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コラム
FCC FORUMリポート
タナベコンサルティングが年に1度開催する「FCC FORUM(ファーストコールカンパニーフォーラム)」のポイントをレポート。
コラム 2023.10.02

人的資本経営の実装ポイント:川島 克也

 
人的資本経営とは
  昨今、「人的資本経営」の重要性が叫ばれている。人件費や教育研修費などの「コスト」を極力抑えて生産性を上げていく考え方から脱却し、インプットに当たる投資を適正に行うことで、より大きなアウトプットを創出していくアプローチだ。優秀な人材に対して適切な給与を支給したり、生産性向上につながる教育投資を行ったりするなどの施策を講じることにより、企業価値の向上につなげていこうという試みである。   人的資本経営を考える中でよくあるのが、「人的資本経営=人的資本の開示である」という誤解である。とりわけ中堅・中小企業においてこの傾向が強く、人的資本経営とは上場企業に対する規制であるようなイメージを持たれている感がある。   しかしながら、人的資本経営の本質とは、「人的資本の価値向上による企業価値の向上」である。企業価値を向上させるためには人材力の強化が必要であり、そのために経営戦略と人材戦略を連動させることが人的資本経営のポイントとなる。人的資本の開示は、あくまで経営戦略を実現するための人事・人材戦略上の手段であり、ステークホルダーに自社の人的資本経営の取り組みを示すものである。   人的資本経営の実行においては、「社内外への人的資本の情報開示」と「人的資本の価値向上施策」を両輪で進めながら、企業価値向上を目指す必要がある。人的資本の課題を見つけ、価値向上につながる施策を実行し、その状況を開示する。それに対するフィードバックを受けながら、人的資本の価値をさらに向上させていく流れである。   人的資本経営を、株式市場においてステークホルダーの要求に応えるためのものと誤解すると、非上場企業には必要ない取り組みのように思えてしまう。しかし、これを非上場企業には無関係なことと捉えると、後れを取ることになる。   上場企業はステークホルダーからの要請という、ある種の強制力を得て人的資本経営を推進し、さらに企業価値を高めていくだろう。経営戦略と人材戦略を連動させることができれば、加速度的に人的資本価値の向上、そして企業価値の向上につなげられる。   また、人的資本の代表的な指標を研究することは、人材力強化のポイントを客観的に理解する上で有効である。こうした観点から、非上場企業においても人的資本経営についての本質的な理解を深め、取り組みを進めていくことが重要である。    
従来の経営と人的資本経営の違い
  人的資本経営では、人材マネジメントの転換も迫られる。【図表1】は、経済産業省が2022年に公表した「人材版伊藤レポート2.0」で示されている変革の方向性である。 【図表1】変革の方向性 ※ 5C : CEO、CSO、CHRO、CFO、CDO 出所 : 経済産業省「人的資本経営の実現に向けた検討会報告書~人材版伊藤レポート2.0~」(2022年5月)を基にタナベコンサルティング作成   ここではまず、人材マネジメントの目的が「人的資源管理」から「人的資本・価値創造」に変わっていることが大前提である。この大きな変化の中で、人事におけるアクションは「運用から戦略」へ、意思決定の中心は「人事部から取締役会(またはCxO)」へ、方向性は「社内を中心とした内向きからステークホルダーなどに対する外向きの積極対話」へと変化している。   それに伴い、個と組織の関係性は「相互依存から自律・活性化」へ、そして雇用関係も「囲い込み型から対等でオープンな関係」に変わってきている。これを前提に人的資本経営を進めることが求められている。   以上を踏まえ、ここからは企業が人的資本経営を実装するためのポイントを解説する。重要なのは、人的資本開示により得た推進力で企業価値の向上を図り、持続的成長につなげるストーリーを持つことである。   企業価値の向上において鍵となるのは、「経営戦略と人材戦略の連動」である。今までも経営戦略と人材戦略の連動性は語られてきたが、企業の戦略の方向性を意識して評価制度を構築していこうという「なんとなく」の連動であったのが実情といえよう。   しかし、人的資本経営は投資戦略だ。企業の成長戦略に対して、必要なリソースとしての組織・人材をどう供給していくのか。これを経営戦略と連動させるには、企業経営の根幹である経営理念・パーパスを起点に、事業・組織・人材戦略から人材マネジメントシステムまで一気通貫で具体的に連動させていく必要がある(【図表2】)。推進目標を設定するだけでなく、その実現のためにどういった組織・人材・マネジメントシステムが必要なのかを明確化することが重要である。 【図表2】人的資本経営に求められる戦略連動レベル 出所 : タナベコンサルティング作成
