ラグジュアリーの新しい方向を探る
ラグジュアリーは新しい方向や意味を探っている。連載7回目(2020年5月号)に次のことを書いた。コローニ財団ディレクターであるアルベルト・カヴァッリ氏に対して「19世紀後半の英国で生まれた社会思想家でありデザイナーでもあったウィリアム・モリスが反産業革命として起こしたアーツ・アンド・クラフツ(美術工芸)運動が、これからのラグジュアリーを考えるに当たって参照されると思うか?」と聞いたところ、「大いにその可能性がある」と即答された。
アルタガンマのラッツォリーニ氏にも同じ質問をした。彼女は次のように答えた。
「まったく、その通りの方向に向かっていると思う。標準化された製品の冷たいイメージに消費者は飽き飽きしている。本物であることやサステナビリティーに対しても、特に新しい世代は関心が高い。職人の手によるもの、ガラス張りのサプライチェーンなどが重要視されている。
フランスの企業はこれまでもイタリアの工場に外注を出すケースが多かったが、このところの傾向としては、サプライチェーン構築の観点からフランス企業がイタリアの生産拠点を買収するケースが増えている。これは大きな変化で、以前はそれらの拠点をあまり表に出さないようにしていたが、現在は逆にプライドを持って生産拠点を紹介している」(ラッツォリーニ氏)
それでは、職人自身の将来は明るいのか? 高級ファッションブランドのブルネッロ・クチネッリは本社の近くに職人を育成する奨学金付きの学校を2013年に創立した。ブルネッロ・クチネッリに就職することを条件とせず、ニットやスーツを作る職人として生きていこうとする人材を増やすのが狙いだ。
「若い人がなかなか職人にならないという問題がある。どうしてもデジタルの世界に引かれてしまのだ。だから、ブルネッロ・クチネッリやコローニ財団が学生の目を職人の世界に向けさせようとしている。ただ、大学生になってからでは遅いので、専門高等学校の生徒たちへのアプローチが必要となるだろう。イタリアの産業の要なので、なんとか安定させたい。マーケティングや財務は外部からサポートできるが、物を作る部分はその企業のコアの力である」(ラッツォリーニ氏)
ラッツォリーニ氏はコアの力の根源として、イタリア人のDNAとしか言いようがない建築や空間の美に対する感度の高さを引き合いに出す。合理性を超えた「何かをやりたい」「何かを作りたい」という熱量の多さ、その優先順位をビジネスの原則よりも高く置く。この性格を持っているイタリア人が、職人の力を失うことをとても恐れているのである。まさしく、その性格がラグジュアリーに求められる高品質やテイストを具現化している。
ラグジュアリーを求める新しい世代が、クラフト的なコンセプトや感覚を求めれば求めるほど、そのトレンドに応え続けられる体制を維持できなければならない。
アルタガンマの今後の活動
イタリアのスタイルや文化の質の高さを海外でアピールすることを目的とする「アルタガンマ・クラブ」という組織がある。現地のトップビジネスや外務省、商工会議所など、関係諸機関とのネットワークを強化する取り組みを行っている。
2018年、最初に取り組みを始めた地はオランダのアムステルダムである。基本的には、イタリアとオランダの協力関係の推進を図っており、イタリアの高級ブランドの「大使的」活動をオランダに期待している。オランダがイタリアのハイエンド商品の市場として重要という理由だけでなく、オランダが貿易の一つのハブとなっている点がアムステルダムを選択した理由だ。そして、このような試みをその他の国にも拡大している。
2カ国目は中国である。中国との関係強化はラグジュアリーの将来にとって不可欠であるとの認識に基づき、2019年11月に「2020年より上海に事務所を開設する」と発表した。
連載5回目(2020年3月号)に、ミラノにある経営学の名門・ボッコーニ大学のエグゼクティブ・ラグジュアリー・マネジメントコースを紹介した。実は、このコースはアルタガンマとの協力関係のもとに成立している。人材育成もアルタガンマの活動領域であり、中国の大学院における同様のコースの設置にもアルタガンマが協力している。これらのコースは実地研修が必須であり、ラグジュアリー領域の生産や販売現場に深く入り込むには、アルタガンマの会員企業の協力が欠かせないのである。
ラッツォリーニ氏は「日本も米国と同様、アルタガンマ・クラブの候補地に考えている」と語る。そこで私が「日本にはラグジュアリー・マネジメントを教える大学院がない」と指摘すると、「そんな、信じられない!」ととても驚いていた。そして彼女は「何か、考えねば」と言葉を継ぐのであった。
日本の中小企業の生産性を上げていくには、このようにさまざまなプレーヤーを束ねて総力戦をする仕組みが必要ではないだろうか。そのために私ができることは何かと考えているところだ。