多くの日本企業にとって海外事業は事業成長のための必須事項となっている。インバウンド需要の取り込みに始まり、輸出、海外拠点設置、外々取引※1の開始と海外事業が進展していくスピードは早まるばかりである。本稿ではこうした海外事業拡大を続ける局面において、クロスボーダーM&Aの活用とそのポイントについて考察したい。
クロスボーダーM&Aが有効な2つのケース
日本の人口減少に起因する国内需要の減退を背景に、海外に目を向ける企業が増える中、事業のグローバル化について相談いただくケースが増えている。その中でもクロスボーダーM&Aの活用が有効とされる2つのケースを取り上げたい。
❶ 海外事業の水平展開
製造業、小売・サービス業いずれにおいても近年相談が多いのは、中国事業への懸念と近隣国への事業の水平展開や生産移転の話である。1990年代以降、改革開放※2による経済発展と豊富な労働力を求め、日本企業はこぞって中国に進出した。原材料を日本から持ち込み、安い人件費を活用して現地で製造し、日本に輸出する加工貿易での進出も多く見られた。
しかし、時の経過とともに環境が変わりゆく中で、企業には最適な判断が求められる。海外への適応という観点では、海外事業の水平展開は一定の経験ノウハウを持った上で事業を拡大できる良い方法である。海外事業の拡張期においては、以前の経験や人材を会社の海外事業資産として有効に活用できるかどうかが水平展開の成否を分ける。経験をもとに「次の国では既存の事業会社を買収した上で自社のノウハウを付加したい」という話も増えている。
❷ ローカル市場の成長を取り込む
近年、最初から現地市場を取り込みたいとの狙いから海外進出をする会社も多くなってきた。特に注目されるのはアジア諸国である。若干の警戒感があるものの、中国は広大な国土と人口を持ち、所得水準の向上を遂げている魅力的な市場であることには変わりない。また、訪日観光客のインバウンド消費の拡大により、アジア近隣国に対する内需型企業の関心が高まってきたことも背景にある。日本に来た外国人の消費をきっかけに、SNSなどを通じて現地でちょっとしたブームになり、輸出や現地企業との取引を開始する事例もある。
ベトナム、インドネシア、フィリピンなどは1億人以上の人口を抱え、平均所得水準も年々上昇していることから、生産国としてだけではなく消費国としても重要性を増している。現地の市場を取り込むためには、商品サービスのローカライズやその国の国民性、宗教などを意識した生産プロセスの調整などが重要となるが、現地で成功してきたローカル企業の買収は有望な選択肢の1つである。
発展するアジアの都市(タイ・バンコクの高層ビル)
国内M&Aとの違いを踏まえ海外事業のさらなる拡大へ
クロスボーダーM&Aを活用して海外事業をさらに拡大したいと考える企業も増えている。国内M&Aの経験を持つ企業も増えており、案件探索からエグゼキューション※3、PMI(買収後の統合プロセス)まで一連の流れは理解しているものの、海外企業とのM&Aとなると事情が異なることもある。それらの違いを踏まえて取り組んでいくことが重要であるため解説していく。
❶ 案件探索
M&Aの国内案件では、金融機関、仲介会社などから多くの情報が寄せられることと思う。それに比べると、海外案件の紹介は案件数が少ない。より多くの案件情報を得るためには、自社のM&A方針を外部に示すことが重要である。中期事業計画に海外事業の伸長とM&A投資枠の設定を明記する企業も増えてきた。情報を得たければ、なるべく詳細に方針を公表しておいた方が良い。
M&A戦略をしっかりと検討し、外部のM&A支援機関に戦略マップを開示する企業もある。対象国や地域ごとに方針と検討事業領域、事業規模などが記載されていると、検討可能な案件の紹介を受けられる可能性は向上する。
また、自社の取引先や同業などが対象となる場合はロングリストを作成し、タッピング※4していくことも有効である。売り案件と比べると時間がかかり、希望する相手が買収交渉に応じてくれないリスクはあるものの、タッピングの過程で得られる現地情報は、今後の現地における事業展開に役立つ戦略調査であるともいえる。
❷ エグゼキューション
案件が決まり、先方の売却意向が見えてくると、買収交渉はデューデリジェンスの実施とともに本格化してくる。デューデリジェンスをしっかりと実施し、現地法制、会計制度の中で事業が適正に営まれているか判断する必要がある。買収先が日系企業でなければ、企業文化の違いを交渉時点でよく理解しておくことも重要だ。
買収後の経営を引き続き買収先のマネジメント層に委任するケースも多いが、彼らの経営に対する考え方や方針を交渉中に理解しておかなければ、その後の運営で苦労することになる。最終契約の締結においては、デューデリジェンスの結果を踏まえ、なるべく精緻に条件を設定し契約書に盛り込む必要がある。将来何か問題が起こった時に、議論のスタートとなるのは契約書である。買収合意は、双方前向きな未来を語り成立するものではあるが、万が一の時の条件を契約に落とし込んでおくことは、買い手として当然の権利である。
❸PMI
買収契約が調印されると、その会社を当初の目的に沿って自社の海外子会社・関連会社として運営していくこととなる。国の文化の違いを越えて企業文化の違いを統合することが、最も重要かつ困難な課題である。
小規模な買収の場合、日本から統合に向けての人員をあまり多く割けないこともあり得る。パーパスやビジョンを共通の価値観として現地のマネジメント担当者に理解してもらうため、こちらが行くだけではなく、向こうに来てもらう機会を多く持つことも有効な手段である。少なくとも年に1、2回のグローバル戦略会議などを日本で行い、自社の拠点メンバーとの交流の機会を持ってもらうことで相互理解が深まるケースもある。
クロスボーダーM&Aにはさまざまな困難や独自の論点があるが、最初の一歩を踏み出すことでその経験自体が資産となり、次の一歩に進んでいくことになるので、積極的に検討いただければと思う。
※1 海外子会社が親会社を経由しないで直接国内外の販社などに販売する取引
※2 1978年、鄧小平の主導のもと中国で始まった経済近代化政策
※3 売り手と買い手がマッチングした後の交渉からクロージングまでの業務
※4 M&A手続の際に行う相手先への初期的なアプローチ
(タナベコンサルティンググループ)
海外フィナンシャル・アドバイザリー部 部長
JETRO(現日本貿易振興機構)、Hotta Liesenberg Saito LLP東京事務所(現HLSグローバル)を経て、三菱UFJリサーチ&コンサルティングに入社し、日本企業の海外戦略コンサルティングと同社のホーチミン事務所長を兼任。アジア・欧米の幅広いネットワークと知見を活用した海外戦略立案、パートナー探索からクロスボーダーM&A、戦略的資本提携の実施に至る一気通貫のアドバイスを実施。2021年グローウィン・パートナーズ入社、現職。クロスボーダーM&A、海外戦略立案コンサルティングに携わる。