変わる世界と変われぬ世界(I):戦略総合研究所
人や組織は変われるか
世界情勢が大きな転換点を迎えている。米中貿易摩擦やブレグジット(英国のEU離脱)、さらにはITによる急速な技術革新など、不確実性とデジタル化の波があらゆる分野へ一気に押し寄せている。
この現状に対し、日本は足踏み感が否めない。高度経済成長期からバブル期に強烈な成功体験を覚え、その時代に身に付けた価値観やマネジメント論を捨てきれず、世界の潮流から出遅れている。抜け出す策は一つ。「過去の成功体験からの脱却」である。過去の成功体験を捨て去り、人と組織が変革を遂げることが必要である。
とは言うものの、過去はそう簡単に捨てられない。誤解のないよう述べておくが、過去を忘れて新しいことをせよ、ではなく、過去にうまくいったことが今の時代や未来でも役立つのかを再考するという意味である。
そもそも人は、一度成功した物事を繰り返す性質を持っている。生理学的にいえば、事がうまく運ぶと脳内に快楽の神経伝達物質である「ドーパミン」が放出され、その快楽を求めて同様の物事を再度実行しようとする。「これでうまくいくはず」と脳が記憶しているため、それが固定観念となって行動を促すのである。つまり、過去の成功体験から脱却するためには、人間の根源的な部分から変わる必要があるのだ。
そう書くと意外に思われるだろうが、会社も組織も人が構成している以上、人が本来持っている欲求や脳の発達を踏まえて考えないと変革できるはずもない。「成功体験を捨てる(再考する)べきだ」と言葉で発信したところで、それができる人は限られている。
人は総じて合理的だが、組織は時に非合理である
人は、非合理な行動や思考もないわけではないが、総じて合理的である。ただ、組織については非合理にできていると私は感じている。
これは、環境に対する柔軟性の差によるものだと考えている。人は本能として、自己の経験を外部環境に適応するように体のシステムが組まれており、それ故に環境に対する柔軟性は非常に高い。
しかし組織(集団)の一員になると、個人の本能は無視され、組織に縛られた行動が取られる。世の中が変化し、社員がその変化を感じているのに組織の行動がまったく変わらない――といった集団化による思考の硬直化は、個人の思考の柔軟性にも影響を与えてしまう。変わらない方が安全だと組織が認識し続けると、変えられるべき自己を変化させることができない。
そうした閉塞状況を打開するため、いわゆる“ アメとムチ” のマネジメントをとる企業が少なくない。例えば、目標を達成した人に多くの報酬を与えるインセンティブ制度や、業績貢献度の高い人を年齢にかかわらず管理職へ登用する一方、貢献度が低い人は管理職から降格させる信賞必罰制度などの導入である。アメとムチは短期的に一定の効果を出すが、自律性や創造性を社員に持たせたい場合は逆効果になることもある。
こうした人への根幹的な理解を深めて、具体的に組織がどのように変わっていくべきか。次に、学術的見解を交えながら考察していく。
人の「根源的仕組み」
人は本質的に変われるのか。これは、多くの人事担当者・人材開発担当者にとっての命題である。
あえて“ 本質的” と表現したのは、理由がある。表面的に変わることは簡単だからだ。しかし、ものの見方や考え方、行動の基本姿勢まで変えるとなると、どうか。ここでは、人の根源的な部分に目を向け、人が変わることは可能かどうか。可能であるなら、どのように変えるべきかを二つの性質から考察していく。
(1)脳の可塑性
過去の学術的見解では、脳(=知性:ものの見方や考え方、行動の基本姿勢など)の成長は20歳代で止まると考えられていた。つまりビジネスパーソンは数年の社会経験を経ると、そこから知性が深まることはなく、一定の知性レベルで判断していくことになる。もちろん、それ以降も知識や経験は身に付くが、それは方法論の学習であって知性レベルでは限界があると考えられていた。
だが近年、多くの脳科学者が「脳の可塑性」、すなわち脳を構成する神経とそのネットワークは固定されたものではなく、環境や与えられた影響に応じて変化する能力があることを認めている。知性は成長が止まることはなく、学習や外部の影響で何歳になっても成長が可能であるというのだ。これらを、米ハーバード大学で成人学習や職業発達論を研究しているロバート・キーガン教授は「成人発達理論」として提唱し、成人の知性発達ステージを提示している。(【図表1】)
この理論で、大人の知性は質的に異なる三つの段階があるとされている。その三つとは、「環境順応型知性」「自己主導型知性」「自己変容型知性」といい、これらによって世界をどのように理解し、行動するかがまるで違うという。そして、この知性は何歳でも変わることが可能だと結論付けている。
この科学的な裏付けから、人は本質的に変わることができると言える。
(2)人間の恒常性
人は何歳になっても本質的な変化は可能だ――とはいえ、多くの企業を見ていると、中高年のベテラン社員や歴史が古い組織ほど、時代や環境に合わせて変革することができず、苦労している。なぜなのか。
ここでは、「人間の恒常性」(ホメオスタシス)の仕組みが深く関係してくる(【図表2】)。恒常性とは、人体の維持機能の一つであり、環境の変化に対して一定の状態を維持しようとする性質をいう。例えば、寒い時に体が震え、暑い時に汗をかくのは、体温を一定に保とうとする働きから起こる。
これらの性質は、人が生命を維持する上で大切なことである。だが、これに起因して人や組織が変化を避け、一定の状態を維持しようと(過去の延長線上にとどまろうと)してしまう。
では、どうすれば人を根源的な部分から変えることができるのか。人や組織の変革を考える上では、単なる手法論ではなく、人の本能的な仕組みへの理解、すなわち脳の構造を理解する必要がある。次回(2020年3月号)では、これまでに述べた学術的な見解を交え、人や組織を変えるためのヒントを考察していく。
【図表1】 成人における知性の発達ステージ
【図表2】 ホメオスタシスの働き相関図