体験価値の方程式
体験価値の定義と現状認識の視点
1.体験価値の方程式とは
近年、製品・サービスの差別化を図る要素として「CX(カスタマーエクスペリエンス:顧客体験価値)」の重要性が叫ばれている。CXとは、顧客が感じる「おいしい」「うれしい」「興味深い」といった感情的な価値を含めた評価を得て、自社の市場優位性を高める考え方である。ただ、企業が向上すべき体験価値はCXだけではない。社員や取引先・仕入れ先、提携先、金融機関、株主、地域社会といったステークホルダー(利害関係者)との「共創」を抜きにビジネスを設計することが難しくなっている。逆に言えば、顧客だけでなく自社を取り巻く全てのステークホルダーの体験価値を高めることができれば、自社の競争力は飛躍的に向上するだろう。
タナベコンサルティングでは、CXにEX(エンプロイーエクスペリエンス:社員体験価値)とSX(ソーシャルエクスペリエンス:社会体験価値)を加え、「DX(デジタルトランスフォーメーション)」と「デザイン」の考え方を組み合わせることで体験価値を創造し、企業を取り巻く全方位へ向けて提供することによって企業価値を向上させる「体験価値の方程式」を提言している。
【体験価値の方程式】
体験価値=DX(CX+EX+SX)×デザイン
CXは、ある製品・サービスについて、購入前から購入後、廃棄に至るまでの全プロセスにおいて顧客が感じる体験価値である(製品・サービス自体の利用体験価値は「ユーザーエクスペリエンス(UX)」と呼ばれる)。
一方、EXとは、採用時の面接から入社時研修、日常の業務、退職に至るまで、社員がある会社で働く全プロセスを通じて得る体験価値だ。またSXは、ある会社の活動成果によって社会(あるいは企業全般)が獲得する体験価値を指す。
企業が自社の体験価値を向上・変革するためには、まずCX・EX・SXの観点から自社の価値を理解し、それをどう変化させるかについて考える必要がある。これに加え、DXとデザイン思考をどう組み込むかも重要である。これらを同時に推進することにより、企業は体験価値をさらに高めることができる。
2.体験価値の現状認識
変革の前提として、まず体験価値を実現するために必要な因数(CX・EX・SX)について現状認識を行うべきである。【図表1】は、それを整理するための「体験価値レベルマップ」だ。現状の自社の状況を見極め、目指すべきレベルを定めていく。
【図表1】体験価値レベルマップ
(1)体験価値戦略の対象と目的
体験価値戦略を検討する際には、その体験を付加する対象と、その目的を明確にする必要がある。
①CXを付与する対象と目的
CXの対象は「製品・サービス」と「マーケティングシステム」に大別できる。製品・サービスの体験価値を高める目的は、その付加価値の向上である。顧客に提供する製品・サービスを変化させる観点としては、どれだけその付加価値を高めることになるかを見極めていただきたい。言い換えると、その変化によってどれだけ業績向上の期待値が得られるかである。
他方、マーケティングシステムの体験価値を高める目的は、LTV(顧客生涯価値)を最大化することにある。顧客に提供するマーケティングシステムを変化させる観点としては、顧客から生涯にわたって得られる利益をどれだけ最大化できるか。言い換えると、その顧客のリピート率を高めることができるかである。
②EXを付与する対象と目的
EXの対象は「社員」であり、その目的はエンゲージメント(会社への愛着心)の向上である。いかにして企業と社員が強固な関係性を築き、企業の進む方向性と社員の考え方を一致させるかにある。言い換えると、企業と社員のベクトルを一致させることができるかである。
③SXを付与する対象と目的
SXの対象は「企業・社会」であり、目的は社会的価値の向上である。社会の公器として、いかにその企業が行う事業が社会に貢献し、社会的地位を高めることができるかが重要となる。
(2)体験価値レベル(体験価値向上・変革のステップ)
体験価値の変革は、大きく3段階に分けることができる。自社の現状を見極め、最上位である「共感」レベルへ昇華させたい。
①レベル1:「質」の向上
最初に確認したい点は、自社のCX・EX・SXのそれぞれが高い“質”を有しているのかどうかである。すなわち、自社の都合を重視した「プロダクトアウト」型の価値に陥っていないか、という確認が必要だ。【図表1】で必要な基準を示しているので、自社のレベルを確認していただきたい。
