渋沢栄一(1840~1931年)江戸時代末期に現在の埼玉県の農家に生まれる。一橋慶喜に仕え、のち幕臣となる。明治維新後は民部省、大蔵省へ勤める。退官後は第一国立銀行など約500社の設立・育成にかかわり、「近代日本資本主義の父」などと呼ばれる。
「近代日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一。経済と道徳の融合を図った経営哲学には、混沌とした時代こそ立ち返るべき本質や原点が散りばめられている。変化の激しい時代を生き抜き、持続可能な経営を果たすために不可欠なものとは何か――。2020年11月にリニューアルオープンした渋沢史料館館長の井上潤氏に伺った。
渋沢史料館で渋沢栄一の哲学を伝える
北島 渋沢栄一先生は、500社近くの会社設立・育成に携わり日本の近代化を推進されました。道徳と経済の一致を説いた著書『論語と算盤』は今日まで読み継がれ、多くの経営者の羅針盤となっています。渋沢先生をモデルとする2021年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』のスタートや2024年に刷新される1万円札の図柄決定を受け、あらためて渋沢先生に高い関心が集まっています。その業績や経営哲学などを紹介する渋沢史料館が、2020年11月19日にリニューアルオープンしました。おめでとうございます。私も渋沢ファンの1人として、見学するのを楽しみにしています。
井上 ぜひお越しください。ただ、コロナ対策として、当面は完全予約制で一度に入館できる人数の上限を設けています。実は、リニューアルオープンは3月の予定でしたが、コロナの影響で展示の見直しや追加工事を実施したため11月に延期しました。現在は3密の回避や消毒の徹底、安全にご覧いただける展示やコンテンツへの変更などの対応を講じて皆さまをご案内しています。
北島 開館は1982年とお聞きしています。まずは史料館の目的や概要についてお聞かせください。
井上 当館は、渋沢栄一の事績や考えの紹介、普及を目的に開館しました。旧渋沢邸内に残る国指定重要文化財の建物「晩香廬」「青淵文庫」のほか、1998年に新築した本館を加えた3施設で運営しています。
開館当初は史料の展示が中心でしたが、1989年に各分野の研究者が集まって渋沢研究会を発足。翌年の渋沢生誕150周年に合わせて外部施設での展示やシンポジウムを開催しました。それを機に、史料館での展示のみならずイベント開催や講演などへ活動が広がっています。また、財団事業として国内外の研究者や大学との交流や共同研究、セミナーの開催にも取り組んできました。
渋沢史料館 館長 井上 潤氏
あるべき社会を考え必要な事業を立ち上げる
北島 活動の広がりからも、その経営哲学の普遍性がうかがえます。渋沢先生が活躍されたのは、日本が明治維新を経て近代化へと進む激動の時代。渋沢先生は近代経済社会の基盤として、特に「国民の平等」や「道徳経済合一」を重視されました。そうした考えに至ったきっかけや原点はどこにあるのでしょうか。
井上 渋沢の言葉に「官尊民卑打破」があります。当時は官の人間が尊ばれる一方、民間人は下に見られる風潮が強く残っており、渋沢はその状況を変えようとしました。そこに至る原点は、子どものころに抱いた江戸時代の士農工商(身分制度)に対する疑問。領主のみが潤うのはおかしい。全ての領民の生活が豊かになってこそ領地が潤うと考えたのです。
その後、パリ万博幕府使節に随行したことで、その思いは一層強くなりました。ヨーロッパで渋沢が目にしたのは、国王や民間人、政治家といった身分の差ではなく、同じように国を思う人々の対等な話し合いで施策がつくられる社会。そこから、政治は官民協同一致であるべきとの考えや、国民全体が平等であるべきとの思いを強くしました。
北島 平等の考えや皆で一緒に考える、話し合うといった姿勢は、事業家・渋沢栄一の軸となる考え方です。
