ラグジュアリー領域で働く人材の教育
某大手企業のインハウスデザイナーである松原優子氏は、英・ロンドンにあるセントラル・セント・マーティンズ大学(以降、セント・マーティンズ大)の教育経験を話してくれた。彼女は同大学でグラフィックデザインを勉強した。松原氏について中野氏は次のように話す。
「松原さんの語り口は独特で、ストレートに論理的な伝え方をせず、道草をしているような話の進め方で、でも最後は目的地にさりげなく何気なく格好良く到着しているんですよね。体を張ってファッションをやっている人はこうでなくてはなりません。こういう『attitude(姿勢)』というのは大学の教育と環境でもまれた結果、後天的に身に着くものなのか、生来のものが教育で強化されたのか、その両方だと思いますが、お話全体がとにかく姿勢の大切さのお手本そのものでした」(中野氏)
大手ラグジュアリー企業には、マネジメントとクリエーティブの2つの重要な部門がある。マネジメント部門については連載第5回(2020年3月号)で紹介したように、各国大学に設置されたラグジュアリーマネジメントの修士コース卒業生が担っている。欧州のトップファッションブランドのクリエーティブ部門を担うアートディレクターは、ロンドンのセント・マーティンズ大とベルギーのアントワープ大学の出身者が双璧を成しているとの評価がある。
松原氏が話したセント・マーティンズ大の立地や新旧校舎の間取りについて中野氏は次のように話す。
「フランスのコングロマリットであるLVMH(エルヴェエムアッシュ モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)がセント・マーティンズ大の卒業生を多く雇用しているなど、つながりが強いことは有名ですが、キングスクロスという立地がポイントであるという指摘に膝を打ちました。近くのセント・パンクラス駅からユーロスターで仏・パリまで乗り換えなしに2時間半。LVMHのレクチャーシアター(講義室)もここにあるということも知り、すでにLVMHが教育の段階からそのレベルまで深く関わっていることに衝撃を受けました」
松原氏は古い校舎と新校舎の間取りを説明し、建物の環境がいかに人に影響を及ぼすのかを教えてくれた。旧校舎は迷路のような造りだったのに対し、新校舎は透明性が高く建物の中心に機能を集中していたという。
「新校舎になってからは、恐らくLVMHのようなコングロマリットにとっては非常に都合の良い、マーケティングしやすいファッションが生まれやすくなったのではないかと想像します。
旧校舎的な性格を象徴していたのが、多くのトップデザイナーを育てたルイーズ・ウィルソンですね。教え子の一人だったデザイナーの信國大志さんが語っていたのは、ルイーズは服の作り方ではなく『おまえは誰なんだ、おまえは何者なんだ』とアイデンティーをぐいぐい掘り下げさせるような教育をしていたということです。結果、アレキサンダー・マックイーンやジョン・ガリアーノみたいな尖ったスターがどんどん生まれたのですね。透明性の高い新校舎でこういう教育は難しいだろうなと感じます」(中野氏)
同校の教育は、技術よりもむしろ大きなコンセプトをつくることに重きが置かれるようだ。日本の服飾の学校では、コンセプトメイキングの職に就きたい人でも、自らの手を動かして服を作ることを課する学校が多い。私が見る限り、欧州でも自らの手で作れることを条件とする教育機関はあるが、それでも日本ほどには義務の度合いは高くないようだ。
中野氏の言葉をさらに続けよう。
「セント・マーティンズ大のファッションデザインにおいては、ハンドライティングが最重要で、量産にふさわしいかや、ウエアラブルであるかなどは、度外視されるようです。つまり、同校は『手に職をつける』タイプの職業訓練校ではない。学生の夢や妄想を命がけで守らせることを重視する学校だと思います。『夢も妄想もない学生は卒業しても食べていけない』と。
ファッション誌にはモード誌と呼ばれるジャンルがあります。中でもエリート意識が高いのは『VOGUE(ヴォーグ)』ですが、VOGUEを筆頭にモード誌は実際に着られるかどうかをあまり問題にしません。ショーのコンセプトないし世界観は何なのか、デザイナーは何を考えているのか、作品が時代とどのように関係しているのか、そういう記事を書きます。その意味で、セント・マーティンズ大とVOGUEは同じところを見ていると言えます」
ビジネスにおけるビジョンの重要性が語られて久しい。ビジョンを持つには広範囲の視点が必要だが、それには迷路のようなルートを、寄り道しながら適度なリズムで進んでいくのがちょうど良い。
経済合理性を超えたビジネスの在り方
私がラグジュアリーの新しい意味を探り始めた動機の1つは、現在、スウェーデンのストックホルム商科大学でイノベーションを教えるロベルト・ベルガンティー教授の唱える「意味のイノベーション」である。ラグジュアリーの意味付けが変わりつつある今、どのように意味が変わっていくか、あるいは変えていくかに私は関心があった。しかし、リサーチしていくうちに関心の対象はより広がった。
勉強会に参加する方々の動機はそれぞれに違う。ただ、はっきりしているのは家族との大切な時間でもある土曜日の夕方、「経済合理性を超えたビジネスの在り方」というロマンを語ることに夢中になったり、知的に楽しんでくれたりする人たちであるということだ。
日本でラグジュアリーを語ると「狭い価値観の人」と思われやすいが、実際のラグジュアリーは広い価値観に基づいている。まず、この点から偏見をひっくり返していく必要がありそうだ。