後藤 宗明 氏
社員が会社に求めるリスキリング
新しいスキルを習得する「リスキリング」は、海外では技術的失業の解決策として注目されてきた。技術的失業とは、AIやロボットが人間の労働の一部を代替することである。
WEF(世界経済フォーラム)の「Future of Jobs Report 2023」(2023年5月)によると、2027年までに約6900万人の雇用が生まれる一方で、経済的圧力や自動化によって約8300万人の雇用が消失すると見込まれている。つまり、2027年までの間に現在の雇用の約4分の1に当たる約1400万人分の雇用が消失するのだ。
こうした背景もあり、リスキリングは労働者の雇用を守りながら、縮小する職種から成長する職種への移行を支援する取り組みとして世界で関心を集めている。
先進技術が雇用に与える影響
米国を中心に職種特化・業界特化型の生成AIが驚異的な勢いで開発されている。人工知能チャットボット「ChatGPT」や、キャリアカウンセリング・コーチングに特化したチャットボット「Pi(パイ)」なども開発され、これまで人間が行ってきた仕事はAIに代替されつつある。
ロボットやAIなどによる自働化技術は、経営側から見ると生産性を高め、人手不足を解消するメリットがあるが、社員からすると雇用を奪われる脅威となる。実際に米国社会では、2024年1月にAIの影響によって8万人を超える人員がリストラされた。日本でも数年後にこういったことが起こる可能性は十分にある。
先進技術の活用が求められ、人間がAIやロボットと共に働く時代が来ている。このような時代にあって、リスキリングは「人間をアップデート」する取り組みとして不可欠である。
リスキリングの定義とリカレント・スキルアップとの違い
日本で使われているリスキリングと、海外で浸透しているリスキリングという言葉には大きなギャップがある。日本のメディアはリスキリングを「学び直し」と和訳するが、本来は「組織が社員に新しいスキルを(再)習得させること」を意味している。
リスキリングは、組織側において実施責任のある「業務」であり、社員側においては、「新しいことを学んで得られたスキルを生かし、新しい業務や職業に就くこと」である。
米国の経営学誌『ハーバード・ビジネス・レビュー』2023年9、10月号では、「AI時代のリスキリング」という特集が組まれ、その中で大事なポイントが5つ示された。
1つ目は、リスキリングは経営戦略上の必須事項であるということ。2つ目は、個人ではなく組織のリーダーやマネジャーの責任のもと行うこと。3つ目は、リスキリングは「チェンジ・マネジメント・イニシアチブ(企業が変革を効果的に実施するための取り組み)」であること。4つ目は、社員のキャリアとリスキリングの方向性を一致させること。5つ目は、中小企業のリスキリングを国や自治体が支援する必要があることだ。
日本でリスキリングが「学び直し」と誤訳された背景には、2010年代に日本が進めていたリカレント教育が関係している。「リカレント」とは、大学や専門学校と職場を行ったり来たりしながら繰り返し学ぶことを意味する。だが、リカレント教育は本人が時間と費用を捻出する必要があるため、学び続けるのが難しく、日本産業では受け入れられなかった。
出所:ジャパン・リスキリング・イニシアチブ講演資料
また、よく耳にする「スキルアップ」という言葉もリスキリングとは異なる。スキルアップは、その名の通り、今持っているスキルをさらに向上させ、一段上のステージに行くイメージだ。一方、リスキリングは新しいことを学んで新しい場所に移る、配置転換のイメージである。
日本のリスキリングの現状
海外ではAIやロボットの活用が進んでおり、具体的な状況はスイスの国際経営開発研究所(IMD)が毎年発表している「デジタル競争力ランキング」から読み取ることができる。8回目となる「世界デジタル競争力ランキング2024」(2024年11月)を見ると、1位がシンガポール、2位がスイス、米国は4位となった一方、日本は31位であった。2018年の22位から大きく順位を落としている。
現場に目を向けると、「会社でリスキリングを行うと社員が辞める」という話を聞く。しかし、ある会社のアンケートでは、「現在の職場でリスキリングの機会があれば、現在の職場で働き続ける意欲が高まるか」という質問に対して、20歳代の約90%が「高まる」と答えている。リスキリングによって社員には会社に対する感謝の気持ちが生まれ、エンゲージメントが向上するのだ。
日本でリスキリングの取り組みが遅れた背景にはいくつかの要因があるが、多くの場合、リスキリングは個人が自主的に学ぶ自己啓発の形式で行われるため、学んだスキルを実際の仕事で生かす機会が少なく、新しい仕事につながりにくいことが挙げられる。個人のやる気だけに任せた「学び直し」には限界があり、就業時間以外に学習しなければならないため、社員の負担も大きい。
