その他 2023.10.02

人的資本経営の実装ポイント:川島 克也

「ジョブ型人事」で生産性を向上

 

人材戦略と経営戦略の連動性を考えると、人事は「ジョブ型」を中心とした設計になっていく。いわゆる「ジョブ型人事」である。経営戦略の実現に必要なジョブ(職務)を定め、報酬をジョブに合わせて決める仕組みだ。

 

一方、日本企業の多くが導入しているのは、「メンバーシップ型人事」である。終身雇用を前提に社員の雇用を保障する代わりに、会社の意向で異動や配置転換が行われる。

 

ジョブ型人事にネガティブな印象を持つ企業は多い。「人事異動のたびに報酬が変わるため社員の納得感が得られない」「簡単に解雇ができない日本企業には適さない」「そもそも仕事の役割分担が不明確でジョブの定義ができない」といったイメージだ。

 

実際、完全なジョブ型人事制度を導入している企業はほとんどなく、職能的な制度を残したり、社内人材のバランスを考慮して仕事を割り振ったりするなど、メンバーシップ型の要素を残しつつ運用している企業が大多数である。

 

しかし、これからの人事制度を考える際は、「個々の社員の仕事のミッションを明確化することで、成果に向けて自律的に働く社員を採用・育成し、生産性の改善と企業価値の向上につなげる」というジョブ型人事の本質を理解した上で、制度改革を検討していくことが必要となる。

 

考え方としては、まずパーパスや経営戦略の実現に必要な組織をつくり、組織ミッションを定義する。そして、その組織ミッション実現のためのジョブを設定し、それに対して最適な人材を、社内外を問わずアサインしていく。

 

社員の自律的な成長のため、社員自らがジョブを獲得する社内FA(フリーエージェント)制度や、ジョブディスクリプションで明確化されたスキルを習得できる企業内大学(社内アカデミー)などの教育プラットフォームも必要である。

 

報酬・処遇については、ジョブの価値によりグレードが決まる制度とし、ジョブ(職種×役割・職務)の価格(報酬)は、市場価値を踏まえて決定する。

 

ジョブ型人事制度が新しく、メンバーシップ型人事制度は古いという印象を持ってしまいがちだが、どちらを選択するかは自社の経営環境や採用環境、人事に関する考え方によるもので、優劣はない。例えば、環境変化や技術革新が少ない業界で、技術の習得に一定の年数を要し、かつ長期的・安定的な成長が見込まれる企業であれば、メンバーシップ型人事が適しているだろう。

 

トレンドをつかんで具体的な選択肢として検討することは必要だが、流行や他社の動向に流されて制度を導入しても成果にはつながらない。自社に適しているかどうかの見極めが肝心である。

 

 

人的資本経営の推進力を上げるための3つのポイント

 

企業が人的資本経営を推進するためには、経営戦略と連動した組織・人材戦略を策定し、それらの戦略を実現するための人材マネジメントシステムに展開していくことが重要である。しかし、どれだけ素晴らしい戦略のもとに経営システムを構築しても、それが実際の経営活動の中で運用されなければ戦略は実現できない。経営システムの各機能を強化し、実行力を高める取り組みが必要だ。

 

とりわけ、人的資本経営を推進する際は、重点的に強化すべきポイントとして次の3つが挙げられる。

 

1.トップマネジメント(取締役会・経営会議)の改革
2021年6月に「コーポレートガバナンス・コード」が「投資家と企業の対話ガイドライン」と併せて改訂された。内容を確認すると、経営戦略に照らして取締役会が備えるべきスキルの特定や、企業の中核人材における多様性の確保など、人的資本に関する情報開示を求められているのが分かる。この背景には、成長戦略の実行力を対外的に示してほしいという投資家からの要求がある。

 

従来、投資家は、中長期経営計画などを通じて示される成長戦略の内容から企業の成長性を判断してきた。しかし、企業がどれだけ魅力的な戦略を示しても、その戦略を推進するためのスキル・能力・経験を備えた人材がいないと期待通りの成果は得られない。このような事例が見られるようになってきたことに対して、投資家は企業の戦略実行力を判断するための情報開示を求めている。

 

戦略実行力を示す情報としては、取締役会や経営会議などトップマネジメントの会議で、人材戦略や人材についてどの程度時間をかけて議論しているかなどを示すことも求められる。人材戦略だけでなく、経営戦略に対して最適な人材を備えることができているのか、その人材が期待通りのパフォーマンスを発揮できているのか、また活躍するためには何が必要なのかについて、十分な時間を投資して検討する必要がある。

 

2.人事部門の機能強化
人的資本経営の推進力を上げる2つ目のポイントは、人事部門の機能強化である。これには「CHRO(Chief Human Resource Officer)の設置」と「戦略人事への転換」という2つがある。

 

(1)CHROの設置
CHROとは「最高人事責任者」であり、経営視点で人材戦略を構築・推進していく経営者である(CHO:Chief Human Officerとも表記する)。CHROの代表的な役割は次の通りである。

 

①経営理念・パーパス・MVVを社内に浸透させる(好ましい組織風土の醸成)

 

②経営戦略の実現に向けた人材戦略の提言(経営・事業に対する提言)

 

③人事KPIのモニタリングと達成に向けた施策の立案・推進

 

④その他、全社的な人材上の課題に対する対策の立案と実行

 

経営トップや事業リーダーに対する人材戦略の提言とは、例えば「業績目標を達成するには、こういった人材を投入していくべきではないか」「社員のAさんにこういった役割・経験を与えていくべきではないか」など、経営視点で人材に関する提案をするイメージである。