人材戦略構築のポイント
  1.パーパスを起点とする コロナ禍による価値観の変化をはじめ、デジタル化、少子高齢化など多くのメガトレンドによって今の経営環境は大きく変化している。将来の予測が非常に困難であるからこそ、自社の存在意義を見失わないために、企業には揺るぎない軸としての「パーパス」が必要となる。   自社独自のパーパスが明確になるからこそ競争力の高い戦略を構築でき、その戦略を推進する組織・人材へ展開することで、戦略推進力の強化と企業の持続的成長につながる。また、魅力的なパーパスは社内外の人材を引き付けることから、企業の労働力確保にとってもプラスとなる。経営戦略と人材戦略の連動を図る上では、まず自社のパーパスを再定義し、そこを起点に展開していくと良い。   2.エンゲージメントを定点観測する 人事領域における「エンゲージメント」とは、「社員の会社に対する愛着心や思い入れ」を指す。これが高い企業は、人材が育つ企業といえる。   経営理念やパーパスなどに基づいて、安定的に成果・業績を上げる企業には、その会社のファンである「顧客基盤」があり、顧客はその会社が提供する製品・サービスを利用することを通して、その会社と持続的な関係を持つことができる(製品・サービス基盤)。では、その製品・サービスを提供したり、新たに創造したりするのは誰か。それは、他ならぬ人材である(人材基盤)。   では、人材基盤を強化するためには何が必要なのか。それは人が育つ組織風土である。安定的に人が育つ企業は、共通してエンゲージメントが高い。   エンゲージメントの向上には、パーパス・MVV(ミッション・ビジョン・バリュー)・戦略などにより、企業が向かう方向性を示すことが不可欠である。この方向性に共感した社員は貢献意欲が高く、顧客に高品質な製品・サービスを提供する。すると顧客から満足や感謝を得ることができるため、さらに貢献意欲を高めていく。これがエンゲージメントの高い状態である。   エンゲージメントの高い企業体質や組織風土を醸成することが、持続的に自社の「求める人材」を育成する基盤となるのはもちろん、優秀な社員の定着にもつながる。最近では、自社のエンゲージメントの状態を「エンゲージメントサーベイ」などのツールを使って定点観測する企業が増えている。サーベイの結果を人事KPI(人事に関する重要業績評価指標)とすることもできるため、活用しない手はないだろう。   3.人材ビジョンを明確にする 人的資本経営においては、自社のパーパス・MVVに共感し、成長戦略を実現できる人材像を明らかにすることも重要だ。人材戦略の起点となる「人材ビジョン」の明確化である。   経営環境の変化に対応するため、企業は新規事業の立ち上げや大幅な業態転換など、経営戦略の変革を迫られている。必然的に、こうした変革を実現できる人材が求められ、例えば成長市場をグローバルに求めるなら「グローバルリーダー」が、既存事業とは別の専門分野への進出を考えるならその分野の「スペシャリスト」が必要とされる。   しかし、変革の幅が大きいほど既存の人材では対応できないことが多い。外部環境の変化の大きさ故に、企業は人材ビジョン(求める人材像)を、現在の延長線上では考えられなくなってきているのだ。自社のパーパスを起点とし、経営戦略の実現に必要な人材像をあらためて考え直すことが求められている。   4.人材ポートフォリオを策定する 従来と違った人材を確保・育成するためには、新たなキャリアコースの整備とそれに対する最適な投資が必要となる。ここで「人材ポートフォリオ」が有効に働く。人材ポートフォリオとは、経営戦略を実現するための人的資本の配分、いわば人材投資の方向性を決めるフレームワークである。   人的資本経営では経営戦略と人材戦略の連動が重要であることから、人材ポートフォリオは経営戦略との連動を踏まえて設計する。人材ポートフォリオを用いることで、どのような人材がどの程度不足しているのか、あるいは過剰なのかを把握することができ、求める人材の育成・調達方針を定めることができる。