【第5回の趣旨】
“リアル”と“デジタル”が融合し、その境目がなくなる中、商品やサービス、人材・採用、さらには会社そのものの価値の再定義すら必要な時代が到来している。物理的価値や金銭的価値だけではステークホルダーから選ばれにくくなるにつれ、本質的欲求をもとにした「体験価値」のデザインが、ブランディングの一環として欠かせなくなっているのだ。
ナンバーワンブランド研究会では、ポストコロナ社会の価値観を踏まえた上で、自社の価値を再定義していく。第5回は、日本酒のハイブランド・黒龍酒造(石田屋)のパーパスブランディングと、折れ戸業界のニッチトップ企業・TOKOのインナーブランディングに学んだ。
社長室 水野 真悠 氏
はじめに
1804年創業の老舗酒造でありながら、業界の慣習にとらわれず、大吟醸酒市場の創出や企業理念のデザインへの反映によるブランド力向上、長期熟成酒市場の開拓、RFIDによる流通管理などに挑戦して成長を続けてきた石田屋(黒龍酒造)。近年は、地元の酒造の成長を「蔵元経済圏の拡大」と捉え、地域を巻き込んだ取り組みを進めている。
同社は「愉しみ」というパーパスを掲げ、土地の恵みを生かすものづくりの力で愉しみを生み出して、地域へ還元していくことを宣言。そのためのプラットフォームとして「ESHIKOTO(エシコト:善し事)」プロジェクトを開始し、地元の自然を通じた「愉しみ=体験価値」を創り出している。
まなびのポイント 1:地方酒造の勝てる場は「蔵元経済圏(マイクロエコノミー)」の拡大
“日本酒離れ”が顕著な市場において、2.5%の蔵元が64.8%の清酒を製造している現状や蔵元数の激減など、地方酒造にとって厳しい経営環境が続いている(石田屋調べ)。
こうした状況の中、地方酒造各社が成長していくためには、蔵元を中心に、地元の林業・農業・祭り・工芸・道具・飲食・雇用といった要素が一体となって発展していく小規模経済圏(=蔵元経済圏)が必要であると同社は捉えた。実際、工芸・飲食の強化や、インバウンド・マイクロツーリズムなどの観光要素の追加によって経済圏の拡大を行う地方酒造は成長を続けている。同社はこの「蔵元経済圏の拡大」という戦略を推進し、地域を巻き込みながらブランディングを進めている。
ESHIKOTOプロジェクトの一環として、2022年6月に福井県・永平寺町にてオープンした黒龍酒造の観光施設「ESHIKOTO」。福井の食や日本酒、伝統工芸の魅力を国内外へ発信している
まなびのポイント 2:200年の経験を社会に生かすパーパス「愉しみ」
200年の歴史に裏打ちされた、黒龍酒造の「地の恵」を生かすものづくりの技と知恵。この強みを、解決が難しい地球規模の社会課題の解決に生かせないかと考えた同社が創ったパーパスが「愉しみ」である。
人々が同社の酒に触れたとき、安心や安堵、幸せ、希望を感じるという「愉しみ」が生み出される。この「愉しみ」の創造こそが、同社の誇るものづくりの力を生かした社会貢献の形であると定義し、「この土地ならではの愉しみを生み出し、地から得た恵を、この地へと返し続ける」というミッションを確立した。
まなびのポイント 3:体験価値プラットフォーム「ESHIKOTO」で蔵元経済圏を拡大
「愉しみ」を創造する同社ならではの蔵元経済圏拡大の取り組みが「ESHIKOTOサイクル」である。パーパスをシンボルにしたものが「ESHIKOTO」であり、プロジェクト名と製品・サービスのブランド名を兼ねている。
同社はESHIKOTOをプラットフォームに、生産者・メーカー・プランナー・クリエイターといった多様なパートナーを巻き込み、食にとどまらない体験価値を生み出して、地域の成長と発展を支える活動を続けている。黒龍酒造による「酒がもたらす感動体験」と、ESHIKOTOによる「環境がもたらす感動体験」で、今後も蔵元経済圏を拡大させていく。
黒龍酒造の取り組みの全体像