 

とはいえ、CHROにふさわしい経営視点を持った人材を社内から登用するのが難しい企業も多いだろう。その場合は、取締役会や経営会議といったトップマネジメントでその役割を担いつつ、社内外の人材確保・育成を進めることが現実的である。

 

(2)戦略人事への転換
CHROの設置と併せて、実行部隊である人事部門そのものの変革も重要である。ここで目指すべき方向性は「戦略人事」である。戦略人事とは、人的資源を適切にマネジメントし、事業戦略を達成する人事施策だ。

 

従来の人事部門は、経営サイドや社員の要求への対応が中心で、どちらかというと受動的であった。したがって、業務は労務管理や制度の運用、規定・ルールの徹底といったものが中心となり、創造性やリーダーシップはあまり問われてこなかった。

 

しかし、人的資本経営の推進においては、企業のパーパス・MVV・戦略という価値判断基準を持って、社員のエンゲージメント向上に能動的に働き掛けることが求められる。つまり、戦略人事への転換であり、経営目線と社員目線を持って経営戦略に貢献できるように転換を図る必要がある。

 

戦略人事への転換においては、人事部門のリソースの再配分が必要である。現在の人事部門の業務が労務管理やオペレーション業務中心になっているようなら、戦略との連動性や専門性の高い業務への変革を目指したい。定型業務はデジタル化やアウトソーシングにより効率化を図り、人材戦略や人事企画、要員計画の立案などに集中できる環境をつくることが必要である。

 

3.HRテクノロジーの活用

 

(1)人事管理の意思決定を支える仕組み
トップマネジメントの改革や人事部門の機能強化において適正な意思決定を行うためには、正しい情報が必要である。従来の企業における人事の意思決定はどちらかというと感覚的に行われていたが、近年の技術革新により客観的なデータに基づいた意思決定ができるようになってきている。

 

データに基づいて意思決定を行うデータドリブンの取り組みは、特にマーケティング領域で加速しているが、HR領域においてもDXによってデータを活用し、勘や経験だけに依存しない、精度の高い意思決定を行うことが可能になりつつある。

 

人事管理の一連の流れは、人材採用に始まり、配置・異動、能力開発、就業条件の整備や昇格・昇進といった処遇と動機付けを繰り返し、退職に至る。それぞれの過程においてミスマッチが生じると、企業の組織力や人材力、戦略推進力の低下を引き起こす。

 

例えば、採用のミスマッチは組織力・生産性の低下を招き、配置・異動のミスマッチは戦略推進力の低下に、評価のミスマッチは社員のモチベーションダウンにつながる。こうした人事の意思決定が引き起こすミスマッチを、HRテクノロジーを活用して解消することができるのである。

 

(2)社員情報を活用した意思決定精度の向上
社員の属性データ(氏名・年齢・性別・所属・役職など)や行動データなどを収集・分析し、採用・配置・異動・育成といった人事管理や、人事施策に生かす手法のことを「ピープルアナリティクス」という。

 

例えば、新規事業開発部門の立ち上げに際して、創造力のある人材を社内から起用したいとする。このとき多くの企業は、学歴・経験・性格特性・資格などを頼りに選抜していく。

 

だが、創造力を発揮する人材は、しばしば他部門の情報や異業種の情報を統合して、新しいアイデアを生み出している。すると、起用すべき人材の選定条件においては、属性だけでなく、社内外に人脈・ネットワークを持ち、実際に活用しているかどうかが重要となる。

 

従来の人材起用方法では、ここで印象評価に頼らざるを得なかった。だが、データを用いることによって、実際の業務における社内外の人脈やコミュニケーション行動などの情報を加味して客観的な意思決定が行える。

 

では、ピープルアナリティクスを実装するに当たり、どのような情報を集めれば良いか。まずは、人材に関する情報の一元化から取り組むと良い。

 

企業における人材の情報のうち、人事に関する基礎的な情報は人事部門でのみ管理されており、社員各人のパフォーマンスに関する情報は事業部でしか把握できていないといったことがよくある。このように各部署に散在した人材に関する情報は、タレントマネジメントシステムなどを活用することで一元管理できる。これがピープルアナリティクスの第一歩となるだろう。

 

 

人的資本経営は人材投資

 

企業は、設備投資に関しては精緻な投資・回収・返済の計画を作成して管理する。これに対して人材投資では、育成・回収の計画を作成・管理し、定めた期間内に確実に回収している、つまり利益貢献する人材を育成できている企業はほとんどない。これが人材投資の難しさである。

 

しかし、逆に考えると、人材投資を適切に行い、人材力強化に成功している企業は、他社より高い競争力を発揮できる可能性が高いといえる。製品・サービス力の差別化が難しくなっている現在の経営環境において、人材に対して適切に先行投資を行い、人材競争力を高めていくことが、人的資本経営を成功させるポイントである。

 

人的資本経営の実装ポイント:川島 克也

PROFILE
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川島 克也
Katsuya Kawashima
タナベコンサルティング 上席執行役員
経営全般からマーケティング戦略構築、企業の独自性を生かした人事戦略の構築など、幅広いコンサルティング分野で活躍中。年商1000億円超メーカーのM&Aに際し、グループ会社人事制度の統合支援と幹部教育を実施し、グループ理念とミッションを軸としたグループ戦略の推進とマネジメントレベルの向上を実現するなど、企業の競争力向上に向けた戦略構築と、強みを生かす人事戦略の連携により、数多くの優良企業の成長を実現している。