ビジョンを実装できないのはなぜか
日本国内市場の縮小、デフレ経済からインフレ経済へのシフトが進む中、自社のパーパスやMVV(ミッション・ビジョン・バリュー)を設定し、その実現に向けたビジネスモデルの変革、戦略的組織再編、デジタル・DX戦略、フロンティア事業を明確に打ち出す企業が増えてきた。
国内市場を見ると、ほとんどの企業や業種が、成長期のピークから成熟期・飽和期、早い企業では衰退期を迎えている。
企業の選択肢は「続ける・廃業する・倒産する・売却する(提携する)」の4つしかない。自社の10年後を考えると、後継者不足の背景から、経営活動を継続するかどうかの選択を迫られている企業も多いのではないだろうか。そのような市場環境の中、自社の成長発展を志し、コア技術を磨き、自分たちの勝てる場を主体的に見つけ出し、業績を上げている企業も多くある。
また、環境変化に対する企業側の変革姿勢を強く社外に発信するため、社名を変更する企業も散見される。日本取引所グループ(JPX)によると、2005年以降に商号変更を行った上場会社は850社を超え、ここ10年で社名変更した会社は514社に上る※。
このように、変革を決意し、その目指す姿を社内外に発信し、そのビジョン・中期経営計画を推進している企業に対して、筆者は一定の違和感を覚えている。
それはなぜか。結論から言うと、実際に「実装」できている企業があまりに少ないからである。(【図表1】)
【図表1】ビジョンを実装できていない企業が多い
出所 : タナベコンサルティング戦略総合研究所作成
ビジョンは実装できてこそ初めて価値がある。しかし、ビジョン・中計策定に多くの労力を費やしたものの、実装段階になると通常の業務に追われ、どんどんビジョン実装と現実が乖離している企業が多い。
ビジョン実現のストーリーを明確化
ビジョンとは、中長期で目指す自社の姿である。貴社では、ビジョン実現に向けたストーリーが明確になっているだろうか。
具体的には、描いた中長期ビジョンまでのフェーズを設計しているかということだ。よく見られるのが、ビジョンを描き、大まかな重点施策を示しているだけで、そこにたどり着くための道筋が明確でないケースである。
目指す姿にたどり着くまでの3つ程度のフェーズを、事業戦略・収益構造改革・組織戦略・経営システム戦略の4つの切り口で、立体的に整理していただきたい。また、自社の現状を押さえ、フェーズごとに、準備→変革→拡大などの大きなテーマを決めることも大切である。
また、ビジョン・中計を実装するのは「人」、つまり社員である。実装の主役である彼・彼女らが、理解・納得し、普段の実務レベルまで落し込まれていないと、どんなに素晴らしいビジョン・中計を描いても実現しない。
この実装段階をしっかりと加味したアクションプランを設定しないと、普段の業務は現状の成り行きの延長線上になり、ただ目標数値だけが会議の中で話し合われることになる。もっとひどい場合、外部環境が良く、目標を達成したのでそれで良しとしてしまうケースもある。
本来、ビジョンには、明確な志を持った人を引き付ける効果がある。
ビジョンの実装体制が不十分な状態で外部に発信しても、採用効果は一過性となり、ビジョンに賛同して入社した社員が早い段階で離職してしまうケースもある。
タナベコンサルティングが実施した「2023年度 長期ビジョン・中期経営計画に関する企業アンケート調査」の結果でも、長期ビジョンの浸透状況について「社内全体に浸透している」と回答した企業は全体の2割未満にとどまり、8割以上の企業で一般職にまで浸透していないという結果が出ている。
ビジョン浸透の具体的ステップ
ビジョンを社内に浸透するための取り組みとして、まず、自社で描いたビジョンと実装する社員が、シンクロした状態になっているかを確認していただきたい。
自社の現状をしっかりと押さえ、ビジョン実装に向けた人的資本戦略を再構築するということである。
具体的に押さえていただきたいポイントは、次の5つである。
❶ ビジョン実装への社員の関わり状況
❷ ビジョン・中計の理解度
❸ 年度方針とのリンク度合い
❹ 現状の研修とビジョンとのリンク
❺ ビジョン浸透度の上司・部下とのギャップ
これを機能別・階層別・年齢別や事業別などで区分し、どこで根詰まりを起こしているかを明確にするべきである。
「ビジョン実装への社員の関わり状況」「ビジョン・中計の理解度」では、社員が会社の掲げたビジョンに対し、認知・共感しているか、「年度方針とのリンク度合い」では、過去からの延長線上で仕事を行っていると感じている社員がどれだけいるのかが明確になる(ただ、残念ながら、そもそも部門計画を立案する部門長や役職者がビジョンと連動した年度計画を作っていないケースもある)。
