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モデル企業

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【企業事例】優れた経営戦略を実践する企業の成功ストーリーを紹介します。
モデル企業 2024.09.02

製品価値を伝えるフレーズを紡ぎ出す

WHILL



免許やヘルメット不要の近距離モビリティーWHILL(ウィル)。優れたデザイン性と極上の乗り心地であるプレミアムモデル(左下)や、折りたためるモデル、スクータータイプのモデル(右下)があり、利用者の用途や保管場所に合わせられる

 

 

歩くのが当たり前と思われていた近距離の移動が、もっと快適になるモビリティーとして人気上昇中のWHILL(ウィル)。人々の先入観を一変させるため、社内外を巻き込みながら進めたPR戦略に迫る。

 

 

マーケティング・営業・広報がワンチームでPR

 

「100m先のコンビニエンスストアに行くのを諦める」。この1人の車いすユーザーの声をきっかけとして、当時自動車メーカーのデザイナーだった杉江理氏(WHILL 代表取締役社長 CEO)とエンジニアだった創業メンバーが、「すべての人の移動を楽しくスマートにする」をミッションとして、2010年に免許不要の近距離モビリティー開発に乗り出した。

 

歩行に困難を抱える人たちが、移動手段として車いすがあるにもかかわらず、わずかな距離でも外出を諦めてしまうのはなぜなのか。杉江氏らがその点を掘り下げてみると、「車いすに乗る」ことへの根深い抵抗感が浮かび上がってきた。

 

「車いす」という言葉は、病気や障害を持つ人など「歩けなくなった人が乗る福祉器具」という固定概念と強く結び付いている。水面下にあるのは、「歩くのが当たり前」「歩かなくなったら終わり」といった社会の意識だ。

 

そこで同社の開発チームは、これまでの常識にとらわれない近距離移動の在り方や、モビリティーの可能性を再考。スタイリッシュなデザイン性と片手で簡単に運転できる操作性を兼ね備えたウィルのコンセプトモデルを、2011年12月の「東京モーターショー」で披露し、人々が車いすに抱いていたイメージを一変させた。

 

翌2012年5月に、杉江氏らはWHILLを株式会社として設立し、製品化をスタート。世界中から大きな反響を得て2014年に初号機を発売した後は、ユーザー一人一人の声を大切に拾い上げて開発を重ね、2017年に普及価格帯モデル「WHILL Model C」を発売した。以来、自動車ディーラーや自転車販売店をはじめ幅広い業界に共感が広がり、名だたるデザイン賞にも輝いて、2024年7月現在、取扱店は1500店舗に増えた。

 

飛躍的な成長を遂げた同社だが、「これまでと同じ車いす」という先入観を払拭ふっしょくするのは容易ではなかった。

 

2021年3月に同社へ入社した日本事業部広報の新免那月しんめんなつき氏は次のように語る。

 

「私が着任した当初、ウィルの取扱店数はわずか9社でした。そのころは、テレビや新聞などのマスメディアで、パッと見た印象から『電動車いす』と表現されるケースが多かった。そこで、自動車と同じ『乗り物』の1つとしてショールームに置いていただけるよう、マーケティングやセールスのメンバーと、部署をまたいでPR戦略を立てました」(新免氏)

 

第1弾は2021年6月。「新しいクルマに乗り換えよう」というキャッチコピーで、自動車運転免許を返納してウィルに乗り換えた新しいユーザーを対象に、ウィルの納車式や、家族からの運転感謝状を贈るキャンペーンを実施した。ウィルを取り扱う全国16社の自動車ディーラーを巻き込み、免許返納からの乗り換えをポジティブなイベントとして発信したところ、ウィルの取り扱いを希望する店舗が倍増。3カ月後の2021年9月には、「クルマって〇〇だ。WHILLだってクルマだ」というキャッチコピーを掲げて、ディーラー32社との全国的なPRキャンペーンを実現させた。

 

