人材は企業経営における変化をマネジメントするための対象であり、人材マネジメントが重要な経営機能の一部であることは間違いない。だが、同時に「人」という視点から、人材が持つ固有の特性も理解しておかなければならない。それは、人には心があり、感情を持っており、変化し、成長していく存在であるということだ。
経営のコストや資源としてではなく、人として尊重され、価値を認められ、その価値を高めるために投資されることで、人は働く意欲を高めていける。つまり、企業が人の心や感情を理解し、成長への投資を行うことで、人材の発揮する価値を高めることができる。経営者はこのことを人材マネジメントの大前提とし、企業経営における戦略を遂行していくべきである。
企業が人材マネジメントへ期待するもの
人材が心を持つ存在だからこそ、人材マネジメントは、企業経営側の視点だけではなく、人の視点からも捉えていくことが重要だ。具体的には、人材マネジメントという手法を通じて、企業(経営)が享受できる価値と、働く人が享受できる価値の両方の整合性が取れるように定義しなければならない。
人材マネジメントを通じて企業が期待している価値は、短期的には戦略を実現し、成果(=業績)を上げることである。一方、企業存続という長期的な視点から見ると、持続的な成長を実現するための戦略構築力といえるだろう。企業を存続・成長させるための長期的なビジョンを打ち出し、戦略を構築できる組織力を持ち、さらにその力を向上させていくことが期待されているのである。
働き手が人材マネジメントへ期待するもの
こうした企業サイドの期待と同時に、個人の価値とその尊重といった人の視点も持つ必要がある。この視点を欠くと、働き手の期待が軽視され、人材マネジメントはバランスを崩してしまう。
働く人が人材マネジメントに対して期待する提供価値は、短期的には、公平・透明な評価であり、労働市場の水準と評価に見合った報酬を受け取ることともいえる。しかし、人は心を持ち、変化・成長していく存在であることを踏まえると、長期的な視点では、その企業での就業を通じた自身のキャリア形成であり、自己実現である。
働き手は、今働いている企業で自己実現がかなわないと判断すれば、転職などを通じて他の企業にそのチャンスを求めるだろう。このような状態は、厳しい表現になるが「個人が組織を見限った」ともいえる。そうならないために、働く人を引き付ける求心力を高め続けることも人材マネジメントの範囲である。
人材マネジメントを定義する5つの要件
以上のことを踏まえ、人材マネジメントを定義すると次の5つの要件に整理される。
1.戦略を実現し成果(=業績)を高めることに貢献するマネジメント手法であること
人材がもたらす成果が、企業の戦略・成果(業績)に貢献するように、社員一人一人に貢献目標が伝わっている必要がある。単に目標を分解して個人に落とし込めばよいというのは、ノルマを与えることと同じである。そうではなく、企業が目指す姿(ビジョン)に共感してもらい、自分が何をすれば戦略・成果に貢献できるのかを正しく理解してもらうためのマネジメントであり、そのために人材を支援し続けるマネジメントであることが第一の要件である。
2.組織として、長期的なビジョンを描き、戦略を構築できる力を獲得・向上させる手段であること
企業の規模が大きくなり、変化のスピードが速くなればなるほど、組織を束ねるための求心力となる企業の長期ビジョンが重要になる。環境変化に対応しながら、企業として向かうべき長期ビジョンを打ち出せる組織をつくり、その実現のために新しい戦略を構築し、推進できる組織をつくることが必要不可欠である。そのような人材が集まり、育つためのマネジメントでなければならない。
戦略を構築し、推進できる戦略リーダーの育成に、企業は注力すべきである。育成といっても、集合研修の実施にとどまらず、戦略的に配置転換などを行い、経験を積ませることでリーダーとしてのキャリアをデザインしていくマネジメントが必要である。多くの企業が企業規模を拡大していった高度経済成長期には、組織が大きくなるとともに新しいポジションが生まれ、リーダーとしての経験を積める機会が多くあった。しかし、現在はそうはいかない。意図的・戦略的に機会を創出していかなければ、戦略リーダーを獲得できない時代なのである。
3.働き手に公平かつ透明性のある評価・報酬を提供できること
社員への報酬には原資が必要であり、それは有限である。限りある原資を評価によって分配しようとするからこそ、公平性と透明性をもって社員の「納得感」が醸成できるマネジメントでなければならない。この納得感は、一時的な評価結果のフィードバックだけでは醸成できない。日常的な上司との関わりや、評価に至るまでのプロセスにおいて醸成されていくものである。つまり、人材マネジメントとは経営だけではなく、現場の上司のマネジメント力を高め、社員の納得感が得られる評価・報酬を実現することでもある。
4.個人として尊重され、人としての価値を認められ、キャリア形成・自己実現の機会を提供できること
これまで社員の異動や配置は、企業サイドの都合で行われてきた。しかしこれからは、働き手自身が自らの自己実現に主体的に取り組み、人材の価値を最大限に高めていくことが必要になる。そのために人材マネジメントが提供できる機会とは、さまざまな経験を積ませながら、社員に自身のキャリアを内省し、今後のキャリア形成の方向性を見いだすよう促すこと。そして、その強みを生かせる仕事とマッチさせる配置や役割を付与することである。仕事に人材を合わせる育て方ではなく、人材に合わせて仕事をアレンジすることが人材マネジメントなのだ。
5.企業に対して、社員が求心力を持ち続けられるマネジメントであること
組織で仕事をする方が、個人で仕事をするより効率的に経済的・精神的な報酬を得やすいことを私たちは知っている。しかし、経営環境が変化し続ける中で、一人一人が個人として尊重されつつ、組織として成果を出し続けるには、企業が社員の心をつかむ求心力を強く発揮することが必要だ。それを実現するものが理念であり、ビジョンである。理念なき人材マネジメントは、理念なき経営と言っても過言ではない。
求心力に対して生まれる遠心力があるとすれば、それは個人の多様性を尊重するからこそ生み出されるイノベーションであり、マーケットに対する自社の価値提供であり、競争力の源泉となる力である。
自動車部品メーカー、食品メーカーの人事部門での採用・人材育成・人事労務業務を経て、タナベ経営(現タナベコンサルティング)へ入社。現場で培ったノウハウをもとに、戦略的な人事・組織の実現に向けて経営的視点からアプローチし、上場企業・中堅企業の成長を数多く支援している。著書に『経営者のための「戦略人事」入門』(ダイヤモンド社)。