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コラム 2025.12.05

独創的なアイデアで成長するホシザキの「儲かる文化」とは ホシザキ

FCC(ファーストコールカンパニー:100年先も顧客から真っ先に声をかけられる会社)実現を支援する、経営者のための戦略プラットフォーム「トップマネジメントカンファレンス」(タナベコンサルティング主催、全6回)。第4回(2025年10月開催)では、ホシザキの取締役会長である坂本精志氏にご講演いただいた。


ホシザキ株式会社 取締役会長 坂本 精志氏

ホシザキ株式会社
取締役会長
坂本 精志 氏


創業の原点は感謝の心と新事業への熱意

当社は、1947年の創業以来、「オリジナル製品を持たない企業に飛躍はない」をモットーとし、技術力と創造力によって、製氷機や冷蔵庫を中心に幅広い製品を開発してきました。

2016年にホシザキ電機からホシザキに改名し、現在では電気機器にとらわれない、多岐にわたるBtoBビジネスを展開しています。製品にはペンギンマークが付いていますので、見かけた際には、ぜひ思い出していただければと思います。

ホシザキのロゴマーク

ホシザキのロゴマーク


私は縦割りや横割りの壁を好まず、社内では、社員を役職名ではなく「さん」付けで呼んでいます。また、意思疎通のしやすさや、社員の所在が一目で分かることを重視し、役員個室をなくして大部屋の中に席を置いています。

創業者である私の父(坂本薫俊氏)は、島根県雲南市の農家に生まれました。旧制の松江中学校を卒業後、進学を志しましたが、祖父は父を跡継ぎとするため、学資を出してくれませんでした。

しかし、松江の篤志家が現れ、1年間地元の小学校で代用教員をしていた父は、神戸工業高等学校(現・神戸大学工学部)に入学を果たしました。工学部の電気科を卒業後は三菱電機に勤め、終戦から約1年半後、日本ミシン製造(現・ブラザー工業)の協力会社として星崎電機を設立しました。

並行して独自事業を模索しているタイミングで、米国の工作機械メーカーに視察に行った父は、そこでボトルタイプのウォータークーラーに興味を持ち、買って帰りました。帰国後にこれをまねして作ろうと考えましたが、一足先に大手の松下電器(現・パナソニック)が発売していたため、とりやめました。その後も父は新製品を考え続けました。

その結果、開発したのが、機械上のボトルにジュースが噴水のように吹き上がる、インパクトのある装置です。コインを入れると、紙コップ1杯分の冷えたジュースを購入できます。これを街角に設置したところ、「町のオアシス」と親しまれ、ホシザキ初の大ヒット商品となりました。

ジュースの自動販売機が売れるようになると、父はお世話になった篤志家に孝養をつくすとともに、奨学金制度を立ち上げ、地元の高校生や大学生を延べ150人ほど支援しました。「自分は人に育てられた」と、その後、父はさまざまな社会奉仕活動に積極的に尽くしました。

1957年に販売を開始したジュース自動販売機

1957年に販売を開始したジュース自動販売機


ホシザキの製氷機のルーツは米国

私は1959年に慶應義塾大学工学部を卒業し、三菱電機の群馬製作所に入社しました。その頃、父は自動販売機の将来を考え、私に米国へ調査に行ってこないかと誘ってくれ、私はそれに飛びつきました。

渡米後、きっかけは忘れましたが、ある米国人が私を気に入り、助手席に座らせ、方々を見せて回ってくれました。彼は「今、日本は貧しいが、世の中が贅沢になればなるほど、必要になるのは水と氷と紙だ」と言いました。ホシザキのジュースの自動販売機には冷却機能があるため、ピンときて、米国の製氷機も見て回りました。

帰国後、視察内容を父や幹部に報告したのですが、誰も製氷機には注目しませんでした。というのも、その当時の氷店は、安い価格で顧客のニーズに柔軟に応えることで強い勢力を誇っていたため、「高い製氷機が売れるはずがない」と、誰もが思ったのです。

しかし、私は絶対に売れると確信し、内緒で自販機の開発を進めました。父が開発したジュースの自動販売機は、ピーク時の売れ行きは年間6000台にもなりました。

しかし、1962年の不景気とブームの収束で売り上げは全くなくなり、会社は倒産寸前となりました。そこで、社内でアイデアを探したところ、結局、製氷機しか見つからず、それに賭けることになったのです。

製氷機の販売は、ちょうど外食産業が勢いに乗るタイミングでした。コカ・コーラやマクドナルドが日本に進出し、1966年の発売から4年後には大阪万博が開催され、製氷機が100台以上も売れました。また、製氷機に続いて生ビールサーバーや冷蔵庫なども開発していたこともあり、万博ではいずれの製品もたくさん売れ、外食産業が花開いたことで、この業界で圧倒的に強い存在となれたのです。

1965年に販売開始した全自動製氷機

1965年に販売開始した全自動製氷機


父と私には、かねてから考え方に相違がありました。父はとても積極的で、私と違い資金繰りがうまい。銀行は、父と会えば融資してしまうため、面会を拒否することさえありました。将来のために手を打ち、それをほぼ成功させた人でした。

また、父は長寿の家系であり、私が後を継ぐのははるか先です。そこで、私は50歳を機に独立しようと決意しました。当時はホシザキの専務でしたが、潤沢な資金はなく、単身で独立に挑みました。

