コーポレートガバナンス・コード改訂に伴い、上場企業の最重要課題として浮上した「人的資本情報の開示」。この転換点を飛躍台とするため、いま打つべき手とは――。山形大学学術研究院の産学連携教授・岩本隆氏とタナベコンサルティング執行役員の川島克也がディスカッションした。
川島 「人的資本経営」というキーワードが近年、注目を集めていますが、その定義や本質を十分に理解し、具体的な施策に落とし込めている企業はまだ少ないと思います。なぜ、これほど注目されているのでしょうか。
岩本 まず、企業の人事戦略が国の産業政策として捉え直され、その優先順位が高まってきたという背景があります。
2017年3月に閣議決定した「働き方改革実行計画」をきっかけに、残業を減らして有給休暇の取得率を上げるからには、生産性を高める産業政策も両輪として実施するべきという議論が高まりました。そして、ICTやAIを駆使して時間・空間にとらわれない働き方を目指す「働き方改革2.0」が打ち出されました。
私自身も「HRテクノロジー」を大学発で提唱し、最先端技術で人事・労務の課題を解決するためのアイデアを競い合う「HR-Solution Contest―働き方改革×テクノロジー―」(経済産業省・IoT推進ラボ主催)の審査委員長を2017年に務めるなど、経済産業省の人材政策室(現人材政策課)と連携して、さまざまな仕掛けを試みてきました。
一方、優秀な人材の外資企業への流出に歯止めがかからない現状に対する危機感も広がり、国の競争力を強化する重要なファクターとして、財務諸表には数値化されていない「人材」に注目が集まるようになったのです。
川島 知的資本投資銀行™会社であるオーシャントモのリポートによると、S&P500の企業価値に占める無形資産の割合が年々増加し、2020年には90%に達しています(【図表1】)。このデータには大変驚きました。
【図表1】S&P500の企業価値に占める無形資産の割合
岩本 人的資本とは、人材を「資本」、つまり利益を生み出す元手と見なす考え方です。したがって、人材もROI(投資利益率:Return On Investment)で捉えるべき対象であるとされます。
欧米における政策議論の活発化を受けて、日本でも2020年1月の「持続的な企業価値向上と人的資本に関する研究会」を皮切りに議論がスタート。ファイナンスの第一人者である伊藤邦雄氏(一橋大学CFO教育研究センター長)を座長に招き、検討が重ねられました。
川島 同年9月に最終報告書として「伊藤レポート」が公開され、大きな話題となりましたね。
岩本 さらに「人的資本経営の実現に向けた検討会」を経て、2022年5月に「人材版伊藤レポート2.0」がまとめられました。同年8月には「人的資本経営コンソーシアム」が発足し、先進事例の共有や情報交換が行われています。
川島 欧米の勢いに比べると、日本では後に続く企業がまだ少ない印象です。人的資本経営の推進が遅れている原因は、どのような点にあるとお考えですか。
岩本 いわゆる「失われた30年」そのものだと思います。日本は1980年代まで、ものづくりによって経済成長してきました。そのため、同じ製品を高い品質で作るのは極めて得意です。半面、無形のものを資産にして売るビジネスは非常に苦手と言えるでしょう。
川島 「サービスは無料」という認識が根強い日本では、建物や設備などには投資できても、目に見えないものに投資して利益を生み出すというイメージを描きにくいのかもしれません。
岩本 サービス提供型のソフトウエアビジネスは、従来のハードウエア売り切り型ビジネスよりもレバレッジ効果が非常に高く、競争力を強化できる可能性が大いにあります。まずは経営トップが「ものづくり」中心の発想から脱却しないと、人的資本経営への移行は容易ではないと思います。