消費拡大につながった。
コメを使った数十種類のグルテンフリー商品を製造。コメのピューレを使用したパスタソースも開発している
相談を断らない涌井氏の下には、さまざまな相談が舞い込むようになった。2024年現在は、地域の雇用のため、廃校になった小学校を活用してパックライス工場を建設中で、地元を中心に40名程度の新規雇用を計画している。
また、 2016年には秋田銀行や三井住友銀行と共同出資し、株式会社みらい共創ファーム秋田を設立。スマート農業を取り入れた稲作や玉ねぎ事業に取り組んでいる。これまでの技術を結集し、少人数大規模農業モデルを築いて、他地域へ伝播することが目的だ。
秋田・日本の農業界のために、活動の幅を広げている涌井氏。これからアグリ産業に参入する方々に向けては、「すでに地域にある農業法人と手を取り合っていくのが良いのではないか」とアドバイスされていた。
新しいパックライス工場の完成イメージ。既存の小学校校舎と体育館は改修・増築して活用。年間5500万食の生産を目標とする