中小企業はラグジュアリーモデルを狙う
さらにもう一つ、近いカテゴリーの「プレミアムブランド」も説明しておこう。自動車業界などでよく使われ、ドイツのアウディやBMWなどが例に挙げられることが多い。ロールスロイスやフェラーリはラグジュアリーである。
価値と量の優先順位では、圧倒的に量であり、「高い品を売る」ことに存在意義がある。ラグジュアリーで必須の希少性は条件とならず、需要を満たすことが大切である。最新技術を使った高い性能を持つ製品であるために、伝統的な手法に注目する必要はない。逆に、イノベーティブであることがセールスポイントになる。そしてマーケティングや販売方法も「新しさ」が追求され、製品を包括したサービス体験の領域に踏み込んでいる。
そしてラグジュアリーブランドのモデルを見事に具現化しているのが、コングロマリットなのである。フランスのLVMHはルイ・ヴィトン、モエ・エ・シャンドン、ディオール、フェンディ、ジバンシー、ブルガリ、タグ・ホイヤーといった企業を傘下に据えている。また、同国のケリングはグッチ、イヴ・サンローラン、ボッテガ・ヴェネタ、バレンシアガを抱える。一方、スイスのリシュモンはカルティエ、ラルフ・ローレン、モンブランを有する。
フランスの企業でコングロマリットに入らない独立系のラグジュアリーブランドは、エルメスとシャネルなどが想起される。そして、イタリアでは、アルマーニ、プラダ、フェラガモなどが独立系として挙げられる。
ただし、ラグジュアリーの先述の定義に従えば、ファッションはラグジュアリーにはなり得ない。なぜならファッションとは「その時に市場でウケる品を売る」ことが重要な要素である。しかし、ラグジュアリーは「いつの時代でも愛される定番品」であることが大切だから、必然的に「デザインとして続くもの」がオリジナルのイメージになる。すなわち、エルメスのケリーバッグやルイ・ヴィトンのバッグ、あるいはカルティエの宝飾品である。
鑑みると、ラグジュアリーブランドとプレミアムブランドは中堅以上の企業が取り組むべきモデルであり、中小企業はラグジュアリーを追求するにふさわしいことが分かってくる。製品の質を最優先し、その質が表現するにふさわしい価値を持っていることがラグジュアリーであり、マーケティング戦略とは距離を置き、顧客を選別する立場に立つのには、大きな資本が必要条件にならないからだ。
ノートルダム寺院火災後の復旧に集まる寄付金
いくつか別の視点を紹介しよう。イタリアの宝飾品メーカーのブルガリは、2011年LVMHに買収された。1884年に創業した同社は、それまで同族会社として100年以上経営してきたが、方針を変更したのだった。年商が1000億円を優に超えている企業であったが、さらに直営店を増やそうとしたところ、それにふさわしい品ぞろえを充実させるための資金が不足していたのだろうといわれている。
独立系が苦境に陥る線引きは一律ではないが、頭打ち現象は必ずある。その時に、規模をさらに求める際に投資銀行の資金を受けるか、大きなグループの仲間入りをして「心を売るかどうか」という判断に迫られる。
すでに1000億円を超えていて「心を売るかどうか」もないだろうと思われるかもしれないが、どの規模においても心は問われる。特にラグジュアリーである条件を維持しようとすることと、規模の拡大を選択するかどうかは、判断が難しい。D&Gの事件を冒頭で書いたように、ラグジュアリーとは精神性が問われる部分が大きく、製品を作る場所や職人の手作りがアイデンティティーの大切な要素だ。コスト削減のために国外移転という選択肢は存在しない。次のような事例がある。
1980年代初めに創業したイタリアのピアノメーカー、ファツィオリ。同社の製品は1台500万~2000万円の価格帯で、2010年のショパンコンクールにおいて、公式ピアノに指定された自他共に認めるラグジュアリーピアノである。ピアノの音にとって大切な響板には、バイオリンの名器・ストラディバリウスと同じ木材を使用している。
サチーレというヴェネツィアに近い2万人にも満たない小さな街で、年間130台を生産している。手作りの工程が多いが、この工場では全従業員がピアノの品質を判断できる。社長のパオロ・ファツィオリ氏は、製品の品質を判断できる人材を小さな街で確保することを前提とすると、130台という数字を大幅に増やすことは考えられないという。
希少性をセールスするために生産台数を絞るのではなく、自分たちがベストだと考えるプロセスと質を優先すると130台しかできない。その結果としての希少性である。従って、数を増やすことは「心を売る」ことになる。
ラグジュアリーというカテゴリーには制約が多い。しかし、それゆえに人に対して意味がある製品を提供でき、市場で価値がある。低価格の大量生産品に精神性や倫理性がないわけではないが、ラグジュアリーにはさらなる高みが求められるのである。
その高みがあるからこそ、高額の値札に人は納得するわけだ。あるいは、その世界に近づこうとする。
2019年4月、パリのノートルダム寺院の火災後、LVMHなどのラグジュアリーブランドのコングロマリットをけん引するとされるグループが一斉に巨額の寄付金を決定し、数日にして1000億円近い資金が集まったと報道があった。さまざまな思惑もあるだろうから、一律の感想はふさわしくないが、「歴史的・文化的に価値のある宗教施設の復活にお金を出すのは、高みにある企業としては当然であると世界に示さないといけない」と、ビジネスと文化を担う立場としての行動であったことは想像に難くない。
だからこそ、D&Gが起こした事件は罪深いのだ。