「7年連続新卒ゼロ」から「5年で80名以上」採用へ
塩谷建設株式会社は1954年の創業で、建築・土木、不動産・住宅、ウォータージェット、環境事業など幅広い領域で事業を展開しています。2025年社員数は187名、平均年齢は36歳。2015年と比べると、10年で社員数は50名以上増え、平均年齢は7歳若返ったことになります。
私は大学卒業後、大手ゼネコン勤務を経て2006年、26歳で入社。当時はバブル全盛期に190億円あった売り上げが急減して100億円を切り、7年連続で新卒採用ゼロのどん底状態。採用のための企業説明会に参加しても、ブースを訪れたのは1名だけで、建設業界の人気のなさを痛感しました。
中期経営計画策定に際して「若手社員がいないのに5年後、10年後の会社像を描くのは無理。どうして人材採用に力を入れないのか」と、父・雄一氏(当時社長、現会長)に進言すると、「お前が頑張って若手を採用してくれ」と受諾され、若手の積極採用にかじを切りました。
地道な努力を重ねた結果、2020年4月からの5年間で80名以上の新卒が入社し、社員の半数近くが20代以下になりました。リーマン・ショックの影響で55億円まで落ち込んだ売り上げも、2025年3月期は122億2400万円まで回復。「建設業は立派な成長戦略を立てても、それを成し得る人材がいないと成長できない」と実感しています。
近年は建築部門の女性社員も増えて「女性建築部会」が立ち上がり、女性視点での改善プランを積極的に提案するようになりました。また、会社見学に訪れた女子学生に「働きやすい現場」と感じてもらえるようになり、入社希望者が増えています。
“建設業らしくなさ”と地域貢献を追求
経営者として意識しているのは、①建設業らしくない会社を目指し建設業を極めよう〜同業と比較できない魅力で現場員にやりがいを〜、②見返りを求めない地域貢献をやり続けよう〜規模の大小ではなく、小さくてもキラリと光る会社〜、③若い社員が今日よりも明日よくなると思える環境を〜ワクワクと学べる環境を〜、の3点です。
①の事例としては、屋上緑化に取り組む環境事業があります。建物の断熱性向上のために、塩谷建設では日本古来の乾燥に強いスナコケを富山県山間部の耕作放棄地で栽培・加工して屋上に敷き詰める事業を開始。テレビや新聞などのメディアで大きく紹介され、採用に苦戦していた理系学生も集まるようになりました。
②に関しては、2024年の能登半島地震で甚大な被害を受けた富山県高岡市と石川県七尾市に2025年5月、台湾から獅子舞を演じる人たちが駆け付けて応援の舞を披露しました。背景には、私が長年柔道をやっている縁で、台湾の人々と柔道を介して交流できる環境づくりを進めてきたことがあります。企業理念である「未来の元気を創造する」を実現するため、今後も見返りを求めない地域貢献を続けていきます。
日本一、若手社員が安心し成長できる建設会社へ
③の発端になったのは、社長就任前に全社員と面談した際、ある社員から「この会社には“平等”という名の“不平等”がある」と言われたことです。その真意を模索する中で「学歴などに関係なく、チャンスは平等に与え、その成果を公明正大に評価すべき」と気付きました。
そこで、若手社員とベテラン社員の双方にアンケート調査を行い、会社への不満を明確化。それを解消する仕組みとして設立したのが「SHIOTANIアカデミー」という企業内大学です。それまで実施していた1級施工管理技士の資格取得向け研修を大幅に改革し、新入社員への教育を主体とした教育機関としました。学校理念は「学びで未来を創造する」です。
SHIOTANIアカデミーにはeラーニングや座学、現場研修などの多彩なカリキュラムがそろい、“教わる側”のみならず“教える側”も若手で構成されます。入社2〜4年目の社員が新入社員を教育するので、教える側は教わる側の希望や不安を理解し、手厚く効率的な教育を実践できます。ベテラン社員も世代間ギャップを乗り越えて有効なカリキュラムやフォーマットを考案することで、自己の成長につなげています。
さらに、建設会社には無用に思えるマーケティング研修も実施するなど、将来の建設業界をイメージした型破りな教育を実施し、“日本一若手社員が安心して成長できる建設会社”を目指しています。私は「若手社員が無意識のうちに元気を出せる環境をつくり、その元気を鍛えて伸ばす教育を提供するのは、経営者の重要な仕事」と断言しています。
また、富山県外からも多くの若者が入社するようになる中、彼・彼女らが安心して生活できる環境の提供も重要と考え、自社ビルをリノベーションしたシェアハウスを破格条件で貸し出しました。
業界に対する支援にも意欲的に取り組み、協力会社や職人たちの人手不足を解消する一助になるべく「ジョブキッズ」というイベントを開催。地元の子どもたちを招待し、建設作業車の乗車体験や左官体験などを通して建設業の魅力訴求に努めています。このイベントを取り仕切るのも、若手社員です。
「社員が家族に自慢できるような会社になるためには、地域を元気にする会社にならねばならない」と考え、多彩な教育を通して人間力を高めた社員が、自分の故郷に塩谷建設の支店を開設したり、新会社を起業したりして地域の活性化に努めていくという将来ビジョンを描いています。そうした“ミライ”の実現に向け、人づくりに励み続けます。

1979年富山県生まれ。中学卒業後に単身、神奈川県の桐蔭学園へ進学し学生時代は柔道に打ち込む。大学時代に「地方の建設業は大変」と言われ家業を継ぐことを決意。大手ゼネコンで3年間勤務し建設業がどん底の時に家業である塩谷建設に入社。その後、リーマンショックで売り上げが一気に半分に。「建設業はどれだけ立派な成長戦略を立ててもそれを為し得れる人がいなければ成長できない」と採用と育成に奔走。ここ5年で80名以上の新卒が⼊社し、20代以下の社員が半数を占めるように。人見知りで社員の写真を撮影するのが趣味。