人材ポートフォリオの策定は、企業の成長戦略から見て必要な人材像を明確にし、新たなキャリアコースの指針を示す重要な取り組みである。   人材ポートフォリオは、【図表3】のように、4象限で定義する形が基本となる。ここでは例として横軸を「定型業務⇔革新・創造」に、縦軸を「戦略・組織成果⇔個人パフォーマンス」に設定している。   【図表3】これからの人材ポートフォリオ 出所 : タナベコンサルティング作成   典型的な日本企業の人材ポートフォリオは、左側の「ファンクションマネジャー」と「エキスパート」の領域に集中して組まれており、主たる役割は定型業務の遂行であった。配属された組織でエキスパートとして専門能力を身に付け、ジョブローテーションなどで経験を重ねながらファンクションマネジャー(管理職)に昇進していくというイメージである。   競争環境が比較的緩やかで限定されており、それでいて安定的に成長が見込める市場においては、ゼネラリスト候補の新卒・若手人材を企業の成長スピードに合わせて育成することを軸に考えていけば良い。つまり、マネジメント層とオペレーション層の2区分に人材を集中させることが効率的であった。   しかし、この人材ポートフォリオは、変化が大きい経営環境には適さない。急速な環境変化に対応するため、即戦力となる専門的なスキルを持った人材が必要となった今、多くの企業がプロフェッショナル人材への投資を進めている。   今後の人材ポートフォリオでは、十分に議論されてこなかった【図表3】右側の「グローバル戦略リーダー」「プロフェッショナル」の領域の設計が重要だ。革新性や創造性を必要とする経営戦略を推進するための人材層を厚くしていく必要がある。   5.ワークフォースプランニングを行う 経営戦略を実現するには、必要な人材を質・量ともにタイムリーに調達することと、個々の社員のパフォーマンス・能力を最大限に向上させることが必要である。どれだけ素晴らしい戦略を構築しても、最適な人材が備わっていなければ実現できない。   人材ポートフォリオを通して人材投資の方向性を決めたら、次は具体的に「いつ、どういった人材が、何人必要なのか」を計画することになる。この計画は「要員計画」と呼ばれてきたが、従来は必要な人員数を確保するという意味合いが強く、いわば「量」の面だけを捉えていた。   例えば、企業の成長目標に対する1人当たりの売上高や利益を算出し、不足人員を明確にする。これをベースに、感覚的に質の面を評価して人材を確保していくというのがオーソドックスな要員計画である。つまり、現状の延長線でのみ考えるのが従来の要員計画の特徴といえる。   これに対し、人的資本経営における人員計画では、経営戦略に基づいて中長期に必要な人材の質と量を検討する必要がある。ポイントは、将来の在るべき姿からの逆算思考と、量だけでなく「質」の面を踏まえた計画の策定だ。つまり、経営戦略を達成するために必要な人材の質・量を具体化して、それを実現する計画である。   このような人員計画の立て方は「ワークフォースプランニング」といわれている。ワークフォースプランニングには、人材ポートフォリオに加え、将来の組織図が必要となる。策定のポイントは次の通りである。   ❶ 組織ミッションの定義 「組織ミッション」とは、経営戦略を実現するために各組織が果たすべき役割のことである。業務分掌がこれと近しく思われがちだが、業務分掌はあくまで業務の役割分担を定義したものであり、組織ミッションとは異なる。   例えば、人事部の業務分掌は「人事管理」「就業規則の立案」「給与計算」などだが、組織ミッションは「経営戦略に基づいた人材戦略・採用戦略・育成戦略の構築と推進」といった違いである。   業務分掌に基づいた人員計画を策定していくと、オペレーション偏重の人員構成になりがちだ。パーパスや経営戦略の実現に向けてどのように組織の価値を向上させていくのかという視点が欠けてしまう。業務は円滑に回せるようになるが、これでは経営戦略の実現に向けた人材の確保にはつながらない。   ❷ ジョブディスクリプションの作成 もう一つ重要なのが「ジョブディスクリプション(職務記述書)」だ。これは、組織ミッションの実現に必要なジョブの要件を定義したものである。   例えば、グローバル人材やDX人材が必要だとすると、その要件はさまざまある。最適な人材確保のためには、どういった役割・仕事・経験・能力を持っている人材が必要なのかを明確にすることが重要である。   ジョブディスクリプションに基づいた人員計画を策定すると、「将来的に総合職〇名、一般職△名が必要」という計画ではなく、「○○のできるマーケティング人材が〇名、△△経験のあるDX人材が△名必要」という具体的な計画になってくる。これにより、戦略と連動した人材の採用・育成につなげることが可能になる。    
