ラグジュアリーに対するグローバルな合意はない
歴史遺産の見方は、消費者の文化に依存する。また、何に憧れを持つかは、文化の相対的な位置関係による。米国の人々は欧州の伝統に敬意を表し、欧州の人々は米国の新しさをうらやむ。ブルン氏は、フランス経済商科大学(INSEEC)のジャン=ノエル・カプフェレ教授が、2016年の論文で次のように書いていると紹介してくれた。
「ラグジュアリーはどの国でも比較的同じように評価されるようになってきたが、アカデミックにラグジュアリーとは何か、というグローバルな合意は成されていない。何が製品をラグジュアリー製品とし、何がブランドをラグジュアリーブランドとするのか、ということだ。そこで、ここではラグジュアリーを買う人たちがラグジュアリーをどう定義付けているのかを分析する。データは6カ国、西洋とアジア、先進国と新興国、ラグジュアリー成熟国と未成熟国の両方をカバーしている。その結果、基本的な3点は共通だが、それ以外の項目においては国による差が見られる」(カプフェレ教授の論文※より引用)
基本的な3点とは、「高品質」「高価」「プレステージ」であり、これらについてはどこの国の回答者も同等に評価する。しかし、「楽しさ」は日本と中国以外の人たちだけが等しく重視する。「遺産」は日本が断トツに重視している。
日本と中国においての差を見ると、日本が中国よりも評価するのは「美」や「遺産」であるが、逆に中国が日本よりも評価するのは「ファッション」「少数派」「パーソナライズされたサービス」といった項目である。
「イノベーション」について、日本はラグジュアリーの項目ではないと見ているが、その他の国では評価対象として考えている。「タイムレス」、つまり時間を超える価値については、ブラジルではほとんど考慮されていない。ラグジュアリーの本家であるフランスにあってさえ、日本人よりもこの項目の点数が低い。
一方、日本人はラグジュアリーと「夢」をリンクさせていない。
このように世界でラグジュアリーに関する共通イメージがあるにはあるが、実は国によって強調点がかなり異なっている。
※「Pursuing the Concept of Luxury: A cross-country comparison and segmentation of luxury buyers, perception of luxury」
ラグジュアリーに欠かせない「高品質」の意味を探る
ブルン氏はグラフを私に見せながら、次のように語る。
「この各国比較をベースに、われわれの商品を売るべき国はどこか、われわれの商品のアピールポイントをどこに置くべきかなど、検討できるはずだ。この調査にはないが、フランスはぜいたくとか高級を重視するが、イタリアでは高品質や美を優先するとの傾向もある」(ブルン氏)
私はこの調査結果を見ながら、日本の企業が海外進出においていかに空振りしやすいかを考えた。日本人はラグジュアリー製品を、単独で非常に真面目に捉えている様子がうかがえる。
例えば、パーソナライズされたサービスは、ある種、富裕層のわがままを許すことだと思っているのではないか。個人の欲求を思いのままに表現するのは、品がない、または、こうしたサービスがぜいたくという観念に近いと思っているのだろう。品質や美、文化的伝統という基準に敬意を払いながら、お金の匂いを発散させそうなことからは一歩引いておく。これらが中国と対照的な部分であり、日本の良い点と損をしている点であると察する。
私がここで大切だと思うのは、日本の企業がビジネスのために、こうしたメンタリティーを無理に変えていこうとすることでなく、この文化や精神的土壌に合った市場開発の道を探ることである。
先述したように、ラグジュアリーでどうしても欠かせない高品質という項目に対して妥協しない姿勢は、世界のラグジュアリー産業が日本を「頼りにする」理由の一つになっている。
ただ、ここでいう高品質は、かつてメード・イン・ジャパンをけん引した工業製品の歩留まりの良さだけを指すのではない。材質の選択から手の込んだ工夫や仕上げの良さまで含め、総合的な質を見ている。
コングロマリットが牛耳る市場ではなく、それ以外のラグジュアリー市場において、この文化差異は利に生きる。少なくてもイタリア市場はフランス市場よりも高品質にこだわっているのだから。