その他 2023.08.08

パーパスの策定で人と事業の目指すべき方向を明確化:セイコーエプソン

 

時計の開発で磨き上げた技術を多彩な分野に応用し、80年余の歴史を紡いできたセイコーエプソン。2022年9月に制定したパーパスには、「だからこそ、私たちは自信を持って商品を送り出す」という社員一人一人の内なる思いが凝縮されている。

 

パーパスの根底にある「共生」の心

 

セイコーエプソンの始まりは太平洋戦争下の1942年、長野県諏訪市で家業の時計店を営んでいた故・山崎久夫氏が、社員わずか9名で開業した大和工業だ。

 

それまで盛んだった生糸工場が世界恐慌などの影響により衰退していく中、「東洋のスイス」を目指し本格的な時計づくりをスタートした。

 

1959年からは、諏訪精工舎としてさらなる高精度・高品質の時計開発に挑戦し、1969年に世界初となるクオーツ式腕時計の開発に成功。さらに、その技術を応用した小型軽量デジタルプリンター「EP-101」を1968年に開発し、海外進出を実現。新たな自社ブランドとして「EPSON(Electoric Printer’s SON)」を立ち上げた同社は、1985年にセイコーエプソンへと社名変更し、高画質・高耐久性・高速性などを兼ね備えたインクジェットプリンティング技術を軸に成長を遂げてきた。

 

その過程で特筆すべきは、同社は高度成長期においても環境への配慮を尽くしてきたことである。「絶対に諏訪湖を汚してはならない」という思いを持ち、自然・地域との共生を大切にしてきた同社は、オゾン層破壊の原因物質である洗浄用フロンを世界に先駆けて全廃。環境へ負荷をかけないものづくりに一貫して挑戦してきた。

 

らしさと強みは「省・小・精」

 

セイコーエプソンのパーパス制定の機運が高まったきっかけは2020年、長期ビジョン「Epson25」の折り返しを迎えたタイミングで、常務執行役員だった小川恭範氏が代表取締役社長に就任したことだった。

 

長期ビジョンに示した「ありたい姿」をさらに深めて、「エプソンならではの社会貢献のあり方」を定義しようと、同社は2021年12月に検討委員会を発足。日本をはじめ、米国、欧州、中国、台湾、東南アジア、インドなど全世界から代表メンバー25名が集まり、約9カ月間かけて対話を重ねた。推進役を務めた経営戦略・管理本部の副本部長である宇都宮純夫氏は、次のように語る。

 

「まず、『パーパスとは何か』という本質的なところから、一橋大学大学院の教授で、パーパス経営の第一人者である名和高司先生にご教示いただきました。その中で、『らしさ』を表すEnabler(イネーブラー)と、『強み』を表すUnique Experience(ユニークエクスペリエンス)を言語化していくことの重要性を学びました」(宇都宮氏)

 

ワークショップ初期の段階では、メンバーが気負わずアウトプットできるように、現在の業務を通して感じている素直な思いを引き出していった。出てきた意見は多種多様だったが、全体としての方向性はずれていない印象を受けたという。

 

「とことん無駄を省いて、小さくて精緻なものを丹念に作り込む。なぜか分からないけれど、それが無性に楽しくてワクワクする。この一点は、日本に限らず海外の現地法人にも共通していたのです。

 

これまで、あえて言葉にして共有する機会はありませんでしたが、やはりここに当社ならではのエネルギーの源があることが分かりました」と宇都宮氏は語る。

 

労働組合の協力を得て、7万人を超えるグローバル社員の声を吸い上げたところ、「省・小・精」にかける思いは、新入社員を含む若い世代の入社動機としても同じように浮かび上がった。

 

出所:セイコーエプソンのホームページよりタナベコンサルティング作成

 

「ほぐす」技術で一歩進んだアップサイクルの文化を

 

社員一人一人の語りから紡ぎ出した言葉で、2022年9月に制定したパーパス「『省・小・精』から生み出す価値で、人と地球を豊かに彩る」は、同社がいま注力している事業の方向性とも一致している。その1つが、さまざまな廃棄物や原料を繊維化して高機能素材へとよみがえらせる「ドライファイバーテクノロジー」を活用したアップサイクルの取り組みだ。

 

この技術はもともと、自治体やオフィスの課題を解決するため2015年に開発された。自治体やオフィスの使用済み用紙には多くの機密情報が記載されている。また、再生紙を作るには通常よりも大量の水が必要で、廃水処理にも膨大な費用がかかっていた。

 