また、会社の経営者が、社員にどのようなスキルを身に付けさせ、会社をどのような方向に向かわせたいのかを具体的に示せないのも原因の1つである。
リスキリングの先進事例と成功の鍵
だが、リスキリングによって会社の変革を実現した日本企業も存在する。愛知県名古屋市の西川コミュニケーションズは、1906年創業の電話帳印刷を行う会社だ。電話帳の需要減少を機にリスキリングに取り組み、デジタルマーケティングや3D-CG、AI導入支援企業に変貌した。
社長自らAIに関する民間資格である「G検定」を取得し、社員については就業時間の20%をリスキリングに充てた。これを足がかりに新しい分野の事業を開拓し、得た利益で賃上げに成功している。
石川県加賀市の石川樹脂工業は、他社ブランドのプラスチック製品のOEMを行う会社だ。同社はコロナ禍によって外国人技能実習生が中国から来日できず、人手不足により工場が稼働できなくなったことをきっかけにロボットを導入。社員が仕事の過程でプログラミングのスキルを身に付けて、製造工場の自働化を実現した。
さらに、BtoBの製造販売だけでなく直販を始め、今では売り上げの5割以上を占めている。賃上げにも成功し、70名であった社員は2024年には80名となった。
リスキリングに成功している会社には3つの共通点がある。1つ目は、経営者自身がリスキリングに取り組んでいること。リスキリングは成長分野に事業を移行する戦略でもあるため、経営者がデジタルリテラシーを磨き、適切な投資判断をする必要がある。
2つ目は、外部人材をうまく活用していること。外部の専門家とともに新プロジェクトを立ち上げる過程で、社員は新しいスキルを学ぶことができる。
3つ目は、人材流出を恐れないことである。初期段階では人材が流出することもある。しかし、新しいスキルを身に付けた社員は、利益が生まれて賃金が上がると、自社にとどまるようになる。
リスキリングした人材は、未来志向となり、変化への適応力が身に付くだけでなく、自身のキャリアを考えられるようになり、学習能力や継続力も備わる。さらに、困難なことがあっても成果を出せるようになり、最終的には目標達成能力を持つ人材へと成長していく。
組織がリスキリングを推進する上で、まずはリスキリングの制度策定を行い、部門ごとに必要なスキルを定めて使う学習ツールを決めることから始めていただきたい。次に、学んだスキルを見える化し、実践できる仕事を用意する。そして、リスキリングの成果として事業が成長した場合には、スキルに基づく昇給・昇格を行い社員のエンゲージメント向上、定着化を図る。
海外企業では、CLO(チーフ・ラーニング・オフィサー)というリスキリングの責任者となる役員がいる。専任者を置くことが難しい日本の中堅・中小企業でも、社長や役員が自らリスキリングし、責任者の役割を果たしている会社は成功している。経営陣が率先して取り組むことで、社員に対して必要な新しいスキルを具体的に提示できるためだ。
AI時代に必要なリスキリングとは
AIが得意とするのは、「正解を出し、特定タスクを深掘りすること」である。そのため、これからの人材に求められるスキルは、「AIが出した回答の間違いを見抜く力、課題を発見する力」である。
また、複数の生成AIを用途別に使いこなす力や、利害が異なる関係者をまとめるマネジメント力、トラブルを回避しながら状況を判断する力も、人間だからこそ身に付けられる能力と言える。
社員をリスキリングする際は、複数の専門知識を組み合わせて学際的な学びを促し、新しい価値をつくることが重要だ。複数のスキルを身に付けていく過程で、複合的な新しいスキルが生まれることもある。社員がすでに持つスキルと新しい分野のスキルを組み合わせて、未解決の課題を解決していくことも人間にしかできない仕事である。
中でも、中堅企業にお勧めしたいのが、グローバルやデジタル分野のリスキリングである。リスキリングは利益と給料の向上、優秀な人材の確保につながり、人材不足の解決につながる。
また、税制の観点からは、企業の業績が伸びれば自治体の法人税収・所得税収入が増加し、自治体の存続や成長にもつながる。自治体も主体となり、官民共同でリスキリングに取り組むことが重要である。
リスキリングは、AIや自動化技術の進展により変化する労働市場での生存戦略として重要性を増している。企業は社員に新しいスキルを習得させることで成長分野への移行を支援し、雇用の安定を図ることが求められている。経営者自らがリスキリングに取り組み、外部人材を活用し、人材流出を恐れない姿勢を持っていただきたい。
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