②レベル2:仕組み化
次に確認する点は、それぞれの体験価値が“仕組み”によって生み出されているかどうかである。つまり、再現性のない属人的業務で生み出されていないかを確認したい。CX・EX・SXを生み出す「仕組み=システム」が存在し、その仕組みが機能することによって、体験価値がより高められることが重要である。
③レベル3:共感
それぞれの体験価値で目指すべき基準は、その対象(顧客や社員、社会)からの“共感”である。対象が体験価値に共感・共鳴し、企業の活動を自ら進んで手伝い、応援する状態になっているかを見極める必要がある。
この状態を実現していれば、対象は自らインフルエンサー(社会や他者への影響力が大きい人物)になり、その体験価値を伝えることをいとわなくなる。このレベルにまでそれぞれの体験価値を高めたい。
体験価値を変容させる上で、DXは2つの側面を持つ。1つは、「DXによる対象の体験の変化(アウトプットの最大化)」であり、もう1つは「DXによる生産性の劇的向上(インプットの最小化)」である。
DXによる対象の体験の変化(アウトプットの最大化)とは、体験を付加する対象との接点(体験価値とのタッチポイント)を、DXによってデジタル化させることである。
例えば、実店舗で行われている「人対人」によるリアル(現実)な販売業務をデジタル化したものがECシステムである。実店舗の場合、販売品目や品種が売り場面積によって制限されてしまうが、デジタル化(ECシステム)によって(理論上は)販売品目や品種を無限に増やすことができる。つまり、デジタル化したほうが販売機会を最大化することができる。
一方で、従来の対人販売であれば、少なくとも1人の販売スタッフ(品出し、レジ打ち、接客)が必要であり、営業時間中はその販売スタッフのコストが発生する。だが、これをデジタル化し、いったんECシステムを構築してしまえば、販売業務での人件費は発生しなくなる(受注後の配送業務などを除く)。これが、DX推進による生産性の劇的向上(インプットの最小化)である。
前者によって増加したアウトプット(付加価値)は、インプット(経営資源)を効率的に運用するための投資に回せるため、さらに体験価値を高めることになる。また後者によって削減されたインプットも、アウトプットをより高めるためのコストに還元できるため、体験価値を高めることが可能となる。
1.VIデザインとは
DXとCX・EX・SXのそれぞれの価値の現状と目指すべき姿を踏まえた上で、自社の唯一無二の体験価値へと昇華させるために必要な視点が「デザイン」である。
このデザインを考えるとき、真っ先にイメージされるのが「意匠」、いわゆる見た目のデザイン(図案、模様、装飾)だ。しかし、「デザイン経営」(ブランド構築やイノベーションの創出にデザインやデザイナー的発想を活用する経営手法)が重視される現在においては、ビジュアルアイデンティティー(VI)を考えるだけでは不十分である。意匠だけでなく、自社の経営理念・ミッションに基づいて、保有する経営機能としての体験価値を“設計”する必要がある。企業としてどうありたいか、どのような姿になりたいか、どのような体験価値を提供したいのか。これら全てをつなげるのである。
2.「真の体験価値」提供に必要な3つのデザイン
「真の体験価値」を提供する際には、ビジネスモデル・マネジメントシステム・VIの3要素をデザインすべきである。
企業におけるデザインの本質は、「企業自身をデザインする」ことだ。昨今のように変化が激しい時代においては、外部環境・内部環境の変化に合わせて、その企業の経営理念やパーパス(存在意義)、ミッション(事業目的)、ビジョン(あるべき姿)などの実現に向け、外観のみならず企業活動そのものを全てデザインする必要がある。
具体的には、経営理念・パーパス・ミッションを実現するための「ビジネスモデルデザイン」、描いたビジネスモデルを企業活動の中で実現するための「マネジメントシステムデザイン」、その企業の考え方・目指す体験価値を具体化するための「VIデザイン」である。これら3つ全てを推進した結果、企業の体験価値が正しく、より良く、十分に認知されることになる。