会社設立に当たっての目標は、開発型の会社にすること。また、10年後に50億円の売り上げを目指し、5億円の利益と100名の社員を持つことでした。

商品開発は、外食産業の店の厨房に入り込み、観察しました。その結果、焼き肉店では網や鉄板の洗浄が課題だと分かり、ロストルクリーナー(網洗浄機)を開発しました。

また、その頃伸びていた居酒屋に注目し、手前がくびれた舟形シンクに高さの低い冷蔵庫を組み合わせた、舟形シンク付きコールドテーブルを製造し、大ヒットしました。さらに、うどん屋・そば屋用に、ゆでた麺を締める急冷用の蓄水式急速冷却器を生み出し、好調に売上を伸ばしました。このような経験からも、私は「開発は頭ではなく足でするものだ」と考えています。

洗浄物や洗浄方法で選べるロストルクリーナー

洗浄物や洗浄方法で選べるロストルクリーナー


パブリックカンパニーへの転換でさらなる成長に挑む

開発や販売が順調に進んでいた頃、父からホシザキへの復帰の打診がありました。その都度断っていましたが、その後、父が亡くなるなどいろいろな出来事があり、私が68歳の時(2005年)にホシザキへ戻りました。

ホシザキへの復帰後に私が最初に考えたのは、それまでのプライベートカンパニーからパブリックカンパニーへの転換でした。そして、東証一部(現プライム)へ上場を目指し、それをきっかけに生産と管理の体制改革を進めることでした。

4年計画で始めた上場は3年に短縮でき、2008年、リーマン・ショックの3カ月後の12月10日に東証一部上場を果たしました。上場から3年後の2011年には製氷機で世界一となり、さらに3年後の2014年には冷蔵庫で世界一になりました。全社員の頑張りのおかげですが、ラッキーな要素もあり、全てが良い方向に回りました。

2008年に東証一部・名証一部に上場

2008年に東証一部・名証一部に上場


ホシザキの経営幹部の多くは坂本家一族でしたが、私の復帰時には定年で去っていったこともあり、私が創業家最後の社長です。そのため、現在のトップの選定は実力主義です。40歳以上の社員から3名を選び、やりたい事業を選んでもらい、責任あるポジションで2年間、競ってもらったのです。

現社長(小林靖浩氏)は50歳で就任しました。彼には、65歳が社長の定年だと話し、それまでの15年間、思い切りやってほしいと伝えています。適性のある社長ならば、長く続けるほうが業績を伸ばせると考えました。


社長との役割分担で、次期社長候補の選定やM&Aを推進

社長と私は、週に1回、1時間のミーティングをしています。しかし、代表権は社長にあり、最終的な決定を委ねています。私は権限を振りかざして彼の決定を覆すことはしません。

一方で、社長と会長は役割分担するべきだと考えています。社長が会社の業績の総責任者であり、会長は次期社長やM&A、業務提携などを考える役割です。

私は現在、次期社長の候補を選定しています。そのためにも、40歳代の元商社マン2名を採用しました。良い人材を確保するためには、待遇を惜しまないことが重要です。

また、M&Aも私が中心に行っています。会社の価値は3〜4つの数字を当てはめて算出します。一度あなたの会社でも試算してみてはいかがでしょうか。会社の弱点や今後の目標が見えてきます。

国内でのM&Aは、会社の行き詰まりや先行きが怪しい場合に行うことが多いと思います。しかし、それでは二束三文にしかならない場合が多くなりがちです。だからこそ、利益率の低い事業はカットし、必要な人材に絞り、計算することが重要です。儲かる会社にすることがメリットとなるかもしれません。

また、私はM&Aにおいて相手の会社を見極めるには、5原則があると考えています。

1つ目は、儲かる会社であることです。メーカーの利益率の目安は、少なくとも10%以上、できれば13%以上が良いでしょう。ただし、商社の場合はもっと低くなります。

2つ目は、良い経営者のいる会社です。儲かっている会社は人材を生かし、社員の努力によって業績を上げています。M&Aでは、売り手と買い手が話し合って方向性を決め、経営は売り手の社長、または有能な幹部に任せる。そういう関係性の構築が成功率を高めます。

3つ目は、相乗効果のある会社です。儲けだけで考える会社もありますが、相乗効果を考えると、同業のほうが効果は大きいと考えています。

4つ目は、売り上げが80億円以上の会社です。規模の小さい会社のほうが買収の手間がかかりやすいためです。

5番目は、上昇志向のある会社です。自社の業績を伸ばすためにM&Aを行いたいと考えている企業にこそ、グループインいただくべきです。

買収の目的は、上に立つことではありません。上下関係をなくして一緒に仕事し、互いに切磋琢磨する姿勢が重要です。経営を任せると、相手も意欲的に取り組んでくれます。


ホシザキの経営の神髄は「儲かる文化」にあり

ホシザキの5カ年計画は、2026年が最終年です。2024年12月期の売上高は約4400億円でしたが、2026年12月期には5000億円を突破する見込みです。

会社が安定的に成長するには、いくつかポイントがあります。まず、取引先1社に、自社の30%以上の売り上げを求めないことです。取引先の業績に左右され、足をすくわれては困ります。

また、新しい事業を展開する際は、トップが先頭に立って経営します。社外のエキスパートを雇って任せた場合には、100%失敗しました。私が経験不足の状態で人を使ってその人に任せるやり方では、成功の確率は低いのです。

さらに、伸び盛りの業界には、絶対に手を出してはいけません。最終的に勝ち抜くのは資金力のある会社、競争力のある会社だからです。

このように、儲かる会社には、儲かる文化があります。意外にも、手間のかかる仕事や人の嫌がる仕事が、儲けにつながるものです。

88歳の私は、年の割に若さを維持していますが、その秘訣は何事でも少し無理することです。全ては夢から始まります。無理を少しずつ重ねることで、必ず夢はかなうと信じています。