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モデル企業
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【企業事例】優れた経営戦略を実践する企業の成功ストーリーを紹介します。
モデル企業 2024.11.01

組織活性部を軸に「働き方開拓」を推進 ナカリ

 

創業100年を超える老舗企業でありながら、スタートアップさながらの改革を推進しているナカリ。組織活性部を中心に、「働き方開拓」と銘打ち、時代に合わせて社員が働きやすい仕組みを整えている。

 

 

どの現場も「自分事」と感じられる心を

ナカリは、主食用から加工用まで、あらゆる種類の国産米を取り扱うオールライスメーカーⓇである。創業の地・宮城県加美町(旧・中新田町)に根を張り、地元産を中心とした良質な米を全国に届けることで、地域の発展に尽くしている。創業者・中村利三郎氏から4代にわたり質素堅実の経営を貫き、盤石な基盤を築いてきた。

しかし、家族経営の企業において、経営者と社員の目的意識を一致させていくことは、決して容易なことではない。同社の執行役員統括本部長で、組織活性部の中心メンバーでもある星忠吉氏によると、同社も2008年ごろまでは「文鎮型組織」と指摘されるほど封建的な組織だったという。

「当社は3代目まで、ハード面の投資やグループ会社の立ち上げに注力し、成長・発展してきました。一方、『家業』という感覚が強く、社員一人一人がナカリという会社を『企業』として客観的に分析する機会はありませんでした。そこで、4代目である代表取締役社長の中村信一郎に世代交代するタイミングから、ソフト面での改革が本格的に始まったのです」(星氏)

2009年、中村氏が初めに着手したのは、次世代幹部育成プログラム「ジュニアボード」の実施だった。このジュニアボードでは、星氏を含む20歳代から30歳代の若手リーダー候補9名が、1年間かけて自社のビジネス環境や政治・経済の動向、強み・弱みなどを多角的に分析。一人一人が将来の経営幹部としての役割を自覚し、具体的なアクションプランを作成した。

翌2010年には、ジュニアボードで浮かび上がった課題を解決していくために「組織活性部」を発足。メンバーそれぞれが業務の合間を縫って月1回の定例会議を重ね、社員の意識改革につながる取り組みを次々と試みていった。

「最初は何から始めれば良いのか分からず、手探り状態でのスタートでした。ジュニアボードで学んだ内容をボトムアップで現場に共有したり、社内アンケートを実施してみたり、さまざまな資料を作成したり……。しかし、当時は『仕事以外のことはするな』と反発する上司が多く、改革は思うように進みませんでした」(星氏)

しかし、「この壁を乗り越えなければ」と心に決めていた星氏ら組織活性部のメンバーは、粘り強く改善の道を探り続けた。特に課題として感じていたのは、各現場の間に存在する厚い壁である。

「私たちが扱う商品は、複数の工場でいくつもの工程を経て、ようやく出荷できるものです。始点から終点まで、どのプロセスにおいても同じように高い意識で製造管理を行わなければ、最終工程でそのしわ寄せが生じ、結果としてお客さまからのクレームが増えてしまいます。

そのため、組織活性部では、社員一人一人が各現場の役割や責任の所在を理解し、自分の立ち位置や到達すべき目標を自覚した上で、皆で同じ方向を目指して『共走』できるように、組織づくりを進めていきました」と星氏は当時を振り返る。

中には改革の途上で会社を離れていった社員もいたが、「常にやるべきことを共有でき、one for all, all for one(ひとりが皆のために、皆がひとりのために)で行動できる組織」を目指して、ブレることなく施策を実行したのである。

ある時、ナカリブランドの価値向上に向けて、丸2日間業務を停止し、全社員で徹底的に工場を清掃したところ、社内の空気が一変したという。

「役職も部門も年齢も関係なく、全員で一生懸命に工場をピカピカにしたら、すがすがしい達成感で心がつながったのです。清掃の効果をあらためて実感し、今は年に5回「5S(整理・整頓・清潔・清掃・しつけ)の日」を設けて、全社を挙げて取り組んでいます。その後も、社内のコミュニケーションが活発になるよう地道に取り組む中、どの現場で起きていることも全て『自分事』として考える風土が、少しずつ醸成されていきました」と星氏は語る。

 



ナカリ 代表取締役社長 中村 信一郎氏(上)、執行役員 統括本部長 星 忠吉氏(下)