職人の世界とラグジュアリーの接近
コローニ財団とミケランジェロ財団のディレクターを兼務するアルベルト・カヴァッリ氏に話を聞いた。彼の発言を紹介する前に、まず私が彼に向けた質問の背景を説明していこう。
私が確かめたかったのは、職人の世界とラグジュアリーが再び接近する可能性だ。もともと、生産地や生産者の顔がはっきりしていることと、人の手によるモノであることはラグジュアリーの証しでもあった。
希少性が重要なラグジュアリー本来の概念からすれば矛盾する「ラグジュアリーという名の大量生産品」が、市場に出回っている昨今、そのトレンドに対して魅力を感じない人たちが、クラフト的な商品に目を再び向け始めている兆しがあるのだ。
前回(2020年4月号)の連載で書いた若い世代、特にZ世代と呼ばれる1990年代半ば以降の生まれの人たちが、これからおよそ5年後、ラグジュアリー商品の消費の舞台に上ってくる。そのZ世代がクラフト的なものを好むのである。
したがって、この人たちが19世紀後半に英国で起きたアーツ・アンド・クラフツ(美術工芸)運動を再評価していくのではないか、との仮説を私は立てている。
Z世代がヒーローと思うかもしれない主人公は、思想家で社会運動家のウィリアム・モリス(1834~1896年)である。
彼は金融業を営む父親を持つ豊かな中産階級の家庭に生まれ、オックスフォード大学で古典ギリシャ文学を学ぶ。大学の周辺に中世の建築があったことなどをきっかけに、中世文化から大きな影響を受け、次第に反産業革命の論理となるロマンチシズムに傾倒していく。
そして美術批評家で思想家のジョン・ラスキンに心酔し、職人とアートの世界が一緒であった中世の価値観、すなわち「ハンドメイドとアートの同一ステータス」の復活を目指したのである。
これを現実のものとする試みが、仲間たちと作った装飾美術の会社だ。モリスはタペストリー、壁紙、生地、家具、ステンドグラスの窓などをデザインしたが、1875年、自らの名前を冠した企業に登記変更する。そこから特にテキスタイルの染色や織りに力を注ぎ、大量生産品の品質を否定していく。
その結果、中流以上のクラスでの評価は高く、ビジネスも流れに乗った。しかし、そうして富裕層の間で「ラグジュアリー商品」として人気が出れば出るほど、モリスは「付き合いたくもない金持ちの世話」をするばかりで、本来彼が支持したい労働者階級とは乖離していく自分を自覚するのである。
この経緯の中で、モリスは政治的な活動にも足を踏み入れていき、徐々に社会主義運動へ傾いていく。一時はかなり過激な活動にも走るが、デザインの仕事を中断することはなかった。前述したように、デザインと作ることをプロセスとして分けず、技術に基づいたデザインの大切さを説き、過去に絶滅した技術の発掘にも力を入れた。そして彼の会社の製品は英国のみならず、世界中に普及した。
これらを統合した形で、晩年はアーツ・アンド・クラフツ運動と称される出版活動に焦点を定め、それが19世紀終盤の英国の社会に足跡を残した。そして、後に近代デザインの祖となるドイツの建築・デザインの学校、バウハウスに引き継がれたのである。
他と違うことに価値がある
さて、カヴァッリ氏へのインタビューに戻ろう。彼は次のように語る。
「ラグジュアリーは真正、つまり本物であることがまず課題になる。ベースには、次の三つの要素が必ず入ってくる。職人の手、創造性、オリジナリティーだ。他と違うことこそに価値があるのだから、人の手が入らないラグジュアリーはあり得ない。かつ、ラグジュアリーとは物理的なモノの価値だけではなく、人による高いレベルの仕事の質も含んでいる。このモノの背後にある仕事の質を理解した時、そのモノの意味も理解することになる。これによって、美しさを美しさとして認知できる。コローニ財団もミケランジェロ財団も、この美しさを世の中に解き放つことを使命としている」
彼の言葉はアーツ・アンド・クラフツが登場する伏線でもある。19世紀にモリスが理想とした世界を、21世紀の今、カヴァッリ氏は語っているように見える。ここで私の仮説をぶつけてみた。「Z世代はモリスを再評価するのでは?」と。
「それはとても示唆に富む質問だ。モリスが作ったものは非常に高価で、ラグジュアリーだった。社会思想家として大衆に近付くことに熱心だったが、彼が作るものは高額であった。
モリスが再評価され得る要素は、まず社会性である。『仕事には尊厳が必要である』とラスキンが主張し、モリスが同調した点だ。人は誰かの命令の下に生きるのではなく、自分の手の動かし方を知っている本人が、仕事の成果を前にして幸せになるのがポイントだ」(カヴァッリ氏)
カヴァッリ氏は、他方、イタリアのラグジュアリーはモノが素晴らしいだけでなくシンプルさを重んじる特徴があると言う。
「『スプレッツァトゥーラ』というイタリア語があり、バルダッサーレ・カスティリオーネの『宮廷人』という作品に出てくる。とても難解な言葉だ。言ってみれば、『無頓着そうに見せる』こと。あらゆることを隠し、あたかもよく考え抜いたことなどまったくなかったかのようにシンプルに見せる。これは、フランスの伝統的な洗練さとは違う」(カヴァッリ氏)
すなわち、それぞれの文化にはそれぞれ真正(本物)とみなされるものがあり、それに敬意を払うことが大切なのだと言う。日本でも同じことが言える。カヴァッリ氏は続ける。
「Z世代は、こういったことに非常に敏感で、その価値や意味を理解していると思う。その観点から、今後10年くらいにわたりアーツ・アンド・クラフツが見直される可能性は高い。ラグジュアリーは社会的に排他的な態度を取るより内包的になる、とも言える」
カヴァッリ氏の「内包的(インクルーシブ)」というワードが鍵になる。モリスが目指した方向は、本人の意図には反してラグジュアリーとして評価された。彼は労働者を排除しない内包的な社会でありたいと望みながら、ビジネス的には排他的と見られる存在となってしまったのである。
ラグジュアリーを再考する出発点
モリスは根本的な矛盾を抱えてしまったため、バウハウスのように20世紀のデザイン史の主流には上り詰められなかった。産業社会からは、あまり顧みられる存在ではなくなってしまったのである(モリス自身、反産業社会の立場を取ったので当然ではあるが)。中世の世界への回帰を夢見た夢想家と捉える向きがある。
しかしながら、モリスをラグジュアリーの文脈に置いた時、新しいラグジュアリーを語るにこれほどにふさわしい業績を作った人もいないことに気付く。
それも単に一部の好事家が彼を称えているだけでなく、例えば、ロンドンにあるデパート、「リバティ・ロンドン(Liberty London)」のように、モリスとテキスタイルとのコラボレーションの歴史を踏まえ、綿々とラグジュアリービジネスを続けて世界的に評価を得ている企業がある。
すなわち、「ラグジュアリー」のヒントとして、19世紀フランスのブルジョワジーの趣向を想起するだけでなく、あるいはイタリアの20世紀の数々のブランドを引用するだけでなく、スイスの高級時計や英国のテキスタイルなど、参考にすべき点が数多くあることに目を向ける必要がある。
そして、その源泉には職人の手がある。日本の中小企業が、自らの手を再び見つめるべき理由がここにある。
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