「人事KPI」で戦略実行度を可視化
  ワークフォースプランニングにより、今後の人材戦略・計画が明確になる。しかし、重要なのは計画の立案ではなく実行である。ここで鍵となるのが「人事KPI」だ。人事KPIは「いつまでに、どのような人材を、どれくらい獲得・育成していくのか」といった具体的な指標や、戦略・経営課題解決の推進力を高める指標を定量的に示したものである。この人事KPIをモニタリング、マネジメントして、投資対効果を検証しながら人材力を高めていくことがポイントである。   では、どのような指標を人事KPIとするのか。ここでも原則は、経営戦略と連動させることである。具体的には、「ISO30414」(人的資本に関する情報開示のガイドライン)や、内閣官房「人的資本可視化指針」(2022年8月)の19項目などを参考にしながら設定していくと良いだろう。   また、標準化された基準をKPIとすることで他社との比較も可能となる。現在は国内外で指標の標準化が進んでいるので、その流れと内容についても理解した取り組みが求められる。次に示す人事KPI指標は、中堅企業の代表的なKPI項目の例である。他社が設定している人事KPIを参考にするのも良いだろう。   ① 社員数、1人当たり付加価値、労働生産性 ② 平均年収(グレード・職種別) ③ エンゲージメント、社員満足 ④ プロフェッショナルKPI(資格者・専門家など) ⑤ リーダーシップKPI(リーダー・候補者など) ⑥ ダイバーシティーKPI(女性管理職・技術者、外国人技術者、新卒・中途採用者など)   こうした人事KPIの中でも、エンゲージメント指標は必ず押さえておきたい。人的資本経営におけるエンゲージメントの重要性は先に述べた通りであるが、これを人事KPIに設定して定期的に評価することも重要である。   会社と社員の信頼関係が崩れると、パフォーマンスの低下や離職率の上昇を招くことからも、エンゲージメントは人材力強化の先行指標といえる。エンゲージメントサーベイなどを活用して、その状況を定期的にモニタリングすることが必要である。  
「ジョブ型人事」で生産性を向上
  人材戦略と経営戦略の連動性を考えると、人事は「ジョブ型」を中心とした設計になっていく。いわゆる「ジョブ型人事」である。経営戦略の実現に必要なジョブ(職務)を定め、報酬をジョブに合わせて決める仕組みだ。   一方、日本企業の多くが導入しているのは、「メンバーシップ型人事」である。終身雇用を前提に社員の雇用を保障する代わりに、会社の意向で異動や配置転換が行われる。   ジョブ型人事にネガティブな印象を持つ企業は多い。「人事異動のたびに報酬が変わるため社員の納得感が得られない」「簡単に解雇ができない日本企業には適さない」「そもそも仕事の役割分担が不明確でジョブの定義ができない」といったイメージだ。   実際、完全なジョブ型人事制度を導入している企業はほとんどなく、職能的な制度を残したり、社内人材のバランスを考慮して仕事を割り振ったりするなど、メンバーシップ型の要素を残しつつ運用している企業が大多数である。   しかし、これからの人事制度を考える際は、「個々の社員の仕事のミッションを明確化することで、成果に向けて自律的に働く社員を採用・育成し、生産性の改善と企業価値の向上につなげる」というジョブ型人事の本質を理解した上で、制度改革を検討していくことが必要となる。   考え方としては、まずパーパスや経営戦略の実現に必要な組織をつくり、組織ミッションを定義する。そして、その組織ミッション実現のためのジョブを設定し、それに対して最適な人材を、社内外を問わずアサインしていく。   社員の自律的な成長のため、社員自らがジョブを獲得する社内FA(フリーエージェント)制度や、ジョブディスクリプションで明確化されたスキルを習得できる企業内大学(社内アカデミー)などの教育プラットフォームも必要である。   報酬・処遇については、ジョブの価値によりグレードが決まる制度とし、ジョブ(職種×役割・職務)の価格(報酬)は、市場価値を踏まえて決定する。   ジョブ型人事制度が新しく、メンバーシップ型人事制度は古いという印象を持ってしまいがちだが、どちらを選択するかは自社の経営環境や採用環境、人事に関する考え方によるもので、優劣はない。例えば、環境変化や技術革新が少ない業界で、技術の習得に一定の年数を要し、かつ長期的・安定的な成長が見込まれる企業であれば、メンバーシップ型人事が適しているだろう。   トレンドをつかんで具体的な選択肢として検討することは必要だが、流行や他社の動向に流されて制度を導入しても成果にはつながらない。自社に適しているかどうかの見極めが肝心である。    
