その他 2023.10.02

人的資本経営の実装ポイント:川島 克也

人材戦略構築のポイント

 

1.パーパスを起点とする
コロナ禍による価値観の変化をはじめ、デジタル化、少子高齢化など多くのメガトレンドによって今の経営環境は大きく変化している。将来の予測が非常に困難であるからこそ、自社の存在意義を見失わないために、企業には揺るぎない軸としての「パーパス」が必要となる。

 

自社独自のパーパスが明確になるからこそ競争力の高い戦略を構築でき、その戦略を推進する組織・人材へ展開することで、戦略推進力の強化と企業の持続的成長につながる。また、魅力的なパーパスは社内外の人材を引き付けることから、企業の労働力確保にとってもプラスとなる。経営戦略と人材戦略の連動を図る上では、まず自社のパーパスを再定義し、そこを起点に展開していくと良い。

 

2.エンゲージメントを定点観測する
人事領域における「エンゲージメント」とは、「社員の会社に対する愛着心や思い入れ」を指す。これが高い企業は、人材が育つ企業といえる。

 

経営理念やパーパスなどに基づいて、安定的に成果・業績を上げる企業には、その会社のファンである「顧客基盤」があり、顧客はその会社が提供する製品・サービスを利用することを通して、その会社と持続的な関係を持つことができる(製品・サービス基盤)。では、その製品・サービスを提供したり、新たに創造したりするのは誰か。それは、他ならぬ人材である(人材基盤)。

 

では、人材基盤を強化するためには何が必要なのか。それは人が育つ組織風土である。安定的に人が育つ企業は、共通してエンゲージメントが高い。

 

エンゲージメントの向上には、パーパス・MVV(ミッション・ビジョン・バリュー)・戦略などにより、企業が向かう方向性を示すことが不可欠である。この方向性に共感した社員は貢献意欲が高く、顧客に高品質な製品・サービスを提供する。すると顧客から満足や感謝を得ることができるため、さらに貢献意欲を高めていく。これがエンゲージメントの高い状態である。

 

エンゲージメントの高い企業体質や組織風土を醸成することが、持続的に自社の「求める人材」を育成する基盤となるのはもちろん、優秀な社員の定着にもつながる。最近では、自社のエンゲージメントの状態を「エンゲージメントサーベイ」などのツールを使って定点観測する企業が増えている。サーベイの結果を人事KPI(人事に関する重要業績評価指標)とすることもできるため、活用しない手はないだろう。

 

3.人材ビジョンを明確にする
人的資本経営においては、自社のパーパス・MVVに共感し、成長戦略を実現できる人材像を明らかにすることも重要だ。人材戦略の起点となる「人材ビジョン」の明確化である。

 

経営環境の変化に対応するため、企業は新規事業の立ち上げや大幅な業態転換など、経営戦略の変革を迫られている。必然的に、こうした変革を実現できる人材が求められ、例えば成長市場をグローバルに求めるなら「グローバルリーダー」が、既存事業とは別の専門分野への進出を考えるならその分野の「スペシャリスト」が必要とされる。

 

しかし、変革の幅が大きいほど既存の人材では対応できないことが多い。外部環境の変化の大きさ故に、企業は人材ビジョン(求める人材像)を、現在の延長線上では考えられなくなってきているのだ。自社のパーパスを起点とし、経営戦略の実現に必要な人材像をあらためて考え直すことが求められている。

 

4.人材ポートフォリオを策定する
従来と違った人材を確保・育成するためには、新たなキャリアコースの整備とそれに対する最適な投資が必要となる。ここで「人材ポートフォリオ」が有効に働く。人材ポートフォリオとは、経営戦略を実現するための人的資本の配分、いわば人材投資の方向性を決めるフレームワークである。

 

人的資本経営では経営戦略と人材戦略の連動が重要であることから、人材ポートフォリオは経営戦略との連動を踏まえて設計する。人材ポートフォリオを用いることで、どのような人材がどの程度不足しているのか、あるいは過剰なのかを把握することができ、求める人材の育成・調達方針を定めることができる。人材ポートフォリオの策定は、企業の成長戦略から見て必要な人材像を明確にし、新たなキャリアコースの指針を示す重要な取り組みである。

 

人材ポートフォリオは、【図表3】のように、4象限で定義する形が基本となる。ここでは例として横軸を「定型業務⇔革新・創造」に、縦軸を「戦略・組織成果⇔個人パフォーマンス」に設定している。

 

【図表3】これからの人材ポートフォリオ

出所 : タナベコンサルティング作成

 

典型的な日本企業の人材ポートフォリオは、左側の「ファンクションマネジャー」と「エキスパート」の領域に集中して組まれており、主たる役割は定型業務の遂行であった。配属された組織でエキスパートとして専門能力を身に付け、ジョブローテーションなどで経験を重ねながらファンクションマネジャー(管理職)に昇進していくというイメージである。

 

競争環境が比較的緩やかで限定されており、それでいて安定的に成長が見込める市場においては、ゼネラリスト候補の新卒・若手人材を企業の成長スピードに合わせて育成することを軸に考えていけば良い。つまり、マネジメント層とオペレーション層の2区分に人材を集中させることが効率的であった。

 

しかし、この人材ポートフォリオは、変化が大きい経営環境には適さない。急速な環境変化に対応するため、即戦力となる専門的なスキルを持った人材が必要となった今、多くの企業がプロフェッショナル人材への投資を進めている。

 

今後の人材ポートフォリオでは、十分に議論されてこなかった【図表3】右側の「グローバル戦略リーダー」「プロフェッショナル」の領域の設計が重要だ。革新性や創造性を必要とする経営戦略を推進するための人材層を厚くしていく必要がある。