「キービジュアル、ポスター、三角ポップ、チラシ、SNS画像など各種ツールを用意し、取扱店とコミュニケーションが取れるよう専用ポータルサイトも立ち上げました。当社では、杉江を筆頭に全社員が『答えはユーザーや現場にある』との認識を共有しています。お客さまや店頭スタッフの方々から寄せられる課題感をヒアリングしながら、企画を立てていきました」(新免氏)

 

現場からは次第に「ユーザー本人にウィルを勧めるのは、高齢であることやドライバー引退を想起させてしまい、ハードルが高い」との声が上がってきた。そこで、2022年3月にスタートした第3弾のキャンペーンでは、「家族に贈る新しいクルマ」というキャッチコピーによって、家族からウィルを贈る文化の醸成を訴求。同年5月に、運転技能検査が義務化されるタイミングと重なり、全国80社以上のディーラーが参加する一大キャンペーンとなった。

 

購入したユーザーからは「家族と同じペースで歩けるのが本当にうれしい」「今まで外出がおっくうだったけれど、もっと早くから我慢せず乗っておけば良かった」など感動の声が寄せられている。

 

 

歩行に関する不安から2人に1人が旅行を断念

 

2023年、同社が実施した「シニア世代とその家族における外出・旅行などへの意欲や購買行動の変化などに関する実態調査」によると、シニア世代(65歳以上の男女)の2人に1人が、体力や長距離・長時間の歩行に対する不安があることや、家族への遠慮を理由に、行きたい場所があっても諦めていることが判明。また、高齢の親と一緒に出かけたいと思う子世代は7割いるものの、そのうち85%が、親の体力や足腰の筋力が衰えていること、疲れさせてしまうことを心配して「誘うのをためらう」との事実も浮き彫りになった。

 

日本では人口減と超高齢化が同時進行し、今後も後期高齢者が増えると予想されている。「免許を返納すると家にこもりがちになってしまうのでは」と心配する家族も少なくない。

 

そこで同社は、「長距離の歩行がつらい」と感じる人であれば、年齢や障害の有無にかかわらず、誰もが気軽に外出先でウィルを一時的に利用できる法人向け事業「WHILLモビリティサービス」の提供に注力。アクセシビリティー環境の整備などが社会的に重視される中、多世代の来場促進や滞在時間の延伸などの効果があること、また多くのメディアでウィルの新規性が報じられていることから、テーマパークや大型ショッピング施設、ホテル、観光地など全国の施設で導入が相次いでいる。

 

近年は「遠くはクルマ、近場はウィル」というキャッチコピーを展開して、免許返納前から乗車するモビリティーを使い分ける移動習慣の浸透に取り組んでいる。大のクルマ好きで知られるタレントの関根勤氏・麻里氏親子を起用したPRイベントも反響も呼び、今やウィル購入者の40%が自動車免許の保有者だ。

 

「当社の主要マーケットである北米では、車いすに対するネガティブイメージは日本に比べて薄く、『歩くのがおっくうなので車いすに乗る』『目的地で楽しめるよう、移動中は体力温存のため車いすに乗る』という生活習慣が浸透しています。日本国内でも、レジャー施設やホテル、ショッピングモールをはじめ、公園、動物園、芸術施設、病院など、さまざまな施設内での移動にウィルの活用が広がっています」(新免氏)

 

また、日常利用・一時利用ともに、ウィルに付随する保険・修理・レンタル・広告・IoTサービス・IDサービスなどの各種サービスを用意し、自動車業界と同様のエコシステムを近距離モビリティー業界にも構築すべく、事業を推進している。
※ 2022年5月13日に施行された「改正道路交通法」によって、75歳以上で一定の違反歴があるドライバーに対して、免許更新時に運転技能検査を実施することが義務付けられた

グランドニッコー東京ベイ舞浜や志摩スペイン村などの施設で、一時利用できるよう導入されている(左)
自動車ディーラーでは、クルマと同じようにウィルにも試乗できる(右)