「現状の研修とビジョンとのリンク」では、ビジョン実装のための人材育成が、ただの教育コンテンツ提供になっていないかが明確になる。
最後に「ビジョン浸透度の上司・部下とのギャップ」を知ることで、上司と部下とのコミュニケーションギャップだけでなく、伝えられる側の「ビジョンと連動した自分の目指す姿」が、上司の期待値と擦り合わせができているかどうかが判明する。
※日本取引所グループ「商号変更会社一覧」
実装を加速させる「社内教育制度」の見直し
ビジョン実装を加速する上で、重視していただきたいのが社内教育である。教育とは「気づきの場」であり、普段の仕事から離れ、あらためて自身を見直す場であるとされてきた。もちろん、それは間違いではないが、筆者はそれだけにとどまらず、多くの社員に対して同時に新しい考えを発信し、ビジョン実装に向けてさまざまな検討を繰り返せる場であるとも考えている。もし単なる予算消化型で、毎年同じ教育・研修を繰り返しているのであれば、ぜひ見直す機会を持っていただきたい。
また、社員(人)への「先行投資」も重要である。人への先行投資とは、賃上げをしたり、高賃金で優秀な人材を採用したりするだけではなく、社員や採用した人材に対してビジョン浸透や育成システム、リスキリングシステムを整備するということである。また、ビジョン戦略と連動して、モチベーションアップにつなげる人事制度の改定も先行投資と言える。
それらが連動すると、今まで「点」で行ってきた教育・研修を、ビジョンと連動した「線」の教育へ昇華させることができる。
人事部門が単独で企画してしまうと、どうしても時代によって変化するコンテンツをいち早く導入し、その価格や実績回数が選定基準となってしまうケースが多い。しかし、そうではなく、前述のようにビジョン・中計実装の現状を客観的に押さえた上で方向性を導き出し、必要な教育コンテンツの体系化と具体的な研修内容の見直しをしていくことが大切である。
特に、教育の内容について見直していただきたいのが、研修の中で実装を目的としたディスカッションが本当にできているかということである。
例えば、ダイバーシティー&インクルージョン(D&I)というテーマであっても、D&Iの概念のインプットだけでなく、自社のビジョン実現に向けて、なぜD&Iが必要なのかを解説できる講師でないと、受講した社員は「ただ新しい考えを聞いただけ」にとどまってしまう。
D&Iの本質は、社内にイノベーションを起こすこと。さまざまな考えを受け入れ、ビジョン実現に向けた新しい発想を、どんどん社内から生み出していくことである。これらの視点で捉えると、グループディスカッションの内容も大きく変わるはずだ。
コンテンツ先行では、このような発想が生まれず「点」の教育で終わってしまうことが多い。実際に経営に携わり、ビジョンを構築・推進したことがある講師でないと、このような実装教育を行うことは難しい。
これらの実態を整理し、「認知→理解→共感→行動度合い→評価→環境→業績」の中でどこに問題があるのかを明確にした上で、新しいReimplementation Plan(再実装計画)を構築していただきたい。
再構築した実装プランを加速化する「STS10」
前述した通り、ビジョンを実装するのは「人」である。再実装計画を構築しても、単なるアクションプランで、項目とそれに責任者を明示し期限を切るだけでは、会議の時だけ確認されるだけのものになってしまう。ひどいケースでは、最初の数カ月は確認したが、お蔵入りということもある。
タナベコンサルティングは、これまでの経験から、成長企業における戦略実行プロセスには共通点があることを発見し、10段階の「STS(Step to Success)─成功への階段」(【図表2】)と呼ぶ手法を導き出した。ビジョン・戦略や経営活動の積み重ねを、社風づくりという長い時間の軸で考えたとき、STSのどのステップが欠けても、踏み外してもダメなのである。
【図表2】ビジョン実装を加速させる「STS(Step to Success)」
出所 : タナベコンサルティング戦略総合研究所作成
ステップ1 ビジョン・方針を推進するチームづくり
ビジョン・方針の実装は1人ではできない。組織横断でメンバーを集めることにより、「目先の業績検討」という顕微鏡のような視点でなく、望遠鏡の視点をプラスし、「今、何が大切か」の価値判断基準を検討できる場を会社が用意する必要がある。
