昨今、「人的資本」が注目を浴びている。人的資本とは人材を労働力として消費するのではなく、投資によって生産性が高められる「資本」と捉える概念だ。現在、トップマネジメント(経営層)が取り組むべき経営テーマは、人的資本経営のほかにも、M&A、グローバル戦略、DX戦略、CRM(顧客連携管理)、D&I(ダイバーシティー&インクルージョン)、ナレッジマネジメント、ブランディング&PR、新規事業開発などさまざまある。しかし、現実にはこれらへの対応や推進が遅れている企業が多い。組織のジョブ(仕事)が従来のままで、組織デザインも変わっていないからだ。
例えば、「一般職」「事務職」「総合職」などプロフェッショナル価値が不明瞭な職掌と、成果や処遇が連動しない仕事のデザインや定義をそのままにしている。加えて、エンパワーメント(権限委譲)が進まない組織体質を放置したまま、エンゲージメント(社員の会社に対する貢献意欲)を高めるような施策を打ってきた。結果、働き方は良くなってもやりがいは上がらない本末転倒の状態に陥り、生産性が逆に低下している。
日本企業の生産性が他国と比べ極端に低い背景には、長引くデフレ経済でライバルと低価格競争を繰り広げてきたこともあるが、最も大きな要因は生産性と対極にある古い職務体質や人事制度の運用を続け、人材価値までデフレ化させたことにある。トップマネジメントは、必要なジョブを再定義し、「作業型組織」から「プロフェッショナル型ジョブ組織」へ、自社を変革する必要がある。
これを私は「ジョブデザイン戦略」と呼んでいる。戦略人事、PR広報、デジタル戦略、M&A、D&I、アカデミー(企業内大学)、CRM、カスタマーサクセス(顧客成功支援)、マーケティング、ブランディング、ラボ(研究所機能)といった仕事を本業の中にデザインするとともに、人材育成、エンゲージメント、生産性、多様性、健康経営などに関する「人事KPI(人事に関する重要業績評価指標)」を再設定することである。
企業の競争力を高めるためには、人的資本投資の対象となる優秀なプロフェッショナル人材が数多く集まるようなジョブデザインに変革しなければならないのだ。
ジョブデザインによる人材価値創造と企業価値向上のケーススタディーとして、TCG(タナベコンサルティンググループ)が取り組んだ6つのアプローチを紹介したい。(【図表】)
【図表】タナベコンサルティンググループ(TCG)のジョブデザイン
出所 : タナベコンサルティング作成
1.ビジョンマネジメント
未来に対する組織の危機感は2種類ある。1つ目は、見えない先行きに「これからどうしよう」と右往左往する“不安感”。2つ目は、在るべき姿(ビジョン)と現状のギャップから「このままでは駄目だ、在るべき姿へ到達するにはどうすべきか」と考える“不足感”だ。
正しい危機感は後者からしか生まれない。目指すビジョンが明確でないと、社員や組織は不安に駆られる。したがって、トップマネジメントの仕事の第一ボタンは「ビジョン」を創ることである。それをステークホルダーに発信し、現状とのギャップから生まれる正しい危機感を社内に醸成する。これが現状改善につながるビジョンマネジメントである。ただし、ビジョンとは、目指すべき到達点の数値を明確にすることではない。「在るべき姿の解像度をどこまで上げることができるか」だ。解像度が上がるほど、現状の改善テーマが明らかになる。加えて、ビジョンを策定する際に大切なのは、トップが過去を否定しないことである。過去を肯定できなければ、現状をありのままに見ることができなくなる。結果、現状認識を間違えてしまう。もちろん、過去には反省することがあるだろうし、反面教師にするのも良い。しかし、過去がどうであれ、未来をどう見るかは、リーダーであるあなた自身が決めることである。
2.変化を経営する経営者リーダーシップ
会社はいつの時代も、4つの道を選択しながら歩んでいる生き物だ。「存続」「売却」「廃業」「倒産」という道である。
2023年現在、日本で100年以上存続している老舗企業は、日本企業全体のうち1.2%に過ぎない(東京商工リサーチ調べ)。こうした100年企業に共通するのは、環境変化に敏感で、柔軟な経営戦略を展開し、持続的に成長する能力を持つ「変化を経営する会社」であることだ。
ゆえに企業は、変化を経営する能力を有するトップマネジメントを創造する必要がある。会社はトップマネジメントの「決断」次第で滅びもするし繁栄もする。この決断は「決定」とは違う。決定は情報がそろう中で決める行為だ。ランチのメニューを決めることは決断とは言わない。それは決定だ。他方、決断とは、情報量が少なく、先行きが分からない中で決める行為である。固定観念や常識、過去のしがらみを「断ち」、現実や未来と向き合い、経営理念やパーパス(志)を胸に「決める」行為、それが決断だ。トップマネジメントの究極の仕事は、この決断なのである。