その他 2017.07.31

Vol.23 それは「逆風」なのか?:純喫茶ツタヤ

 

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中心市街地の老舗が

地方の「三大逆風」と、勝手に名付けてしまいますが……。

まず、中心市街地の空洞化は、ますます進んでいます。かつては繁華街だったのに、今では閑古鳥が鳴いているという風景は、地方都市の悲しい現実ですね。

次に、個人商店を取り巻く環境がさらに厳しくなっています。靴屋、洋品店、書店など、例を挙げれば切りがありません。

さらに、事業継承の問題も絡んできます。後継ぎがいない、あるいは、先代がお子さんに後を継がせることをためらうほどに業績が悪化しているというケースなども耳にします。

で、今回取り上げる事例はと言いますと、「地方都市の、寂れつつある中心市街地」にある「個人経営の純喫茶」が、「悩んだ末、4代目に事業継承した」という話です。もう、まさに三大逆風ということなんです。

その店の名は、「純喫茶ツタヤ」といいます。北陸・富山市の中心市街地にあるこの一軒は、1923(大正12)年の創業。この街で最も古い純喫茶であるのはもちろん、ある書籍には「日本で最も古い」とも記されています。何人もの文人や芸術家がこの店を訪れたという記録も残っているほど。

その歴史にとりわけ大きく貢献したのは2代目でした。1922年、単身でインドネシアに渡り、コーヒーの栽培園を巡り歩いたのでした。そのため、ツタヤのコーヒーは創業時から、後の2代目が送ってくるコーヒー豆を使っていたそうです。

第2次世界大戦後にはこの2代目がビルを建て、いっときは喫茶店の上階でトリスバーやビアガーデンまでも営んでいました。

 

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街が衰退していく

2代目の次女夫婦が3代目を引き継いだのは1985年。そのころのツタヤが位置する一角は、富山市のまさに中心と表現するにふさわしいにぎわいを見せていました。目の前のスクランブル交差点は、週末でなくとも人があふれ、その先には老舗の百貨店もありました。

ところが……。いつしか中心市街地からは人の波が引いていき、21世紀に入ると、スクランブル交差点は消え、老舗百貨店も移転してしまいました。気が付けば、往時の活況は望むべくもない状態になったのです。近隣のアーケード街など、かつては歩くのもままならないほどの混雑ぶりだったのに、今や人もまばら。大手どころのハンバーガーチェーンも、この街での営業を諦めて、相次いで去ってしまいました。

2010年にはこの地区の再開発を期するため、ツタヤビルが取り壊されました。2年後に同じ場所でツタヤは再び営業を始めましたが、再開発を経ても、中心市街地に人が戻ったとは言い難い状況が続きました。

経営に苦労を重ねてきた3代目夫婦は、日本の純喫茶史にその名を刻むツタヤをどうにか残したいと考え、後継者を探しました。ただし、身内に継がせる意思はなかったようです。それだけ、経営状況は厳しかったということなのでしょう。でも、外部の後継者は結局、見つけられませんでした。

2016年、4代目の宇瀬崇さんが、ツタヤの後を継ぎました。

彼は3代目の息子です。先代である両親からは何度も止められましたが、彼の意思は固く、最後は両親も受け入れてくれました。ただし、1つの条件があったそうです。それは、今の仕事を辞めないこと。

4代目は現在も、富山市の外郭団体の職員です。富山に残る老舗純喫茶の行く末を案じ、彼の上司が就労規則を調べた上で、兼業しながら家業を継ぐことに道筋を付けてくれました。

4代目は、普段は仕事があるわけで、店に立ち続けられません。幸いにして、何人ものスタッフが集まってくれ、一緒にこの店を盛り立てていく態勢を組むことができました。

とはいえ、ツタヤを取り巻く環境がすぐさま好転したわけではありません。継いだばかりの時分には、1日の来店客数がわずか数人というときもあったといいます。

創業100年まであとわずかとなったツタヤですが、ここからどうするかが勝負でした。大手のカフェチェーンが席巻しているのは、ここ富山でも同じですし、しかも、この店のある中心市街地は幾たびの再開発を重ねても、昔の元気を取り戻せないまま。さあ、どのような手を打ったのか。

 

 

早朝営業に賭ける

4代目は矢継ぎ早に施策を打ち出しました。ぐずぐずしている時間は、そこにはなかったということでもあったのでしょう。

まず、27年ぶりにモーニング営業を復活させました。先代の頃は11時の営業開始だったところを、朝7時のオープンとしたのです。

営業時間を広げるのにはリスクも伴います。人件費もかかりますから。それでも踏み切ったのは、どうしてなのでしょう。

「この界隈をつぶさに観察すると、夜よりも朝の方が、まだ人が歩いているんです」

同時に、モーニングでもランチでも、業務用の調理品を使うのをやめました。朝食時には、クロックムッシュやフレンチトーストなど。ランチには、タマネギの歯応えや肉の甘みが十二分な、特製のハヤシライス(これを『ツタヤライス』と名付けました)。近隣にある人気の予約制レストランのオーナーが、メニューやレシピ作りに力を貸してくれたのでした。

