「進出」よりも「撤退」が難しいという現実
本誌11~14ページの「海外展開の撤退・再編戦略」(村上稿)にある通り、「グローバル展開は、進出するよりも撤退する方が難しい」というのは、海外事業を展開する日本企業にとって普遍的な課題である。
ジェトロ(日本貿易振興機構)「2025年度 海外進出日系企業実態調査|全世界編」(2025年11月)によると、海外に進出する日系企業の黒字割合は66.5%、つまり、約3割の企業が赤字か利益が出ていない状況が続いている。
注目すべきは、一度赤字に陥った海外拠点からの「撤退判断」の難しさである。多くの企業では、撤退検討が社内で何度も議論されながら最終的な意思決定に至らず、赤字が数期にわたって継続するケースが少なくない。その背景には、撤退に伴う複雑な課題群と、それを乗り超えるための専門的知見の不足がある。
本稿では、実際の撤退支援案件を通じて、海外拠点の撤退がなぜ困難なのか、そしてそれをどのように乗り超え、より戦略的なポートフォリオ転換につなげていくのかについて解説する。
撤退を阻む「四重制約」の実態
村上稿で示された通り、海外拠点の撤退は、「法務・労務」「経済・財務」「事業・ビジネスモデル」「政治・カントリーリスク」という四重の制約に直面する。これらが複雑に絡み合い、撤退プロセスを困難にしている。
法務・労務面では厳格な解雇規制や補償金交渉、契約解約などの手続きが、経済・財務面では多額のコストに加え、移転価格税制など双方の税務問題が生じる可能性がある。
事業・ビジネスモデル面ではサプライチェーンへの影響や供給責任の履行、政治・カントリーリスク面では許認可取得や法改正対応など、予測困難な要素も含まれる。専門人材の不足から検討は頓挫しがちで、楽観論や埋没コストへの執着により意思決定が先送りされるケースも多い。
ここで、タナベコンサルティンググループ(以降、TCG)が支援した中堅製造業A社の事例を紹介する。同社の海外拠点は、数期連続赤字で改善の見通しも立たない状況にあった。A社にとって最大の課題は、撤退の意思決定そのものであった。
実は過去に何度か社内で撤退について検討が行われていたが、「もう少し改善の余地があるのではないか」「今、撤退すれば投資が無駄になる」「取引先への影響が大きすぎる」といった意見がぶつかり合い、結論を出せないまま時間が経過していた。
しかし、赤字の継続は本社の財務を圧迫し、他の成長戦略への投資機会を奪っていた。もはや撤退を検討せざるを得ない状況であったが、いざ実行するとなると、何から手をつければよいのか、具体的な情報が不足していた。
TCGは、A社の撤退意思決定から実行計画策定まで約半年間にわたる伴走支援を実施した。支援の核となったのは、撤退に関わる全ての課題を可視化し、優先順位を付けて段階的に解決していくプロジェクトマネジメントである。
まず、撤退に伴う検討事項を包括的に洗い出した。具体的には、現地従業員の雇用条件と解雇手続き、取引先との契約関係の整理、不動産や設備の処分方法、在庫の取り扱い、税務上の留意点、本社への撤退の影響などである。これらを「課題管理表」として一覧化し、各課題の重要・緊急度、担当者、期限を明確に設定した。
撤退を決定する上で最も重要な判断材料の一つが、撤退に要する総コストの精査である。TCGは、現地の会計、税務に精通した専門家をアサインし、正確なコスト算定を実施した。
具体的には、従業員への退職補償金、サプライヤーや顧客との契約解除に伴う違約金の可能性、不動産賃貸借契約の中途解約条件、設備や在庫の処分損、そして現地税務当局への各種申告に伴う潜在的な課税リスクなどを詳細に積み上げた。この精査により、より現実的な撤退計画の立案が可能となった。
撤退プロセスにおいて最も避けるべきは、検討の出戻りや意思決定の停滞である。一度決めたことが覆されると、関係者の士気が低下し、プロジェクト全体が停滞する。
そこでTCGは、隔週の定例会議を通じて課題管理表の進捗状況を確認し、新たに発生した課題を速やかに表に追加、優先順位を見直すというサイクルを徹底した。また、各課題について「誰が」「いつまでに」「何をするか」を明確にし、期限遅延が発生した場合には原因分析とリカバリー策を講じた。
こうしたプロジェクトマネジメントにより、半年間という設定期間内に、撤退の最終意思決定に必要な全ての情報を整理し、具体的な実行アクションプランを策定することができた。
撤退から再配置へ 戦略的資源配分の選択
ここで強調したいのは、「撤退は決してネガティブな選択ではない」ということである。経営戦略とは、本質的に「資源配分の選択」であり、「どこに投資するか」と同じくらい、「どこに投資しないか」を決めることが重要である。
A社の場合、赤字拠点の撤退により、その資金と経営リソースを成長性の高い他地域への投資に振り向けることが可能となった。A社は撤退決定後、別の国での販売拡大施策に着手しており、TCGはその支援も継続している。この新規市場では、既存製品への引き合いが強く、パートナー企業との連携も順調に進んでいる。
村上稿で示されたジョン・ダニングの「OLIパラダイム(所有優位、立地優位、内部化優位)」の観点から見ると、A社の撤退拠点は立地優位性が失われており、現地での事業継続の合理性が乏しい状態であった。一方、新たに注力する市場では、A社の技術力(所有優位)が高く評価され、市場の成長性(立地優位)も確認できている。これこそが、グローバル戦略のリデザインである。
海外拠点の撤退は、進出以上に困難なプロセスである。しかし、適切な専門知識と体系的なプロジェクトマネジメントがあれば、撤退は実行可能であり、むしろ企業の持続的成長に向けた戦略的な一手となり得る。
重要なのは、トップマネジメントの明確な意思決定、課題の可視化と優先順位付け、専門家との連携、そして出戻りや停滞を防ぐプロジェクト管理体制の構築だ。そして何より、撤退を「失敗」ではなく「グローバルポートフォリオの最適化」と位置付け、開放されたリソースを次の成長機会に振り向けていく前向きな姿勢が求められる。
グローバル戦略のリデザインとは、単なる拠点の増減ではなく、変化する世界情勢の中で自社の強みを最大限発揮できる場所を見極め、限られた経営資源を戦略的に配分し直すことである。
タナベコンサルティング グローバルビジネス マネジャー
国内大手IT企業にてさまざまなエンタープライズ向けのアカウントおよびソリューションセールスを担当。国際部門では米国グループ会社へ出向し、現地日系企業のITインフラのサポート・改善に従事。帰国後、米国スタートアップの日本拠点立ち上げに参画し、マーケティング・新規顧客開拓を実施。タナベコンサルティング入社後は、コンサルティングサービスの海外展開に向け、グループ各社との連携・社内プロジェクトの推進に係る全体総括を担当。