ステップ2 経営情報のオープン化・共有化の仕組み
「会社側の情報開示は組織を浄化させ、主体性を持たせる原動力となる」という言葉がある。特に下請け気質が高い企業は、「自社の情報がもしクライアントに漏れたら」ということを恐れ、社員に情報を開示しないケースがある。正しい情報がなければ、社員は正しい判断ができない。会社がどれだけ必要性を語っても、情報が分からないと納得しない。社員は納得して初めて主体的な行動を取る。関連する経営情報について可能な限りオープンにし、社員と目線を合わせていくことが大事である。
ステップ3 ビジョン・方針実装への参画
ビジョン・方針を経営者の夢で終わらせないためにも、経営者と社員の架け橋として、定期ミーティングや社員へのヒアリング、全社アンケートなど、ビジョン実装に参画していく演出を意識的に創り出す必要がある。
ステップ4 正しい危機感を醸成するマネジメント
正しい危機感とは、不安感ではなく「不足感」である。ビジョンが示す「在るべき姿」から現状を見た際に生じるギャップを意識させるマネジメントの仕組みを整えることである。具体的には、全社・部門ごとの達成状況を常に情報が見える「経営のダッシュボード化」が鍵となる。達成状況を毎日確認でき、各現場で課題をリアルタイムで検討できる環境づくりが必要だ。
ステップ5 ビジョン・方針を周知する仕組みづくり
ビジョン・方針は発信して終わりではない。組織に周知徹底するための仕組みづくりとともに、コミュニケーションパイプを再整備し、社内への発信力だけでなく、社員一人一人の求心力を醸成する。
ステップ6 自発的・自律的な行動を促す環境整備
実装の障害となりそうな規制やルールを取り除き、社員が自発的・自律的に行動するための環境整備と権限委譲(エンパワーメント)を行う。どこまでの権限を委譲すれば良いのかに関して言えば、「自立してマネジメントができる全権限」の委譲が原則である。リスクを取ってでも自分で決断し、推進できる人材を育成するには、エンパワーメントは必須とも言える。
ステップ7 小さな成果を積み重ねる
ビジョン・方針が受け入れられるためには、まずは社員の成功体験が必要となる。大きな目標を小さく刻み、実行レベルでの成果や成功体験を積み上げる。また、その成功を全社発信し、ビジョン実現における「遠心力」を加速させていただきたい。
ステップ8 ビジョン・方針推進と整合した組織のデザイン
「組織は戦略に従う」。ビジョン・方針を推進するための組織になっているか、現状の組織や役割を定期的に見直していただきたい。具体的には、組織の中に「ビジョン実現に向けた新しい付加価値を生み出す機能」「その付加価値が出ているかを管理する機能」が設けられているかということだ。それらを社長直下に位置付け、社内に対する経営姿勢を示すことが大切である。
ステップ9 成果を評価する仕組みづくり
新しい取り組みはすぐに結果が出ず、現状の成果の上がりやすいことだけすれば評価される仕組みでは、ビジョンは浸透しない。ビジョン推進に貢献した社員が正しく評価されるように、現状の評価制度の検証を行っていただきたい。
ステップ10 気を緩めず継続する
ビジョン・方針の実装が失敗に終わる原因の多くは、小さな成果に満足してマンネリ化することである。会社と社員とのビジョン実装における接点を増やし、対話を重ねながら長期的に取り組み続けることにより「新たな社風」をつくり出させる。
日本の企業は変革期を迎えている。先進国の1つでもある日本が、世界に向けてもう一度クオリティリーダーシップを発揮するためにも、1社でも多くの日本企業に自社の掲げるビジョンを実現してもらい、新しいステージで活躍していただきたい。
今までうまくいかなかったのは「やり方が間違っていたサイン」である。実装できる環境を整え、社員がワクワクして働き、新しい「志」を共にする仲間がどんどん入ってくる会社を、ぜひ創り上げていただきたい。
PROFILE
林崎 文彦
FUMIHIKO HAYASHIZAKI
タナベコンサルティング エグゼクティブパートナー
大手印刷業界でマーケティング・顧客開発担当を経て、タナベコンサルティングに入社。企業のトップと業績に向き合い、常に新しい方法を模索して、地域の特色を生かした成功事例を次々に生み出している。中堅企業をメインに、中期ビジョン・中期経営計画の策定、BtoBブランド戦略立案、人材開発体系構築、動画を活用した技術伝承、ジュニアボード運営支援など、幅広い分野で多くの実績を残している。また、幹部や若手社員育成も得意としており、クライアントから高い評価を得ている。