井上 おっしゃる通りです。渋沢は事業主だけが潤う独占を嫌いました。大前提として事業を興す目的は公益性にあり、そのために資本を合わせ、人材を集めて、知恵を出し合いながら事業を推進する。この「合本主義」こそ事業を成功に導き、社会を豊かにし、出資者を含め皆の利益につながる。これは渋沢流の「平等」に通じる考え方です。
渋沢の一貫した姿勢は、岩崎弥太郎からの共同事業の誘いを断ったエピソードにも表れています。合本主義ではなく個人経営を主張する岩崎とは、事業に対する考えが相容れなかったのです。
北島 岩崎が興した三菱商会は海運業を独占して財を築きますが、熾烈な過当競争に陥って海運業界全体の疲弊をもたらします。その後、海運事業は渋沢先生が関わった共同運輸と合併しました。
井上 渋沢は、事業主が利益を独占するのは仁義道徳に反すると考えていました。一方で、海運業自体は社会に必要とされる事業と位置付けており、合併による永続を選んだわけです。ヨーロッパ視察を通して、国力向上の基盤となるのは経済や産業であり、そこを固めなければならないと痛感していたのでしょう。
北島 渋沢先生が携わった事業の1つに、製紙事業があります。1873年に洋紙を製造する抄紙会社(現・王子ホールディングス)を日本で初めて設立しました。当時は和紙中心で国内に洋紙需要は皆無だったはずです。この時期にあえて事業化した理由はどこにあるのでしょうか。
井上 渋沢が最初に立ち上げたのは銀行。金融基盤を確立し、お金の流れをつくることが目的でした。その次が洋紙製造であり、目的は日本の文明・文化を高めること。ヨーロッパ視察で目にした新聞が、大きな動機付けになっていると思います。
もともと情報の収集や活用を重視していた渋沢は、ヨーロッパでは国内の最新情報や遠い国の出来事などが新聞に掲載され、毎日各家庭に届くことを知って非常に驚きました。書籍や新聞などが普及すれば、国民が情報や知識を得やすくなり、国全体の知力が向上する。それが日本の産業力を高めると渋沢は考えたのです。あるべき社会の姿を考えて、必要な事業を立ち上げる。国を豊かにする事業だからこそ、困難を覚悟で立ち上げたのだと想像します。
タナベ経営 北島 康弘
持続可能な経営に必要なのは、仁義道徳に反しないこと。
それが信用につながり、事業が成長する。
これが、渋沢の提唱した「道徳経済合一説」の中心課題です。
仁義道徳に反しないそれが永続の基本
北島 苦難の末、王子製紙は現在も続く長寿企業となりました。しかし、事業が軌道に乗るまでに10年の歳月を要したそうですね。困難を乗り越え、持続可能な企業、経営を実現するポイントはどこにあるのでしょうか。
井上 まず、持続可能な経営に必要なのは、仁義道徳に反しないこと。それが信用につながり、事業が成長する。これが、渋沢の提唱した「道徳経済合一説」の中心課題です。
次に、周りや公の利益を第一に考えること。世の中が豊かになるほど、自社にも多くの利益がもたらされるという考え方です。渋沢は単独、独占を嫌い、同業者や異分野の情報を見極めて、互いに手を取り合って事業を進めています。競争や相手を蹴落とすやり方を繰り返していては、事業は長続きしません。抄紙会社も、三井組や小野組、島田組など多くの協力者を募る合本組織の形が採られました。
北島 目先の利益は小さくとも、公益を重視して信頼される経営を行うことで事業は安定し、長い目で見れば大きな利益を生むことになります。
井上 おっしゃる通りです。もう1つ、事業永続に関する渋沢の言葉として、「絶大なる忍耐力」が挙げられます。抄紙会社の例でも分かる通り、事業が順調に進むことなど滅多にありません。それでも、常に平身低頭を心掛け、懇切丁寧に説明をして理解を得るよう努力する。その積み重ねが信頼となり、信念を持って継続するうちにチャンスが訪れて状況が好転するのです。
ただ、それが口で言うほど簡単でないことを、渋沢自身も理解していました。「いずれ自らが望む理想的な状況になることを信じてやまない」という言葉を、渋沢も漏らしています。
北島 渋沢先生でも、そのように自分を奮い立たせていたのですね。親近感を持ちました。経営者も人間ですから、つい目先の利益を優先したり、仁義道徳を後回しにする気持ちが出てきたりするもの。特に、昨今のような厳しい経営環境下ではなおさらです。しかし、経営の本質はいつの時代も変わりません。迷ったら、本質や原点に戻ること。そうでなければ、何のために事業をしているのかを見失ってしまいます。
