新しいビジョンと「4つの決断」
現下のコロナパンデミックは、あらゆる変化を前倒しにした。その代表的な現象が「DX(デジタルトランスフォーメーション)」である。さらにロシアのウクライナ侵攻という地政学リスクも重なり、世界的インフレ、金利上昇、円安、これらに端を発したコストプレッシャーなど、新しい経済変化によって企業は大きな揺さぶりをかけられている。
VUCA※1の時代が続く中、経営者・リーダーである私たちは、暗闇の道なき道を手探り状態で前に進まざるを得ない。それだけに、前方を照らす明かりを灯す必要がある。会社や組織にとって、その“明かり”が「ビジョン」だ。
不確実性が高い時代のビジョンには、「4つの戦略的決断」が求められる。「DX」「M&A」「サステナビリティ」「グローバル」である。DXビジョンをはじめ、M&Aによる事業と収益のポートフォリオ戦略、サステナビリティビジョン、グローバル戦略のシナリオをビジョンに組み込むことである。環境が大きく変わってきた今こそが、自社のビジョンを見直すタイミングなのだ。
DXの進展によって人々の「体験価値」が劇的に向上し、成長スピードも爆発的に向上している。例えば、製品やサービスなどのユーザー(顧客)獲得期間は、以前に比べ急激に短くなった。5000万人のユーザーを獲得するまでの年月は、飛行機が68年、自動車が62年、電話が50年。一方、YouTubeは4年、Twitterは2年、スマホゲーム「ポケモンGO」はたった19日だったという※2。
このスピード格差には、地理・物流・通信インフラなどを含むさまざまな要因が作用しており、単純に比較はできない。ただ、間違いないのは、爆発的に拡大スピードを速めているのはDXを伴う製品・サービスであるということだ。DXによって速く、広く、深く体験価値を提供できていることに他ならない。
例えば、ポケモンGOの19日間というスピードは、ネットワークゲームとしての素晴らしさはもちろんだが、ポケモンというファン人口の多いブランドを使ってプレーヤーを急拡大させたこと、またプレーヤーがデジタルデバイスを使いながら外出することでゲームが成立するという、リアルとデジタルを結び付ける体験の提供があってのことだろう。DXを使って体験価値をデザインしたからこそ、ユーザーを爆発的に増やすことができたのである。
DXで体験価値をデザインする場合、大きく分けて次の「3つの領域」がある。
1.CX(カスタマーエクスペリエンス:顧客体験価値)
あなたが商品(製品・サービス)を購入するとき、検索サイトでその会社のホームページや口コミサイトを調べたり、SNSでレビュー(評価)を見たりして、事前にチェックをしているはずである。また購入後、その商品に思い入れがある場合、SNSなどでフォローをしているかもしれない。これは、まさに体験価値である。知らぬうちに購買動機から購買、その後にファン化していくプロセスを体験している。
長期化するコロナ禍によって、人々はデジタルリテラシー(最新のテクノロジーを生かす能力)を高めていった。そうした中、企業が体験価値のデザインを通じて購買の成功確率を高めようとした結果、これらのマーケティングが加速したのである。
2.EX(エンプロイーエクスペリエンス:社員体験価値)
あなたの会社の社員が、自社に入社した時のことを考えていただきたい。まず、採用(リクルート)サイトに入り、入社前から自社の事業内容や教育システム、人的資本、社風などを知り、採用試験に臨んだはずである。
このようにウェブサイトを使い、自社に関する体験価値をデザインすることが今は不可欠となっている。コロナ禍により、多くの企業が従来のような会社説明会や採用面接、会社訪問すら十分にできなかったが、DX先進企業は早くからウェブ活用の工夫と努力を積み重ねていた。
そして、入社後はキャリアデベロップメントが重要となる。キャリアデベロップメントとは、企業が望む人材育成と、社員が望むキャリアプランの実現を一致させる計画的な能力開発をいう。
しかし、その前提となるジョブローテーション(定期的な部署異動や職務変更)が機能していない組織は多い。例えば「社内留学制度」(他部署の事業を知るため、一時的に他部署の業務を行う制度)や「ウェブ社内報」の運用など、各事業部・部門業務を理解してもらうための体験価値をデザインすることで、ローテーションも機能しやすくなる。
また、リーダーシップ体験価値のデザインに関しては、アカデミー(企業内大学)などを軸に社内教育システムを構築し、誰もがいつでも、どこでも学べるように教育体系を整備する。それが結果的にエンゲージメントの向上につながっていく。
3.SX(ソーシャルエクスペリエンス:社会体験価値)
ESG(環境、社会、ガバナンス)やSDGs(持続可能な開発目標)への取り組みは、企業にとってブランディングしにくいものだ。環境配慮や人権保護への取り組みは、商品の売り上げに直接影響を及ぼすファクターではない上に、「グリーンウォッシュ」(実態を伴わない環境配慮)や「ブルーウォッシュ」(見せかけの人道支援)など、いわれなき批判の的にされやすくなる。
そのため、自社の製品・サービスのブランディングには注力するが、ソーシャル活動は二の次になるのが常である。しかし、今後はCXと同レベルでSXが大事になってくる。
例えば、ユニクロを展開するファーストリテイリングは、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)からの要請を受け、ウクライナおよび周辺地域で緊急人道支援に当たるUNHCRに対し1000万米ドル(約11億5000万円)の寄付を決定するとともに、UNHCRの活動に寄付を募る新聞全面広告を打った。
その広告を見て同社の活動を知り、興味・関心を持った読者は、次にユニクロのホームページを見るだろう。同社の素晴らしい活動に共感し、ツイッターやLINEで拡散する人もいるに違いない。自社のサステナビリティ戦略をビジョンに据えるためには、デジタルを駆使したソーシャルブランディングも当然の取り組みとなる。まさにソーシャルネットワーキングサービス(SNS)に対するリテラシーが求められる時代なのである。
※1…「Volatility(変動性)」「Uncertainty(不確実性)」「Complexity(複雑性)」「Ambiguity(曖昧性)」の頭文字を合わせた造語。「先行きが不透明で将来の予測が困難な状態」を意味する
※2…steemit/@johnnywingston