 

5.ワークフォースプランニングを行う
経営戦略を実現するには、必要な人材を質・量ともにタイムリーに調達することと、個々の社員のパフォーマンス・能力を最大限に向上させることが必要である。どれだけ素晴らしい戦略を構築しても、最適な人材が備わっていなければ実現できない。

 

人材ポートフォリオを通して人材投資の方向性を決めたら、次は具体的に「いつ、どういった人材が、何人必要なのか」を計画することになる。この計画は「要員計画」と呼ばれてきたが、従来は必要な人員数を確保するという意味合いが強く、いわば「量」の面だけを捉えていた。

 

例えば、企業の成長目標に対する1人当たりの売上高や利益を算出し、不足人員を明確にする。これをベースに、感覚的に質の面を評価して人材を確保していくというのがオーソドックスな要員計画である。つまり、現状の延長線でのみ考えるのが従来の要員計画の特徴といえる。

 

これに対し、人的資本経営における人員計画では、経営戦略に基づいて中長期に必要な人材の質と量を検討する必要がある。ポイントは、将来の在るべき姿からの逆算思考と、量だけでなく「質」の面を踏まえた計画の策定だ。つまり、経営戦略を達成するために必要な人材の質・量を具体化して、それを実現する計画である。

 

このような人員計画の立て方は「ワークフォースプランニング」といわれている。ワークフォースプランニングには、人材ポートフォリオに加え、将来の組織図が必要となる。策定のポイントは次の通りである。

 

❶ 組織ミッションの定義
「組織ミッション」とは、経営戦略を実現するために各組織が果たすべき役割のことである。業務分掌がこれと近しく思われがちだが、業務分掌はあくまで業務の役割分担を定義したものであり、組織ミッションとは異なる。

 

例えば、人事部の業務分掌は「人事管理」「就業規則の立案」「給与計算」などだが、組織ミッションは「経営戦略に基づいた人材戦略・採用戦略・育成戦略の構築と推進」といった違いである。

 

業務分掌に基づいた人員計画を策定していくと、オペレーション偏重の人員構成になりがちだ。パーパスや経営戦略の実現に向けてどのように組織の価値を向上させていくのかという視点が欠けてしまう。業務は円滑に回せるようになるが、これでは経営戦略の実現に向けた人材の確保にはつながらない。

 

❷ ジョブディスクリプションの作成
もう一つ重要なのが「ジョブディスクリプション(職務記述書)」だ。これは、組織ミッションの実現に必要なジョブの要件を定義したものである。

 

例えば、グローバル人材やDX人材が必要だとすると、その要件はさまざまある。最適な人材確保のためには、どういった役割・仕事・経験・能力を持っている人材が必要なのかを明確にすることが重要である。

 

ジョブディスクリプションに基づいた人員計画を策定すると、「将来的に総合職〇名、一般職△名が必要」という計画ではなく、「○○のできるマーケティング人材が〇名、△△経験のあるDX人材が△名必要」という具体的な計画になってくる。これにより、戦略と連動した人材の採用・育成につなげることが可能になる。

 

 

「人事KPI」で戦略実行度を可視化

 

ワークフォースプランニングにより、今後の人材戦略・計画が明確になる。しかし、重要なのは計画の立案ではなく実行である。ここで鍵となるのが「人事KPI」だ。人事KPIは「いつまでに、どのような人材を、どれくらい獲得・育成していくのか」といった具体的な指標や、戦略・経営課題解決の推進力を高める指標を定量的に示したものである。この人事KPIをモニタリング、マネジメントして、投資対効果を検証しながら人材力を高めていくことがポイントである。

 

では、どのような指標を人事KPIとするのか。ここでも原則は、経営戦略と連動させることである。具体的には、「ISO30414」(人的資本に関する情報開示のガイドライン)や、内閣官房「人的資本可視化指針」(2022年8月)の19項目などを参考にしながら設定していくと良いだろう。

 

また、標準化された基準をKPIとすることで他社との比較も可能となる。現在は国内外で指標の標準化が進んでいるので、その流れと内容についても理解した取り組みが求められる。次に示す人事KPI指標は、中堅企業の代表的なKPI項目の例である。他社が設定している人事KPIを参考にするのも良いだろう。

 

① 社員数、1人当たり付加価値、労働生産性
② 平均年収(グレード・職種別)
③ エンゲージメント、社員満足
④ プロフェッショナルKPI(資格者・専門家など)
⑤ リーダーシップKPI(リーダー・候補者など)
⑥ ダイバーシティーKPI(女性管理職・技術者、外国人技術者、新卒・中途採用者など)

 

こうした人事KPIの中でも、エンゲージメント指標は必ず押さえておきたい。人的資本経営におけるエンゲージメントの重要性は先に述べた通りであるが、これを人事KPIに設定して定期的に評価することも重要である。

 

会社と社員の信頼関係が崩れると、パフォーマンスの低下や離職率の上昇を招くことからも、エンゲージメントは人材力強化の先行指標といえる。エンゲージメントサーベイなどを活用して、その状況を定期的にモニタリングすることが必要である。

 

PROFILE
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川島 克也
Katsuya Kawashima
タナベコンサルティング 上席執行役員
経営全般からマーケティング戦略構築、企業の独自性を生かした人事戦略の構築など、幅広いコンサルティング分野で活躍中。年商1000億円超メーカーのM&Aに際し、グループ会社人事制度の統合支援と幹部教育を実施し、グループ理念とミッションを軸としたグループ戦略の推進とマネジメントレベルの向上を実現するなど、企業の競争力向上に向けた戦略構築と、強みを生かす人事戦略の連携により、数多くの優良企業の成長を実現している。