そこで同社は、水を使わず繊維を解きほぐして上質な紙を再生する世界初の乾式オフィス製紙機「PaperLab A-8000」を開発した。ドライファイバーテクノロジーは、アップサイクルを実現するコア技術として幅広い領域への応用が期待できることから、現在は古紙のみならず絹糸・羊毛・木材・化学繊維などさまざまな繊維を解きほぐして、抗菌・撥水・難燃といった機能を添加し、建材や衣料などにも応用できる技術の研究開発が続けられている。

 

もう1つは、同じく貴重な資源である水をほとんど使わずに色調豊かなテキスタイルを生産する「デジタル捺染」技術だ。布地に模様を印刷する染色方法である従来の捺染は、布の洗浄に良質な水を大量に使うため、ファッション業界やファブリック業界を中心に環境負荷の大きさが課題となっている。

 

そこで同社は、テキスタイルの伝統産地として知られるイタリア・コモ地区の企業とインクジェットデジタル捺染印刷機「Monna Lisa(モナリザ)」を共同開発。捺染のデジタル化を実現した。これにより、製版やインク調合といった従来のプロセスが省かれて納期が大幅に短縮。小ロット・省資源で伝統的な色調の捺染が可能となった。

 

「当社はかねてから、プリンターやプロジェクターの開発において、単に情報を映し出すだけではなく、繊細な感情をどこまで表現できるかという点を追求してきました。オーセンティックなクラフトマンシップが当社に息づいているということも、パーパスの議論の中で浮かび上がりました」(宇都宮氏)

 

2021年からは、ファッションデザイナーの中里唯馬氏が主催するYUIMA NAKAZATOの衣装制作をサポートしている。2023年1月には、中里氏がケニアを訪れて回収した古着をドライファイバーテクノロジーによって不織布のシートへと再生。それをMonna Lisaで印刷し、新しい衣服の一部へとアップサイクルされた作品が、春夏コレクション「パリ・オートクチュール・ファッションウィーク2023」で披露された。同年6月には欧州を中心に、世界中から繊維・糸・生地生産者が足を運ぶ国際繊維機械展示会「ITMA2023」に出展。パーパスを体現する成長事業として、デジタル捺染の可能性を模索している。

 

「多種多様なテキスタイル印刷や写真印刷、省人化印刷プロセスなどを体験できる複数のソリューションセンターも開設しています。ファッション業界をはじめ、さまざまな方々と切磋琢磨し合い、『省・小・精』の技術を生かして新しい文化を創出したいと考えています」(宇都宮氏)

 



ドライファイバーテクノロジーでコットン衣類の縫製端材を時計包装材に活用(上)。インクジェットデジタル捺染印刷機「Monna Lisa(モナリザ)」で印刷されたシルクオーガンジーの極薄生地。多彩な生地と用途に対応(下)

 

一人一人が「My Purpose in Epson」を探求

 

パーパスの制定による事業目標設定のあり方の変化について、宇都宮氏は次のように話す。

 

「中長期の目標をガラッと変えることはありませんが、単純に売り上げ規模だけを唯一の指標とするのではなく、成長率やROS(売上高経常利益率)など、それぞれの事業ステージに最適なKPI(重要業績評価指標)を設定していく柔軟性が大切になると思います。

 

私たちを特徴付ける『省・小・精』のコンセプトから、人と地球を豊かに彩り、かつ収益にもつながる価値を生み出していけるか。これが重要な論点になるでしょう」(宇都宮氏)

 

パーパスの浸透に向けては、「まずは経営トップから」と取締役4名が思いを語ったショート動画「My Purpose in Epson」を公式サイトで配信。また小川氏が全拠点に足を運んで講演を行い、各拠点のメンバーと対話を重ねている最中だ。

 

人事部とも連携し、世界各国・地域の次世代リーダー層を対象とした教育研修プログラム「グローバル・インキュベーション・セミナー」や、各現地法人における経営層の充実・強化を図る「グローバル・エグゼクティブ・セミナー」、新人社員研修などで各社員が自分なりのパーパスを語り合う機会を設けている。

 

「自発的に対話活動をスタートしたという声も寄せられています。パーパスは、過去・現在・未来において、どこにいても私たちの目指すべき方向を確認できる北極星のような存在です。時間はかかるかもしれませんが、折に触れて対話を深めていきたいと考えています」(宇都宮氏)

 

セイコーエプソン 経営戦略・管理本部 副本部長 宇都宮 純夫氏

 

 

 

 

PROFILE

  • セイコーエプソン(株)
  • 所在地 : 長野県諏訪市大和3-3-5
  • 創業 : 1942年
  • 代表者 : 代表取締役社長 小川 恭範
  • 売上収益 : 1兆3303億円(連結、2023年3月期)
  • 従業員数 : 7万9906名(連結、2023年3月現在)