モーニング営業に関して言うと、ちょっと面白い取り組みも見られます。この店、朝から飲めるんです。ビール、赤白のワインやスパークリングワイン、さらにシェリー酒。ちゃんとメニューにも明記されています。朝の時間帯など、それらに単品のオムレツを合わせて楽しむと、確かにぜいたくな感じ。

「旅に出たとき、朝から1杯のビールやワインを味わいたくなっても、なかなかそれに応えてくれる店って探しづらいじゃないですか。飲みたくても、店がない。それを何とかしたかった」 

純喫茶で、朝からお酒? 周囲からそう訝しがられることもあるそうです。しかし、前述したように、ツタヤは戦後のころ、喫茶とともにトリスバーも営んでいたという経緯があっただけに、当主としてのためらいはなかったようです。

酒のラインアップ検討に当たっては、この街に根付く著名なバーマンや実力派の酒販店が、それぞれ相談に乗ってくれました。先のフードメニューの話もそうですが、街の人がそれぞれの立場から助けてくれるものなのですね。近隣で呉服屋を営む当主も、イベント開催などで力になっているそう。

朝だけではありません。通常は17時までの営業であるところ、毎週金・土曜日は「ヨルツタヤ」と銘打って、22時ごろまで店を開けています。周囲に店の明かりが漏れるだけでも、街に役立てるのではとの考えです。

提供する食事も全面的に見直した。近隣の人気料理店のシェフが力を貸してくれ、『ツタヤライス』(写真右、特製ハヤシライス、税込み800 円)などをラインアップ。コーヒーは、先代のサイフォン式からドリップ式に戻した。単品で頼むとチーズが添えられてくるのはツタヤの伝統(写真左)

提供する食事も全面的に見直した。近隣の人気料理店のシェフが力を貸してくれ、『ツタヤライス』(写真右、特製ハヤシライス、税込み800 円)などをラインアップ。コーヒーは、先代のサイフォン式からドリップ式に戻した。単品で頼むとチーズが添えられてくるのはツタヤの伝統(写真左)

 

モーニング営業を復活。朝からスパークリングワイン(時価、取材時CカヴァAVAのハーフボトルで税込み1500円)やシェリー酒などを楽しめるようにしたのもポイント。オムレツ(税込み300円)などと一緒に味わうと、早朝から実にぜいたくなひとときを堪能できる

モーニング営業を復活。朝からスパークリングワイン(時価、取材時CカヴァAVAのハーフボトルで税込み1500円)やシェリー酒などを楽しめるようにしたのもポイント。オムレツ(税込み300円)などと一緒に味わうと、早朝から実にぜいたくなひとときを堪能できる

 

 

来店客は増えている

「正直、最初は舐めていました」4代目の率直な言葉です。いい什器をそろえておいしいものを出せば、人は戻るはずと踏んでいた。でもすぐにそんな簡単なものではないと考え直したそうです。再興への道を、まだ歩き始めたばかり。

それでも、後を継いだ2016年は1カ月で400人を超える程度の来店客だったのが、今では900人。「月に100人ずつ増えているという実感がある」と話します。

4代目となったとき、地元金融機関から500万円の融資を受けたものの、資金に余裕はありません。宣伝活動はまさに地道な手作業に頼る状況です。

店の一角には、毎月、4代目の出勤日が記されています。これはとても面白い趣向だと感じました。

個人経営の店というのは、当主の息遣いなり流儀なりこそが命であり、最大の商品であると、私は思います。4代目の入れたコーヒーを飲み、彼と語りたければ、どの日のどの時間帯にツタヤを訪れればいいのかが分かるのは、その意味でありがたいことです。

またこれは、今あるもの(ここで言えば、4代目自身の存在です)を、経営で最大限に活用するという話に他ならない、ですよね。

逆風だと言うばかりでは何も始まらない。そして、寂れた街の再活性化は、個人の手からこそ生まれる……。そんな教訓すら感じさせる、今回の取材でした。

 

 

 

PROFILE
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北村 森
Mori Kitamura
1966年富山県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。「日経トレンディ」編集長を経て2008年に独立。製品・サービスの評価、消費トレンドの分析を専門領域とする一方で、数々の地域おこしプロジェクトにも参画する。その他、日本経済新聞社やANAとの協業、特許庁地域団体商標海外展開支援事業技術審査委員など。サイバー大学IT総合学部教授(商品企画論)。