井上 全く同感です。この時代に渋沢栄一が注目される理由はそこにあると思います。公益の追求、道徳経済合一、平等。こうした本質や原点は、事業の大前提となる考え方です。
一方、事業を永続させる条件を挙げるならば、1つ目は適応能力の高さ。周囲をよく見極め、手を取るべきところは共同で事業を進めるべきと渋沢は言っています。2つ目は、二重の手間をかけない。日ごろのチェック機能を働かせ、業務のちょっとした抜けやその場で埋められる程度の穴を、「これぐらいなら」と見過ごさないこと。後々、手が付けられないような落とし穴になる可能性は十分にあります。
3つ目は、長期的な展望を持つこと。情報を集めて確たる見通しと長期的な展望を持ち、発信することが大事です。なぜなら、思い通りに運ばないときでも、将来が見えると社員や周囲は耐えることができるからです。
渋沢史料館
所在地:東京都北区西ヶ原2-16-1
開館日:火曜日、木曜日、土曜日
開館時間:10:30~12:00/14:00~15:30
2020年11月19日より完全予約制で一般公開
※最新の開館状況については同館WEBサイトをご確認ください
https://www.shibusawa.or.jp/museum/
不透明な時代こそ将来展望の発信を
北島 近年、相次ぐ震災や豪雨被害、感染症拡大などによって、特に中小企業は厳しい経営を強いられています。渋沢先生の考えや言葉に励まされる経営者は少なくないと思います。
井上 新型コロナウイルスの影響で苦しい経営状況に直面されている方々は多くいらっしゃいます。自然災害が重なり、地域によっては二重三重の苦難に見舞われているところもあるのではないでしょうか。実は、渋沢が生きた時代も感染症や関東大震災などに見舞われていました。渋沢自身、妻をコレラで亡くしています。そうした環境下、徹底した予防対策と共に渋沢が重要性を唱えたのが、やはり経済の側面でした。
また、「苦しいときほど社員への目配りを怠ってはいけない」と渋沢は言っています。さらに、苦しい状況にあっても将来を見通せるメッセージを発信すること。将来展望を伝えることで少しでも不安を取り除き、社員が安心できる環境づくりに努めることがトップの仕事でしょう。国民全体の平等や仁義道徳を大事にする渋沢らしい言葉なので、最後にお伝えしたいと思います。
北島 不透明な時代こそ、先を照らす明かりが必要です。2021年のNHK大河ドラマで渋沢先生の生き方を知ったり、史料館で価値観に触れたりすることで、さらに広く、深く渋沢先生の考え方が伝わっていくでしょう。私自身、対談を通して苦しいときこそ本質に立ち返る大切さを再確認しました。貴重なお話をありがとうございました。
渋沢史料館 館長 井上 潤(いのうえ じゅん)氏
1984年明治大学文学部卒業後、渋沢史料館学芸員となる。2001年同館学芸部長、2003年副館長。2004年渋沢史料館館長。その他に現在、企業史料協議会監事、(公財)北区文化振興財団評議員、(公財)埼玉学生誘掖会評議員等を務める。著書に「渋沢栄一-近代日本社会の創造者」(山川出版社、2012年)、「渋沢栄一伝-道理に欠けず、正義に外れず」(ミネルヴァ書房、2020年)がある。タナベ経営 経営コンサルティング本部 副支社長 ミッション・ビジョン経営研究会 リーダー 北島 康弘(きたじま やすひろ)
「業績向上と社員活性化を両立させる風土づくり」をコンサルティングの指針に掲げ、事業戦略や収益構造改革、組織改革、風土改革、人事制度改革、営業改革などをテーマに数多くの企業を支援している。特に企業風土の活性化を軸にしたコンサルティングに定評があり、「自ら考え、自ら行動する」新たな風土を構築することで、社内改革を多数実現している。
ミッション・ビジョン経営研究会
コロナ下での経営や働き方改革が求められる今こそ、自社の未来に向け、ミッション・ビジョンの定義を整理・再設定し、実現に向けた仕組み・制度作りについて学びませんか。