人的資本経営の推進力を上げるための3つのポイント
  企業が人的資本経営を推進するためには、経営戦略と連動した組織・人材戦略を策定し、それらの戦略を実現するための人材マネジメントシステムに展開していくことが重要である。しかし、どれだけ素晴らしい戦略のもとに経営システムを構築しても、それが実際の経営活動の中で運用されなければ戦略は実現できない。経営システムの各機能を強化し、実行力を高める取り組みが必要だ。   とりわけ、人的資本経営を推進する際は、重点的に強化すべきポイントとして次の3つが挙げられる。   1.トップマネジメント(取締役会・経営会議)の改革 2021年6月に「コーポレートガバナンス・コード」が「投資家と企業の対話ガイドライン」と併せて改訂された。内容を確認すると、経営戦略に照らして取締役会が備えるべきスキルの特定や、企業の中核人材における多様性の確保など、人的資本に関する情報開示を求められているのが分かる。この背景には、成長戦略の実行力を対外的に示してほしいという投資家からの要求がある。   従来、投資家は、中長期経営計画などを通じて示される成長戦略の内容から企業の成長性を判断してきた。しかし、企業がどれだけ魅力的な戦略を示しても、その戦略を推進するためのスキル・能力・経験を備えた人材がいないと期待通りの成果は得られない。このような事例が見られるようになってきたことに対して、投資家は企業の戦略実行力を判断するための情報開示を求めている。   戦略実行力を示す情報としては、取締役会や経営会議などトップマネジメントの会議で、人材戦略や人材についてどの程度時間をかけて議論しているかなどを示すことも求められる。人材戦略だけでなく、経営戦略に対して最適な人材を備えることができているのか、その人材が期待通りのパフォーマンスを発揮できているのか、また活躍するためには何が必要なのかについて、十分な時間を投資して検討する必要がある。   2.人事部門の機能強化 人的資本経営の推進力を上げる2つ目のポイントは、人事部門の機能強化である。これには「CHRO(Chief Human Resource Officer)の設置」と「戦略人事への転換」という2つがある。   (1)CHROの設置 CHROとは「最高人事責任者」であり、経営視点で人材戦略を構築・推進していく経営者である(CHO:Chief Human Officerとも表記する)。CHROの代表的な役割は次の通りである。   ①経営理念・パーパス・MVVを社内に浸透させる(好ましい組織風土の醸成)   ②経営戦略の実現に向けた人材戦略の提言(経営・事業に対する提言)   ③人事KPIのモニタリングと達成に向けた施策の立案・推進   ④その他、全社的な人材上の課題に対する対策の立案と実行   経営トップや事業リーダーに対する人材戦略の提言とは、例えば「業績目標を達成するには、こういった人材を投入していくべきではないか」「社員のAさんにこういった役割・経験を与えていくべきではないか」など、経営視点で人材に関する提案をするイメージである。   とはいえ、CHROにふさわしい経営視点を持った人材を社内から登用するのが難しい企業も多いだろう。その場合は、取締役会や経営会議といったトップマネジメントでその役割を担いつつ、社内外の人材確保・育成を進めることが現実的である。   (2)戦略人事への転換 CHROの設置と併せて、実行部隊である人事部門そのものの変革も重要である。ここで目指すべき方向性は「戦略人事」である。戦略人事とは、人的資源を適切にマネジメントし、事業戦略を達成する人事施策だ。   従来の人事部門は、経営サイドや社員の要求への対応が中心で、どちらかというと受動的であった。したがって、業務は労務管理や制度の運用、規定・ルールの徹底といったものが中心となり、創造性やリーダーシップはあまり問われてこなかった。   しかし、人的資本経営の推進においては、企業のパーパス・MVV・戦略という価値判断基準を持って、社員のエンゲージメント向上に能動的に働き掛けることが求められる。つまり、戦略人事への転換であり、経営目線と社員目線を持って経営戦略に貢献できるように転換を図る必要がある。   