「ヒットの芽はどこにあるか分からない」という話を、今回はお伝えしましょう。
皆さんは、常日頃、腕時計を着けていらっしゃいますか? 私はここ20年ほど、ずっと腕時計を敬遠してきました。なぜか。「携帯電話やスマホがあるから、時刻をたやすく確認できる」という単純な理由ではありません。
腕時計というのは、選ぶのがとても難しいアイテムだからです。ブランドのヒエラルキー(序列)が厳然とあって、こちらの懐具合やセンスを値踏みされる気がするのです。
私は出版社に勤務していた時代から、さまざまな商品の評価を続けています。それだけに、なおのこと「この人はどんな腕時計を選んだか」とのぞき込まれてしまいがちです。だから、滅多なものは身に着けられないと身構えてしまった部分もあります。
そんな私が久方ぶりに購入した腕時計のブランド、それが今回取り上げる「Knot(ノット)」でした。
半世紀ぶりの「国産」登場
Knotは2014年に立ち上げられたブランドです。国内の新しい腕時計ブランドの登場は、実に半世紀ぶりと聞いています。
この新ブランドは、誕生するや否や人気が爆発しました。まずはネット通販から始め、2015年には東京・吉祥寺などに直営店舗をオープン。すると、週末には入店するのに1時間待ち(会計するためではなく、入店するためだけにですよ)という状況になりました。当初の計画を超える増産を重ねていたといいますが、それでも品切れが続出したため、2016年1月には店舗営業を一時休止するほどの事態に……。
腕時計離れが近年ささやかれる中で、これは奇跡的な現象と表現して差し支えないでしょう。
このブランドの特徴は、いくつもあります。
まず、「国産」を掲げていること。ごく例外的な一部のアイテム(金属製ベルト)を除けば、ほぼ全てが国内生産です。本体のデザインから組み立てに至るまでがそうですし、大半のベルトは「栃木レザー」「京都の組み紐」といったこだわりのラインアップです。
次に、本体とベルトを自由に組み合わせられるところ。腕時計本体は現在30種ほどあり、ベルトに至っては約250種を数えます。そしてベルトは、ユーザーが工具なしで簡単に付け替えられる。つまり、何種類かのベルトを購入しておけば、その日の服装やシチュエーションによって毎日でも替えられるという話なんです。しかもベルトは毎月のように新製品を登場させています。
そして最後に価格です。国産でありながら、本体はクオーツ式であれば1万円台からあります。ベルトは2000円からせいぜい5000円前後。これは特筆すべきポイントでしょう。
私がなぜKnotを買ったのか。それは「海外の超高級品を頂点とした腕時計ブランドのヒエラルキーに、全く取り込まれていないほどの存在感がある」からでした。「そのコンセプトに共鳴した」と言ってもよいでしょう。
でも、人によっては「ベルトと組み合わせるのが楽しいから」、あるいは「国産なのに安いから」と購入しているケースも多いはず。
その商品を買いたくなった理由が消費者によって異なるというのは、大ヒット商品に共通している要素かもしれません。
「チョー楽しい!」という声
その背景を、1つずつ聞いていきましょう。まず、どうして今、国産の腕時計ブランドを立ち上げたのか。Knotの代表である遠藤弘満さんの答えは明快でした。
「かつては隆盛を極めた日本の腕時計づくりの文化や技術を絶やしたくなかった」
遠藤さんは腕時計業界に長く従事し、北欧のブランドを日本でヒットさせるなど、その実力を評価されてきた人物です。そんな彼が挑んだのが「低廉な国産腕時計」の開発だったのは、国内の腕時計づくりの文化を継承させるという目標があったからなのです。
若者の腕時計離れに対しては、本体とベルトを自由に組み合わせるという部分が大きな訴求力を持ちました。
遠藤さんは言います。
「私もこの業界に長らくいますが、店内に『チョー楽しい!』という声がこだまするのは、初めてのことでした」
価格に関しては、商品の開発から販売までを一元的に手掛けるSPA(製造小売業)方式を採ったこと、それと基本的に広告宣伝にコストをかけないことで「本体1万円台から」を実現しています。腕時計業界での定石といえば、宣伝費を捻出して著名人にそのブランドを身に着けてもらう戦術ですが、Knotはそれをしていません。
資金調達ではクラウドファンディングを活用し、およそ1500万円という額を集めたそうです。Knotのコンセプトが明快だったことが功を奏したのでしょうが、この事実そのものが、また話題を呼び、ブランド構築に良い効果を生んでいる点も見逃せません。
クラウドファンディングという、いわば時代の先を走る仕組みを上手に活用しながらも、実はプロモーションに関してはアナログ的だったとも聞きました。
「暑い夏のさなか、腕時計のサンプルとプレスリリースをかばんに詰め込んで、取り上げてくれそうなマスメディアを巡り歩きました」(遠藤さん)
このコントラストが面白いところです。プロモーションについて言えば、やはり汗をかき、足で稼ぐしかないという教訓でしょう。
技の逆輸入
このKnot、2014年の登場からはクオーツ式の腕時計を開発・販売してきました。それが2016年4月、機械式腕時計の販売に乗り出しています。
機械式の腕時計というと、どうしても値段がかさみますから、現在ではマニア向けという色彩が濃い印象です。しかし、Knotは発売に踏み切ったのです。
いくらなのか。私は機械式の発売を前に、「20万~30万円くらいかなあ」と予想していました。
国産の機械式腕時計ではグランドセイコーの存在がよく知られていますが、その基本モデルが約60万円。まあ、その半分か3分の1ほどの値付けではないかと思っていたのです。
実際はどうかというと、本体が4万5000円でした。正直、驚きましたね。それまでKnotのクオーツ式を使っていた私ですが、迷わず購入しました。
文字盤の仕様が、クオーツ式にも増して上質なのが印象的な1本です。購入を決める前に、遠藤さんからこんな話を聞きました。
「文字盤のインデックス(※)植え付けの技術を、海外まで行って取り戻してきたんです」
どういう意味か。かつては日本国内で当たり前のように根付いていたインデックスの植え付け技術なのですが、今ではすっかり廃れてしまい、その技は海外に流出してしまっていたのだそうです。
そのため、遠藤さんが何度も海外に渡って、その技術を会得し、いわば“技の逆輸入”を図ったのです。
私は、機械式の腕時計を購入するつもりはありませんでした。クオーツ式で十分と考えていましたからね。しかし、そんな話を耳にしたら、買わずにはいられませんでした。
私は今回、何を購入したのか。もしかすると、1本の機械式腕時計ではなく、作り手の意地を買ったのかもしれません。
消費者がさして欲しくなかったはずのものを買う、それも突き動かされるようにして――。これはKnotを語る上で、非常に重要な部分だと感じました。
この機械式腕時計、初回生産分は瞬く間に完売したそうです。
※ 文字盤上にある、時や分を示す目盛りや数字のこと