正確な時計からスタイリッシュな時計へ
スイスの時計産業の起源は16世紀にさかのぼる。フランス絶対王政によって弾圧を受けた新教徒であるユグノー教徒が国外に亡命したことで、時計製造の技術がスイスのジュネーブに流入したことが大きい。宗教改革によって宝飾品を身に付けることが禁じられ、仕事を失ったジュネーブの金細工職人がユグノー教徒の持ち込んだ技術で時計を作り始めたのだ(例えば、英国でのガラス産業の発展史にも似た記述がある。宗教改革は欧州の産業地図も変えたのである)。
その後、ジュネーブの北方にあるジュラ山脈が生産の中心地となり、品質と生産性の向上が図られ、19世紀末になると英国やフランスよりもスイスが生産地としてのステータスを獲得していった。
スイス時計の生産の特色は、さまざまな部品や組み立ての工房をネットワークで組成するシステムが確立されたことによる。このシステムが「スイス時計は正確で信頼できる」という評価の基盤となった。
ドンゼ氏によれば、ロレックスやオメガと並び称されるロンジンは、19世紀末当時、すでに他の2社と同様、ラグジュアリーブランドとしての認知を得ていたという。
興味深いのは、戦略として商標登録などには先手を打ちながら、20世紀に入り販売に際しては各国の市場のニーズに合わせたローカリゼーションを重視していたことだ。ただ、全てのローカライズ作業をスイス国内で実施するのはコスト高になるので、大きな市場である米・独・伊・日などには機能部品輸出を行い、ケースやバンドなど現地調達部品も含め、市場で最終組み立てをする方式へ徐々に変わっていった。
それが20世紀前半、ブランドと製品仕様が世界各国でバラバラになる状況を招いた。だが、スイス時計の「正確さ」「耐久性」という品質評価が圧倒的な威力を持っていたため、個々のブランド力が揺らぐことはなかった。
数字で推移を見ると、1890年に駆動部品であるムーブメントのスイスの世界シェアは5.9%だった。2度の世界大戦の保護主義の時代にあって一本調子ではないが、1940年は40.2%に達していた。安価な競合品の出現から1972年には26.4%まで落ち込んだが、安価なムーブメントがクオーツにより駆逐されたため、その後、1983年には48.2%まで急激に伸びた。
よく知られるように、スイス時計業界は、クオーツを導入した日本をはじめとするアジア勢の登場により大打撃を受け、3分の2は廃業を迫られた。だが、品質の高さを基調とした一本足打法はクオーツ登場以前に足元がふらついていたのだ。
ロンジンはこうした経緯にあって独自の路線を歩んでいた。1950年代にラグジュアリーレイヤーを狙った完成品サブブランドをつくり、各国輸入業者の現地の意向よりも統一ブランドを優先した。当時としては最先端のマーケティング戦略である。結果、「正確さ」「耐久性」に加え「スタイル」が評価軸に入った。
この成功により、次に生じたのがブランドのライセンス契約だ。先述の3つの要素の最後、「スタイル」が優先されたビジネスである。ただ、このスタイルがさらに大きな波に乗るのはおよそ20年後だ。
世界のラグジュアリー化に乗ったスイス時計
1980年代後半から1990年代初頭に行われた生産の合理化が奏功し、スイス時計はかつてないほど高級市場で脚光を浴びるようになった。クオーツによって「正確さ」が保証され、「正確さ」は当たり前の品質になった。
先述したが、そのころから1990年代半ばにかけて輸出本数が伸びたが、それ以降は下降し始める。しかしながら、同期間において金額ベースではリーマン・ショックの2008年を除いてずっと右肩上がりなのだ。1980年代後半は年間5000億円ほどだったのが、2010年代初めには2兆円を超えている。
この流れをつくるのに大きく貢献したのが、実は1983年に腕時計の販売を開始したスウォッチである。クオーツにより安価な時計が市場に出回ったのを逆手に、クオーツを使ったデザイン性の高い良いプラスチック時計をブランド統一イメージで開発し、大ヒットした。同社は時計以外の数々のグローバルブランド企業からマネジャーを招へいし、新しい売り方を開発していった。時計がそれまで「一生もの」であったのを、ネクタイのように「日々のファッションに合わせるもの」へと意味を変えていったのである。
そして、この稼ぎ頭を糧に、スウォッチは歴史あるブランド(オメガやロンジンなど)から成り立つグループとして、ポートフォリオを立て直しながら他社の買収を手掛けていった。
この連載で何度か書いてきたように、ラグジュアリー市場がビジネス規模の面から存在感を示すようになったのは1990年代の半ばである。ラグジュアリーと称されるブランドの国際的経営手法が、試行錯誤ながらこの時期に洗練されてきたと考えられ、スイスの時計業界もこのトレンドにしっかりとはまっていたことがよく理解できる。
こうした歴史をたどって気付いたことがある。最近、スイスの某スタートアップが新製品を市場に投入した。売り方はイノベーティブなのだが、時計のデザインにはあまり新鮮さがない。
同社のCEOに理由を聞くと、「新しいビジネスモデルに、新しいデザインは必ずしも必要ではない」との回答が返ってきた。ビジネスモデルやマーケティングの変革を長く学習してきたスイス人らしい言葉だ。今後、時計のセカンドハンド市場のことと併せて、もっと深くインタビューしてみたい。