戦略人事への転換においては、人事部門のリソースの再配分が必要である。現在の人事部門の業務が労務管理やオペレーション業務中心になっているようなら、戦略との連動性や専門性の高い業務への変革を目指したい。定型業務はデジタル化やアウトソーシングにより効率化を図り、人材戦略や人事企画、要員計画の立案などに集中できる環境をつくることが必要である。   3.HRテクノロジーの活用   (1)人事管理の意思決定を支える仕組み トップマネジメントの改革や人事部門の機能強化において適正な意思決定を行うためには、正しい情報が必要である。従来の企業における人事の意思決定はどちらかというと感覚的に行われていたが、近年の技術革新により客観的なデータに基づいた意思決定ができるようになってきている。   データに基づいて意思決定を行うデータドリブンの取り組みは、特にマーケティング領域で加速しているが、HR領域においてもDXによってデータを活用し、勘や経験だけに依存しない、精度の高い意思決定を行うことが可能になりつつある。   人事管理の一連の流れは、人材採用に始まり、配置・異動、能力開発、就業条件の整備や昇格・昇進といった処遇と動機付けを繰り返し、退職に至る。それぞれの過程においてミスマッチが生じると、企業の組織力や人材力、戦略推進力の低下を引き起こす。   例えば、採用のミスマッチは組織力・生産性の低下を招き、配置・異動のミスマッチは戦略推進力の低下に、評価のミスマッチは社員のモチベーションダウンにつながる。こうした人事の意思決定が引き起こすミスマッチを、HRテクノロジーを活用して解消することができるのである。   (2)社員情報を活用した意思決定精度の向上 社員の属性データ(氏名・年齢・性別・所属・役職など)や行動データなどを収集・分析し、採用・配置・異動・育成といった人事管理や、人事施策に生かす手法のことを「ピープルアナリティクス」という。   例えば、新規事業開発部門の立ち上げに際して、創造力のある人材を社内から起用したいとする。このとき多くの企業は、学歴・経験・性格特性・資格などを頼りに選抜していく。   だが、創造力を発揮する人材は、しばしば他部門の情報や異業種の情報を統合して、新しいアイデアを生み出している。すると、起用すべき人材の選定条件においては、属性だけでなく、社内外に人脈・ネットワークを持ち、実際に活用しているかどうかが重要となる。   従来の人材起用方法では、ここで印象評価に頼らざるを得なかった。だが、データを用いることによって、実際の業務における社内外の人脈やコミュニケーション行動などの情報を加味して客観的な意思決定が行える。   では、ピープルアナリティクスを実装するに当たり、どのような情報を集めれば良いか。まずは、人材に関する情報の一元化から取り組むと良い。   企業における人材の情報のうち、人事に関する基礎的な情報は人事部門でのみ管理されており、社員各人のパフォーマンスに関する情報は事業部でしか把握できていないといったことがよくある。このように各部署に散在した人材に関する情報は、タレントマネジメントシステムなどを活用することで一元管理できる。これがピープルアナリティクスの第一歩となるだろう。    
人的資本経営は人材投資
  企業は、設備投資に関しては精緻な投資・回収・返済の計画を作成して管理する。これに対して人材投資では、育成・回収の計画を作成・管理し、定めた期間内に確実に回収している、つまり利益貢献する人材を育成できている企業はほとんどない。これが人材投資の難しさである。   しかし、逆に考えると、人材投資を適切に行い、人材力強化に成功している企業は、他社より高い競争力を発揮できる可能性が高いといえる。製品・サービス力の差別化が難しくなっている現在の経営環境において、人材に対して適切に先行投資を行い、人材競争力を高めていくことが、人的資本経営を成功させるポイントである。   人的資本経営の実装ポイント:川島 克也
PROFILE
著者画像
川島 克也
Katsuya Kawashima
タナベコンサルティング 上席執行役員 経営全般からマーケティング戦略構築、企業の独自性を生かした人事戦略の構築など、幅広いコンサルティング分野で活躍中。年商1000億円超メーカーのM&Aに際し、グループ会社人事制度の統合支援と幹部教育を実施し、グループ理念とミッションを軸としたグループ戦略の推進とマネジメントレベルの向上を実現するなど、企業の競争力向上に向けた戦略構築と、強みを生かす人事戦略の連携により、数多くの優良企業の成長を実現している。