メインビジュアルの画像
モデル企業
モデル企業
【企業事例】優れた経営戦略を実践する企業の成功ストーリーを紹介します。
モデル企業 2024.07.01

設備投資や海外展開で価値創造し連結売上高10倍に 西部技研


西部技研の技術はEV電池、半導体、食品などのドライルームやクリーンルームの装置に用いられている

 

独自のコア技術を用い、工場向けの除湿設備や、排出される揮発性有機化合物を除去・濃縮する設備の開発から販売、メンテナンスまで一貫して手掛ける西部技研。
国内だけでなく中国・欧州・北米・韓国にグループ企業計8社を持ち、2023年10月には東京証券取引所スタンダードへの上場を果たした。
積極的な設備投資や業界に先駆けたグローバル戦略による躍進の軌跡をたどった。

 

技術を突き詰め、自前主義を貫く

 

西部技研は、2025年で創業60周年を迎える福岡発のグローバル企業だ。創業者である隈利實(くまとしみ)氏は九州大学工学部の研究者だった。大学勤務の傍らに設立した個人研究室において企業から研究開発を受託するようになり、1965年に法人化。経理や財務は妻の智恵子氏に任せ、研究開発を応用した製品を作るメーカーとしての道を歩み始めた。

 

当初は業務用ヒーターを製造・販売していたが、1973年にオイルショックの影響で材料調達が難しくなり、利實氏は事業転換を迫られた。そこで目を付けたのが、ある企業から商品化の相談を受けて取り組んだ、「ハニカム」という構造体を使った全熱交換器※1の開発だった。

 

ハニカムとは、正六角形・正六角柱を隙間なく並べた蜂の巣のような構造体のこと。そこに吸着剤などの化学物質を添着させる技術が、同社の独自技術だ。空気をハニカムフィルタに通すことで、脱臭や除湿、除塵、オゾン分解など、さまざまな効果が得られる。体積に比べて表面積が広く、空気抵抗が少ない、軽くて強いという性質を利用し、現在は家電や事務機器、オープンショーケースなどに使用されているが、当時は同様の発想を持つ企業は国内にはなく、利實氏はそこに商機を見いだした。

 

「徹底した自前主義、前例は自分でつくるという姿勢が今につながっています」と、父・利實氏の思いを受け継いだ代表取締役社長執行役員の隈扶三郎(ふみお)氏は語る。

 

約3年かけ、ハニカムをコア技術として確立した同社は、装置の心臓部となるハニカムローターの開発・販売を事業化し、1976年に部品メーカーとしての事業を開始。空調機メーカーへ売り込みをかけた。

 

「あらゆる装置の良し悪しを決めるのはローターの性能によるもので、その技術を向上させれば、組み立てメーカーは絶対に欲しがると父は確信していました」(扶三郎氏)

 

同社の現在の主力製品であるデシカント除湿機も、ハニカム技術を応用している。1980年代には同機のローター製造に特化し、組み立てメーカーに販売していたが、その技術の高さが評判を呼び、国内外のメーカーから声がかかった。1985年にスウェーデンのDST社と、1988年にはドイツのクラフタンラーゲン社と業務提携を行った。

 

「部材だけの輸出はコストが低い上に、除湿機の完成品を作っているメーカーは世界でも数が限られており、狙い撃ちできて効率が良かったのです。ニッチな市場ゆえに、比較的早い段階でグローバル展開ができたのでしょう」(扶三郎氏)

 

1993年には業務提携先のDST社を買収。利實氏にとっては「志を同じくする世界の仲間と商売を続けたい」という理由での友好的買収だった。

 

そんな父の背中を見て育った扶三郎氏は、1987年に西部技研へ入社。文系出身の扶三郎氏は2年間、現場でローター製造を学んだ後、営業部門へと異動した。扶三郎氏は当時を次のように振り返る。

 

「父はハニカム技術による製造物の性能に非常にこだわっていました。当時は販路づくりもグローバル展開も自前主義という姿勢が社員たちに浸透しており、輸出もほとんど商社を通していません。それは国内外問わず、技術者が見れば技術の良さは必ず分かるという父の自信からでしょうね」

 

1990年から2年間、米国に駐在し、現地の組み立てメーカーを開拓した扶三郎氏は、自社の技術の強みを肌で知った。

 

 


ハニカム構造のフィルター(模型)。表面積が広く、空気抵抗が少ない特性が、高精度の除湿や揮発性有機化合物の除去を可能にする

 

※1 換気の機能と室温を一定に保つ機能を両立させることで、室内環境の変化を最小に抑えて快適に保つ省エネルギーシステム